はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

メメント・モリ

2006-07-26 02:31:02 | 出来事
僕が彼女のことを知った時、彼女はすでに死んでいた。
1957年。実に今から50年近くも前のお話。
悲しいとか。
切ないとか。
哀れだとか。
そんな感情を抱いてはならない。
ただ宇宙を見上げ、死を思え。

地球の軌道上を回った最初の生き物は、犬だった。
名前はクドリャフカ(巻き毛)。サモエド系の雑種で、モスクワの通りをさ迷っているところを拾われた。
高高度からパラシュートで落下したり、気密室の中で数週間生存したり、そういった訓練の成績が、他の何十頭もの雌犬たちの中で抜群によかった。
だから、生物初の栄誉は彼女に送られた。回収可能の設計がなされていないロケットに乗せられることによって。
彼女の死に様には、諸説ある。
加熱とGによるストレスで死んだとか。
チューブによって送られる食事に毒物が含まれていたとか。
政府筋の公式発表では前者だが、実際のところはわからない。
苦しんで死んだのか。
苦しまずに死んだのか。
それすらも。
ただひとつの事実として、スプートニク2号は打ち上げ翌年の1958年4月に大気圏突入した際、破壊、消失した。

人が生きるために奪ってきた命の数は、どれほどだろう。
今だって、地球上の様々な場所で、数多の命が奪われている。
命の重さは等しく同価値で……だから、特別なことじゃない。
他のあらゆる死と何も変わらないはずなのに、不思議と彼女の名が胸に残る。
クドリャフカ。
今から約50年前。そんな名前の犬が、一匹死んだ。

ある少年の挑戦

2006-07-22 20:59:07 | ゲーム
単純作業を繰り返したって、勇者にはなれない。
積み重ねた経験は、数字では表せない。
遥か昔、ゲームを攻略するという行為はかぎりなくガチに近かった。何せインターネットなどない時代だ。勇者になろうとするなら雑誌や友人のネットワークを駆使するか、ひたすらに己の腕を磨くしかなかった。
80年代。偉大なるゲーマー達の時代。あの頃僕は小学生だった。

CS放送のゲーム番組で、「ゲームセンターCX」というものがある。その中の1コーナーに「有野の挑戦」というコーナーがあり、ファミコンやディスクシステムなどのレトロゲームをよゐこ有野がクリアしていく様を放送している。
懐ゲーだといってバカにしてはいけない。マンガ「東京トイボックス」の言葉を引用するなら、あの頃のゲームは「不親切」だった。
ワープゾーン。隠し面。無限1UP。裏技なしでは到底クリアできないゲームが多かった。中にはコンティニューすら裏技になっているものもあり、現在の箱入り息子のような優しいゲームにはない厳しさがあった。

有野のようなガッツポーズをとるほどにクリアすることが嬉しいゲームが、今あるだろうか。ひとつの面、ひとつの敵に何十回となく挑みながら着実に打破していく彼の横顔を見ながら、そんなことを思った。
あの頃のゲームは過酷で、ストイックで、だからこそ達成感があったのだ。
80年代。偉大なるゲーマー達の時代。あの頃僕は小学生で、いくつもの挫折を味わった。

バネ or not?

2006-07-21 03:41:02 | ゲーム
ワールドカップが終わって、完全にサッカー熱が冷めた。ブームに乗じて一気呵成に増えていただけというのが真相だろうから、仕方ないことではあるのだけれど、これほどわかりやすく冷えるとさびしいものがある。
流行り廃りは世の常。それはゲーム業界にもいえることで……。

