はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

三四郎はそれから門を出た

2007-03-31 14:01:11 | 小説
読書が好きだ。
いや、もはや好きとか嫌いとかいう範囲を越えて、読書は私の生活に密着している。私の1日にすることといったら、「起きる。なにか読む。食べる。なにか読む。食べる。仕事をしてみる。食べる。なにか読む。食べる。なにか読む。寝る」である。ちょっと食べすぎじゃないか。もちろん食べているときにも、なにかを読んでいる。本が手近にないときは、郵便受けに投げこまれたマンションのチラシを読みながら食べる。

「三四郎はそれから門を出た」三浦しをん

題名からではちょっと想像もつかないのだが、本書は直木賞受賞作家、三浦しをんによるエッセイ集だ。上記のまえがきからも読み取れるように、活字フリークの著者の本に対する愛を描いた内容となっている。
村上春樹からヘルガ・シュナイダーに至るまで、まったく脈絡のない乱読はさすがのフリークぶり。書評の命ともいうべき脱線も、なかなかユーモアにあふれていて楽しい。大体京極夏彦と弁当を関連付けさせる時点ですでに只者ではない。
というとまるで書評しか載っていないように思われるかもしれないが、どっこいそれ以外も載っている。実際、書評の占める割合は6章120題の半分程度。残りの半分は、もはや妄想としか呼べないような筆者の想像にまつわる内容だ。白鳥ボート(湖に浮かんでいる足漕ぎのあれ)が好きで、ベルバラを偏愛するあまり海外旅行を計画し、弟とその親友(男)の禁断の愛を疑う筆者。そんな、誰の中にもある歪んだ部分をくっきりはっきり鮮明にしてしまったような筆者の心の動きが面白い。
「私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の一本勝負」なんだよ!」
並々ならぬ決意を秘める筆者の、面白く怖く儚く時に悩ましい、本にまつわる様々の思い入れは、しかし癖がなく軽やかで小気味よくパンチが効いて読みやすい。思わず本屋へ走り出したくなる読後感も含めて、なかなかお薦めの一冊だ。

箱の中の天国と地獄

2007-03-27 20:15:22 | 小説
「箱の中の天国と地獄」矢野龍王

矢野龍王……マイナーなので知っている人は少ないかもしれない。高見広春の「バトルロワイヤル」、貴志祐介の「クリムゾンの迷宮」などに代表される、いわゆるデスゲーム系の作品を得意とする作家だ。というよりはその手のものしか書いていない。デビュー作の「極限推理コロシアム」、2作目の「時限絶命マンション」共に、限定空間でのサバイバル・サスペンスを題材としている。3作目にあたる本作もご多分に漏れない。
極秘の実験施設で育った少女真夏と真冬は、ある日般若の面を被った謎の人物に襲われ意識を失う。目覚めたときには出入り口を封鎖された施設のエントランスに寝かされていた。周囲には、同じような境遇にある人間が4人。皆殺しにあったらしい施設の人間の死体の山と、箱がふたつ。戸惑う彼女らの前に般若が現れ、厳かに告げる。これから始まるのは施設脱出のための二者択一ゲーム。同フロアにふたつずつある箱のうちどちらかを選び、25階ある施設から生きて出ることが最終目標の死のゲーム……。
容赦のない始まり方は、この手の作品特有のもの。さすがに3作も同じジャンルの作品を書いているだけあってこなれているのか、「トンデモな状況に投げ込まれた登場人物たちが、圧倒的に少ない情報量と理不尽な扱いに耐え、知恵と勇気を振り絞って法則性を見出し、ゲームを攻略していく」という醍醐味は十分に味わえる。拙い文章力と恣意的すぎる話の進め方、ツッコミどころ満載のキャラたちと有り得ないオチに目を瞑れる人なら、読んでも損はない……まあ大多数の人は損するわけなんだけど……。シチュエーションにぴんときた人なら……きっと……。

