読書が好きだ。
いや、もはや好きとか嫌いとかいう範囲を越えて、読書は私の生活に密着している。私の1日にすることといったら、「起きる。なにか読む。食べる。なにか読む。食べる。仕事をしてみる。食べる。なにか読む。食べる。なにか読む。寝る」である。ちょっと食べすぎじゃないか。もちろん食べているときにも、なにかを読んでいる。本が手近にないときは、郵便受けに投げこまれたマンションのチラシを読みながら食べる。
「三四郎はそれから門を出た」三浦しをん
題名からではちょっと想像もつかないのだが、本書は直木賞受賞作家、三浦しをんによるエッセイ集だ。上記のまえがきからも読み取れるように、活字フリークの著者の本に対する愛を描いた内容となっている。
村上春樹からヘルガ・シュナイダーに至るまで、まったく脈絡のない乱読はさすがのフリークぶり。書評の命ともいうべき脱線も、なかなかユーモアにあふれていて楽しい。大体京極夏彦と弁当を関連付けさせる時点ですでに只者ではない。
というとまるで書評しか載っていないように思われるかもしれないが、どっこいそれ以外も載っている。実際、書評の占める割合は6章120題の半分程度。残りの半分は、もはや妄想としか呼べないような筆者の想像にまつわる内容だ。白鳥ボート(湖に浮かんでいる足漕ぎのあれ)が好きで、ベルバラを偏愛するあまり海外旅行を計画し、弟とその親友(男)の禁断の愛を疑う筆者。そんな、誰の中にもある歪んだ部分をくっきりはっきり鮮明にしてしまったような筆者の心の動きが面白い。
「私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の一本勝負」なんだよ!」
並々ならぬ決意を秘める筆者の、面白く怖く儚く時に悩ましい、本にまつわる様々の思い入れは、しかし癖がなく軽やかで小気味よくパンチが効いて読みやすい。思わず本屋へ走り出したくなる読後感も含めて、なかなかお薦めの一冊だ。
いや、もはや好きとか嫌いとかいう範囲を越えて、読書は私の生活に密着している。私の1日にすることといったら、「起きる。なにか読む。食べる。なにか読む。食べる。仕事をしてみる。食べる。なにか読む。食べる。なにか読む。寝る」である。ちょっと食べすぎじゃないか。もちろん食べているときにも、なにかを読んでいる。本が手近にないときは、郵便受けに投げこまれたマンションのチラシを読みながら食べる。
「三四郎はそれから門を出た」三浦しをん
題名からではちょっと想像もつかないのだが、本書は直木賞受賞作家、三浦しをんによるエッセイ集だ。上記のまえがきからも読み取れるように、活字フリークの著者の本に対する愛を描いた内容となっている。
村上春樹からヘルガ・シュナイダーに至るまで、まったく脈絡のない乱読はさすがのフリークぶり。書評の命ともいうべき脱線も、なかなかユーモアにあふれていて楽しい。大体京極夏彦と弁当を関連付けさせる時点ですでに只者ではない。
というとまるで書評しか載っていないように思われるかもしれないが、どっこいそれ以外も載っている。実際、書評の占める割合は6章120題の半分程度。残りの半分は、もはや妄想としか呼べないような筆者の想像にまつわる内容だ。白鳥ボート(湖に浮かんでいる足漕ぎのあれ)が好きで、ベルバラを偏愛するあまり海外旅行を計画し、弟とその親友(男)の禁断の愛を疑う筆者。そんな、誰の中にもある歪んだ部分をくっきりはっきり鮮明にしてしまったような筆者の心の動きが面白い。
「私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の一本勝負」なんだよ!」
並々ならぬ決意を秘める筆者の、面白く怖く儚く時に悩ましい、本にまつわる様々の思い入れは、しかし癖がなく軽やかで小気味よくパンチが効いて読みやすい。思わず本屋へ走り出したくなる読後感も含めて、なかなかお薦めの一冊だ。