ドラクエでもFFでもなく、シューティングゲームがキラーソフトだった時代があった。今では信じられないことだが、キャラバン大会なる催し物が全国で開かれ、シューティングゲームの上手い子供がヒーローだった時代がたしかにあった。
ゲームセンターCXを見ながら、そんな時代のことを思い出した。
連打マンセーのあの頃は、シュウォッチなる連打速度測定器具があり、仲間内で競い合ったものだった。
俺の速度は10秒間に121。つまり秒間12連打できた。仲間内では早いほうであり、自分でも得意にしていたのだが、上には上がいる。
その頂点に君臨していたのが高橋名人だった。帽子にもじゃもじゃ頭がトレードマークのおっさんが、当時の子供たちの神だった。
ゲームセンターCXの中の有野の挑戦というコーナーにおいて、スターフォースのラリオス5万点攻略(ラリオスが合体する前に倒すとスペシャルボーナスとして5万点ゲットできる)に挑戦していた折、有野があまりにも下手なのを見かねたスタッフが助っ人を呼んだわけだが、その招聘に応じたのが高橋名人だった。
ひさしぶりの登場に、思わずおっと声が漏れた。年のせいか頭はスキンヘッドになっていたが、子供のように細められた目はあの頃のままだった。
腕のほうも錆付いてはいなかった。軽快な動き。連射パッドでも使っているかのような16連射。ラリオスを簡単に攻略すると、名人は颯爽と帰っていった。

昔、名人にはバネでも使っているんじゃないかという疑惑が持ち上がったことがあった。
その疑惑を聞いた本人が「それいいな」と思って試したらしいが、ボタンが押せなくなるのでダメだとかなんだとか。

加速度的年齢進行

2006-07-20 00:05:58 | TIIDA
 法定1年点検の葉書が届いた。
 去年の同じような時期、借り物のマーチに別れを告げてティーダを買った。
 一番最初の車が中古のミラだったから、新車を買うのは生まれて初めてということになる。人並みに愛着も湧き、色々と手を加えた。エンジンスターターにHDナビ、17インチのアルミホイールを買ったらはみタイヤを指摘され、やむなくオークションで購入したフェンダートリムは薄すぎて、はみタイヤ対策にはならなかった。
 苦い思い出とともに15000kmも走った。いつの間にか、それほどの距離を走っていた。

「年をとると、1年なんてあっという間だよ」
 という人は多い。時間は絶対的なものだから、年をとってようがとってまいが速度自体は変わらないはずだ。だけど実感として、速度の違いを感じることがある。
 それはなぜか。要は受け止め方の問題なのだ。
 人間は「慣れる」生き物だ。日々の情報を処理することに慣れると、処理するのに手間がかからない基本情報が増えていく。自然、印象に残らない出来事が増えていく。そこに、スピード感の差異を生む土壌がある。
 老ければ老けるほど、時が経つのは早い。そんな一般論にも、根拠はある。

SAW2

2006-07-18 00:01:49 | 映画
俺がホラー映画を愛するのには理由がある。
背筋も凍るような恐怖。圧倒的なスリル。絶体絶命の状況。それらを打破することに快感を覚えるからだ。
この辺、「積み重ねれば誰でも勇者になれる」RPGと似ている。最後には自分が勝つことがわかっている勝負ほど、楽しいことはない。ホラー映画にもそういう部分がある。どんな化け物や怪物、呪いに襲われても、主人公はなかなか死なない。ぎりぎりの所をすり抜けて、最後は勝利を掴む。
だけど、中には例外もあって……。

「SAW2」は、題名を見ても分かるとおり、衝撃的なシチュエーションホラーとして大ヒットした「SAW」の続編だ。
もちろん、主人公はむごい最期を迎える。
1でもっとも気に入っているのは絶叫だ。絶対に助けの訪れることのない密室で、主人公が上げた苦しみの声。今まで数多くのホラー映画を見てきたが、あれほど恐ろしい声を聞いたことがない。
報われぬ努力。追いつけぬ犯人。自分の命が助からぬと知った時の、あらがってもどうにもならぬと知った時の、その無力感。
「SAW」は絶望を描いた映画だ。ギミックや謎解きは飾りに過ぎない。
「SAW2」……やってくれた。ギミック、謎解きの精度が上がったのもさることながら、ラストに1作目のあの部屋にいく一連の流れにはぞくぞくとさせられた。
「助からない」ホラー映画の怖さ。
主人公刑事が最後に見た光景が、今も目に焼きついて離れない。