「すもももももも~地上最強のヨメ~(1)」&「ホーリーランド(14)」

2007-03-26 14:51:07 | マンガ
「すもももももも~地上最強のヨメ~(1)」大高忍
犬塚孝士は、自分が代折羅不動心眼流古武術の継承者であることが嫌だった。父とその周辺に生きる常識の埒外にある人々から逃れるように、自らに常識を言い聞かせながら生きてきた。すべてはトラウマのせいだ。幼い頃、好きな女の子の目の前で悪ガキたちに素裸に剥かれるという屈辱を受け、以来武術を、暴力そのものを遠ざけるようになった。眉目秀麗で学に秀で、女子の注目の的にも関わらずどこか斜に構えた態度しかとれないのはそのためだ。クラスの中の、不良というほどでもないのに悪い生徒に脅されただけで屈してしまう卑屈さ、心底の脆さ。それが検事を目指すほどの正義心の強さと相反し、心の中に澱を作っている。
そんな彼に転機が訪れた。波夷羅一伝無双流後継者の九頭竜もも子だ。彼女は女の身で武の道を極めることの難しさを知り、父親のライバルの子にして許婚である孝士のもとに身を寄せにきたのだ。純真で無垢で、バカがつくほど正直なもも子のアタックを、孝士は拒絶する。だって彼女は初恋の相手なのだ。自分の最も醜い姿を見られてしまっている人物なのだ。しかも彼女の中では自分は理想の男性に美化されてしまっている……そんなギャップに耐えられるわけがない。何より自分が。なぜなら自分にだけは嘘がつけないから。
それでも時は進み、日常は歩き出す。もも子との大騒ぎの学校生活、孝士の命を狙う刺客たち。姑息な手段ながらも刺客との決闘に勝ち、勝てはしなかったけれどクラスの悪い連中を前に一歩も退かず……いつしか孝士は、トラウマを克服しつつある自分に気がついた。そして、それを支えてくれるもも子という存在のありがたさにも。
人気の格闘(?)ラブコメ第1巻は、予想していたよりもハードな内容だった。ギャグ要素も恋愛要素もそれなりだが、主人公のトラウマをまっすぐに見つめているところに好感が持てる。

「ホーリーランド(14)」森恒二
いじめられっ子がボクシングを覚えて夜の街に繰り出し、不良相手にガチンコバトルを繰り広げるシリーズ第14巻。
キックボクサーヨシトとの戦いでレベルアップし、足を使った新たな戦い方ができるようになったユウ。足立から遠征してきた大柄なボクサーをローから崩してあっさりと勝利を掴むも、ドラッグの売人が引き連れる総合(!)格闘家の存在が背景に見えてきて、それがまた緊迫感を生んでいる。その他のストーリー部分は、13巻の後半から始まった伊沢のトラウマとカリスマ伝説の成り立ちに関すること。手首に残った傷跡の理由までが明かされる。
折れた心と、それを許せない自分、という「すもももももも~地上最強のヨメ~」と似たような出発点なのだけど、タッチだけでここまで違うものになるのだな、と感心してしまった。