宝探しの過去と現在

2006-07-15 23:16:06 | マンガ
激しい雨が路上に叩きつけていた。頭上で爆発でもしたように、雷の音が近くに聞こえた。
店の前に自転車を止めると、半分がた濡れてしまったバッグを肩にかけた。傘を畳んで入り口の傘立てに入れると、急いで店内に入った。
チャイムが鳴ったが店員の声は聞こえなかった。マットの上で足踏みし、身震いして雨粒を飛ばし、ハンカチで腕を拭いた(それが仁義というものだ)。間隔の狭い書棚の間にマンガのコーナーを探した。
違う。
これも違う。
上から順に、背表紙を眺めていく。見慣れたタイトルの色やフォントを瞬間的に視界から弾き飛ばしながら、高速で作業を進める。それはゆっくりとしたスクワットにも似ていた。
ぞくりとしたのは雨のせいか、感動か。3度目のスクワットの最中、書棚の中央にその本はあった。

中学高校と、古本屋巡りが趣味だった。
一般の書店で買うよりも安価にマイナーな書籍が購入できる点が、なんだか宝探しのようで楽しかった。
家から20キロ圏内の書店は、すべて自転車で制覇した。時に何十キロもの遠征に出たこともあるが、そういう時はかえって成果が上がらなかった。文化の密度からいっても、市内を出て市外へ向かう利点はあまりなかった。
やり方は人によって異なるのかもしれないが、俺の場合はいくつかのタイトルや作者名を頭の中に思い描いていて、なじみの店舗をローテーションしながらピックアップしていく。なければ純然たる宝探しに移行する。といった手法をとっていた。
「でもホントはカバが好き」というマンガがある。作者は桐嶋たける。気の抜けたようなタイトルだが、俺が探したマンガの中で、もっとも手を焼いた作品だ。何せ探し始めた時点で絶版になっていた。さらにマイナーなタイトルなので購入者自体が皆無に近く、古本としての絶対数も知れていた。
一緒に古本屋巡りをした同胞も同じ本を探していたが、探し当てる前に高校を卒業し、上京してしまった。
ある日、ある豪雨の日に俺はその本を探し当てた。狭い路地に隠れるようにして建っていた未踏査の古本屋の書棚の中央に、ひっそりとしてあった。
「でもホントはカバが好き」を手にとりながら、東京にいった同胞に発見の報告をした。携帯越しに同胞の悔しがる声が聞けるだろうと想像し、俺は得意になっていた。だが、反応はつれないものだった。
「そうなんだ」という言葉に、「まだそんなことやってるの?」というような、冷めたニュアンスを感じた。

amazonで本を注文しながら、ふとそんなことを思い出した。
窓の外はあの日と同じような豪雨で、俺は風邪をひいている。
ネットを通じてどんな本でも手に入る時代に、そんな昔のことを思い出した。

ブレイブストーリー ~その後~

2006-07-14 20:48:26 | 映画
「ブレイブストーリー」を見た。
せいぜい4、50人程度しか入れないような上映室が、観客で一杯になっていた。座席に座れない人はパイプ椅子に座っていて、それもできない人は立ち見をしていた。
客層は親子連れがほとんどで、若干中高生が混じる程度。カップルで来ている人は皆無だった。

深夜に「ブレイブストーリー」の特番をやっていた。ウエンツがリポーターとしてアメリカやフランスや、日本のアニメの製作現場に飛び込んでいた。
世界での評価や製作裏側などはどうでもよかったので、視点についてだけ注視していた。今回フジテレビがアニメを作るにあたって重要視したポイントはどこなのか。どうして「ブレイブストーリー」なのか。べたべたなストーリーの中に感じた違和感はなんなのか。
ディレクターは語る。万人に受け入れられる普遍的に面白いものを探したらこの作品に出会った。この作品は現実逃避と地に足をつけて生きていくことを書いた物語だと。
現実逃避という単語を聞いた瞬間に、すべてが腑に落ちた。
一見幼稚なストーリーは狙いであり、罠だったのだ。感性の素直な子供たちにはシンプルなアニメとして、ひねくれた大人たちには裏を読まなければ楽しめない物語として、絶妙なバランスを保った設定だったのだ。
つまりラストの一連のシーンが物語の主題で、最後のワンカットは救済措置だったというわけで……。
いつの間にか大泉洋がウエンツをくって出ずっぱりだったのも、ひとつの現実には違いない。

信じる人たち信じない人たち

2006-07-13 04:27:47 | 会社
KBという後輩がいる。なんの用語とも一切関連はなく、ただ本名を記号化しているだけだ。だからもちろん日本人で、八戸なまりがすこしある。
そのKBに恋人ができた。地元の住民で、駅前のスーパーでレジ打ちをしているらしい。らしい、というのはまだ見たことがないからだ。仕事が忙しい、という以上に二人が付き合い始めてまだ一週間程度だから、純粋に機会がなかった。
普段、同僚の男同士での女の話題にも付き合わないようなKBだから、彼女ができた、と聞いた時は驚いた。こいつにもそういう部分があるんだな、と感心した。新たな発見をした学者の気分がわかった。興味深い。
しばらくは順調だったのだ。KBは嬉々としてのろけ話をしていたし、不埒にも仕事中にメールを交わしたりしていた。30分メールが帰ってこないだけでイライラしたりすねたりする姿は、ある種の動物を連想させた。
その二人の仲が、いきなり崩壊した。
ある日、KBが仕事帰りのコンビニ前で待ち伏せていた。「ちょっと部屋に行っていいですか」と、なんだか思いつめたような表情で近寄ってきた。
部屋に入るなり、PCを指差して言った。
「ちょっと調べてもらいたいことがあるんですが。いいですか」
「いいけど何?」
「宗教のことで」
「……マジすか」

僕の祖母は、とある宗教団体に入っていた。かなり有名な団体で、政界にも多くの人間を送り込んでいた。
小さい頃から信心を叩き込まれた。学校に行く前に、行った後に、仏壇に手を合わせお経を唱えるように教えられた。それがお前を救うからと、お前のためなのだからと。
幸い、というべきか。僕は無神論者だった。神に救われたことなどないし、まして何かにすがって生きようなどと考えたこともなかった。人は己の足で立つべきだ、というのが僕なりの宗教だった。それは小学生の頃からで、ずっと今も続いている。
だから、手を合わせお経を唱えても俺の心は仏の元にはなかった。ある種の親孝行だと思い、その「行為」を行っていた。僕の一家では祖母のみが宗教にはまっていたが、家族の冷ややかな視線を浴びる祖母を見て、ずっとかわいそうだと思っていた。団体の活動のビデオを見せられた時も、成人して選挙の時に特定の人物・党に投票しなさいといわれた時も、心の中は同じような感情で満たされていた。
その祖母が他界したのは去年の3月のことだ。葬儀に出席する人たちの中に、団体の関係者や地域の導師がいた。
「ある意味楽だったね」
後になって、両親は団体のことをそう評した。彼らは信者の葬儀のために尽力してくれた。広報活動、といった意味合いもあったのかもしれないが、それはそれで感謝こそすれ文句をいう筋合いではない。祖母亡き今、団体との付き合いは一切ないが、悪い印象はなかった。

「彼女に勧誘されたんですよ」
青ざめた表情のKBに、俺の経験を聞かせた。元葬儀屋をやっていたという隣の部屋のWも加わり、団体に関して色々と話した。
俺としては団体に対してマイナスイメージがないし、後輩に幸せになってもらいたかったから、宗教というだけで拒否するのは勧めなかった。
だが、結果はおそらく破局だ。
試しに開いてみたネットの記事に、「実弾」とか「右翼」とかの、団体に関しての黒い情報が書かれていた。KBの拒絶反応はピークに達した。
「色々聞けて良かったですよ。ありがとうございます」
そういいながら帰っていった。表情に、間一髪だったというような安堵の表情があった。

ブレイブストーリー

2006-07-12 07:49:58 | 映画
「ブレイブストーリー」を見た。
せいぜい4、50人程度しか入れないような上映室が、観客で一杯になっていた。座席に座れない人はパイプ椅子に座っていて、それもできない人は立ち見をしていた。
客層は親子連れがほとんどで、若干中高生が混じる程度。カップルで来ている人は皆無だった。