硝子のハンマー

2007-03-23 00:15:17 | 小説
「硝子のハンマー」貴志祐介

「クリムゾンの迷宮」以降、ホラーからミステリ寄りになったベストセラー作家貴志祐介初の本格ミステリ。「青の炎」で見せた緻密で淡々としたロジックの積み上げ手法はそのまま、斬新な密室トリックと個性的なキャラ立てで完成度の高い傑作を完成させた。
介護事業を営むベイリーフ社は、株式上場目前の重要な時期にあった。その日曜も、社長から副社長・専務の重役以下多くの社員の姿が六本木センタービルには見られた。通称ロクセンビルと呼ばれるそのビルの最上階の社長室で、社長が殺された。昼下がりの午睡に姿を消し、そのまま帰らぬ人となった。しかし社長室のある最上階から外へ通じる非常階段は警報付きで、内階段にはオートロックがあり、廊下にはセンサー付きの監視カメラ、エレベーターには関係者しか知らない暗証番号のロックがなされ……何より事件当時、フロアは有人だった。
容疑者にされた専務の弁護を担当する青砥純子は、防犯コンサルタントの榎本径と共に事件解決にあたるのだが、調べれば調べるほど謎の深まる密室トリックに悩まされるのだった……。
というのが大雑把なあらすじ。セキュリティを破っての侵入というくくりでは先頃読んだ「ブレイクスルー・トライアル」と被るが、こちらは本格ミステリかつハウダニットが主とあって、趣が異なる。さらに貴志祐介らしく防犯に関する知識を完璧に仕入れてきているので、読むほうは安心して読める。
青砥純子が独創的な仮説を立て、それを榎本径が一つ一つロジックと実践で潰していく前半の出題パート。殺人犯の主観による独白をベースに、如何にしてこのトリックを行ったかということが事細かに書かれているのが後半の解答パートで、これが圧巻。ねちっこさというか、絡みつくようなディティールの細かさでぐいぐい押してくる。
もうひとつの売りはキャラクターだ。犯罪を憎む強い意志と、自立した女のプライドの高さ、清楚で知的な外見に運動神経まで兼ね備えた弁護士。青砥純子。セキュリティに関する知的好奇心と、職人気質、色白で繊細なイメージと相反する鍛え上げられた肉体を持つ泥棒兼防犯コンサルタント。榎本径。二人の立場も個性もまったく異なるキャラクターが、それぞれの持ち味を生かしながら犯罪者を追い詰め、そして少しずつ心を通わせていく姿はとても刺激的で、目が離せない。記憶にある限り、こうゆうキャラ立ては貴志祐介初の試み。長い執筆期間は伊達じゃないといったところか。成長を止めないこの男の次回作に期待だ。

ソードフィッシュ

2007-03-19 22:40:06 | 映画
「ソードフィッシュ」監督:ドミニク・セナ

スタンリー・ジョブソン(ヒュー・ジャックマン)は、テキサスの片田舎にある寂れた工事現場で管理人として働いていた。あられもない格好でゴルフの練習をしたり、別れた女房に連れて行かれた娘ホリー(キャムリン・グライムス)のことを恋しがったり、かつての天才ハッカーの面影はどこへやら、の侘しい生活。そんなスタンリーのところへ、ジンジャー(ハル・ベリー)と名乗る女が現れる。知的で、性的魅力に溢れたジンジャーの導きで、スタンリーはガブリエル・シアー(ジョン・トラボルタ)という謎の男にひきあわされる。
ハッカーとしての実力を確かめたいというガブリエルの求めに半ば無理矢理応じさせられたスタンリーは、美女が股間に顔を埋めてくるという極限の状況の中、わずか1分で国防総省のシステムに侵入を果たしてみせる。その能力に満足したガブリエルは、あらためてスタンリーに仕事を依頼する。内容は、かつてソードフィッシュと呼ばれる作戦で、DEA(麻薬取締局)が不正に儲けた莫大な裏金95億ドルの奪取。敵はワールドバンクの512ビットのバーナム暗号。報酬は1000万ドルと、法的にホリーを取り戻すこと……。
「ザ・ハッカー」、「ウォー・ゲーム」、「サイバーネット」など、ハッキングもしくはクラッキング(簡単にいうと侵入して何もしないのがハッキング)をテーマにした作品というのは多くある。しかしいまいち成功例に心当たりがない。それは多分、ハッキングという行為自体がわかりにくいし、映像にすると見栄えがしないからだ。3Dにソースコードを並べてみたり、具象的なプログラム塊をモニタに浮かべてみたり、頑張って視聴者向けの映像を作りはするのだが、無理矢理感が拭えないために大抵不発に終わる。本作は、その中では白眉にあたる。リアルさ(ケビン・ミトニックのようにコンピュータ及びネットに接続できるあらゆる機器に触れることの許されない立場におかれているスタンリーのブランクの表現とか)と、ハッキング以外にも様々な要素を組み合わせた結果、上質なクライムアクションを作り上げることに成功した。
ジョン・トラボルタ演じるところのガブリエル・シアーは、目的のためなら手段を選ばない男だ。彼はいう。1人の罪のない人間のために他の多くの者が生き残れるのなら、何をしても構わない。その1人がたとえ10人でも100人でも1000人だったとしても知ったことではないのだと。内容と裏腹に、口調はあくまで気楽だ。友達同士でバカ話をしているように陽気に語る。反面、狂気を滲み出させ、暴力性をちらつかせ、スタンリーを威圧し服従させようとする狙いがある。部下の心酔は、おそらくそうやって勝ち得たものだろう。テロリストの論理が力を纏った時の怖さにはぞくりとさせられる。
この映画のポイントはそこだ。ガブリエルという男の持つ圧力が視聴者に考えさせるもの。何が正義なのか何が悪なのか。そういった答えの出ない曖昧な倫理の境界線と、現実世界におけるテロ対耐テロのせめぎ合いの構造も含めて初めて、この映画の本当の面白さが堪能できるのだ。