宮部みゆきという作家について知っていることは、多くない。「理由」という作品を読んだことがある。発火能力者の女の子が出てくる映画を見たことがある。「模倣犯」は…あれは宮部みゆき作だっただろうか?そのくらい。隣でポップコーンを頬張るAよりはややまし、といった程度。ただ、しっかりしたものを作る人だな、という認識はあった。それは「理由」を読んだ時に受けた感覚で、あながち間違いでもないだろうという自信があった。
だが今回は子供向けの映画ということもあり、また作者自身がゲーマーだということもあり、まるでRPGのムービーを見ているようなストーリーだった。つまり幼稚なということだが、それもあるいは狙いだったのだろうか。意図的な罠なのか。
主人公ワタルは優しい両親にぬくぬくと育てられた小学生で、ほとんど苦労もなく育った。それがある日壊れる。父が他の女と暮らすため家を出、そのショックで母が倒れて病院に運ばれた。そしてワタルは決意するのだ。いつか廃屋で見たビジョンという世界に飛びこみ、崩壊した家庭を修復しようと。
隣のAは、自分で見たいといったくせに舟を漕いでいた。ワタルが母についていてやらずにビジョンなんてあやふやな世界にいってしまったことが気に入らないらしく、上映後もしばらく不満げな表情を浮かべていた。
俺もそこは疑問だった。離婚なんていうやたら現実的な話を持ち出してきておいて、なぜ異世界に賭けようという結論になるのか。現実の戦いと夢の戦いは違うのじゃないか。色んな問題が一気に押し寄せてきてゲシュタルト崩壊を起こしたのだとしても、逃げ出しちゃならない局面っていうのがこの世にはいくつかあって…。
あるいはラストシーンがそれにあたるのだろうか。これはただのハッピーエンドではなく、これから始まる長い戦いのスタートラインだという予告だったのか。原作を読んでいない今、結論は出せない。

「銭」鈴木みそ

2006-07-09 08:44:17 | マンガ
例えば事故に遭って命を落とした時、失われるものが多くある。命そのものはもちろんそうだし、その人が生きて一生を送った時に得られるはずだった利益だって、変な話だが失われている。
逸失利益の計算は、差別化することによって行われる。
性別は?学歴は?特別なバックボーンでもない限り、全年齢の平均賃金が基本的な年収となる。
その総合計から生活費を抜き、銀行の金利分(総合計自体が銀行に預けて金利を得ていたという仮定の上で成り立っている)を抜き、事件における被害者の過失分を抜く。プラスは治療費、入院費、慰謝料、葬儀代などで、ひっくるめた値が賠償金になる。
将来どうなるかはわからないはずの、人間の命の値段。世の中にはそんな数学もある。

小さい頃、夕食時にテレビのニュースで夏のボーナスの話題が出ていたので、うちのボーナスはどうだったのか父に聞いた。
するといきなり怒られた。そういうものは聞くものじゃない。恥ずかしいことだ。すごい剣幕だった。
士農工商、なんて身分制度を見ても分かるとおり、日本人には金を扱うことに関する恥の概念がある。商人というのは恥ずべき職業で、お金自体卑しいものだ。
俺の親も、典型的日本人の例に漏れず、お金のことをあまり口にしなかった。俺自身、父に叱られた一件以来、お金のことに触れなくなった。
それはいいことでもあり、悪いことでもある。
いい面は、自分の中に「恥じる」という概念が備わったこと。悪い面は、お金に関してあまりにも無頓着すぎること。

鈴木みその「銭」という漫画は、事故に遭い命を落とした少年が、幽体として、学校では教えてくれないお金の知識を学んでいく漫画だ。ちなみに第一回が、逸失利益の計算方法だった。
悲しみに暮れ、怒りに燃える遺族に叩きつけられる、容赦ない命の値段。薄っぺらい紙の束に計られるということ。
理解はできるけど納得できないような、そんな複雑な気分だ。