トム・ヤム・クン!

2007-03-17 20:00:18 | 映画
「トム・ヤム・クン!」監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ

タイの激辛料理の名を授かったこの作品は、「マッハ!」でムエタイ旋風を巻き起こした同監督によるアクション映画だ。「マッハ!」であげた莫大な興行収入と慣れ親しんだスタッフ達による世界進出第1弾は、さすがの出来栄えとなっている。
タイの王族の戦闘象を守るムエタイ戦士の村に生まれたカーム(トニー・ジャー)は、水かけ祭の日に二頭の象を連れ去られてしまう。犯人の国際密輸組織を追ってオーストラリアのシドニーに飛んだカームは、現地のタイ人であるマーク(ペットターイ・ウォンカムラオ)、プラー(ボンコット・コンマライ)らと共に組織のアジトを突き止めるのだが、そこにはマダム・ローズ(チン・シン)率いる怪しげな用心棒と無数の私兵達が待ち受けていて……。
というのが基本のストーリーだが、正直そんなものはどうでもよい。どことなく織田祐二に似た顔のトニー・ジャー。この男のアクションにただただ圧倒されるのが正しい見方。神速のミドルキックや伸びる飛び膝。翻転自在の肘。象の形を模したという絡みつくような関節技などの派手な側面に加え、膝を踏み砕く、鎖骨を折る、腱を切るなどの情け容赦ないリアルな面も見せる一連の殺陣には、ブルース・リーにもジェット・リーにもない凄みがある。
さらにはワイヤーもスタントも一切使わない、トニー・ジャーならではの尋常ではないアクションの数々も見ものだ。タイの川での高速ボートによるチェイス。闇の料理店での4分間長回しの連続バトル。組織のアジトでの数十人にも及ぶ私兵とのサブミッションバトル。飛行するヘリからぶら下がる敵への飛び膝に至っては、言葉も出ないど迫力。それらを成し遂げたトニー・ジャーの体力、集中力、そして勇気に対し、敬意を表したい。経済政策の失敗と政情不安定で揺れ動くタイの現状を打破する力になれば……なんていうのは大げさかもしれないけど、すくなくともタイ国民が世界に誇れるもののひとつには違いない。

ブレイクスルー・トライアル

2007-03-14 22:17:43 | 小説
「ブレイクスルー・トライアル」伊藤旬

下手な直木賞受賞作よりも売れてるとかいう噂(本当だとしたら嘆かわしい)の「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。という割には小粒な印象の本作。
北海道の原野に聳えるハイテク・セキュリティ研究所に忍び込み、規定のマーカーを持って来れれば1億円。耐障害性を宣伝する為の公開セキュリティアタック……ようは金庫破りのお話。主人公門脇は当該セキュリティ会社の元スタッフで、旧友丹羽の誘いに応じてこのレースに参加した。他にも宝石店強盗班のチームやそれを追う探偵。探偵の父親で研究所を警備する頑固一徹な管理人。同研究所の警備ロボット軍団。ライバル会社のメガネーズなど個性豊な面々が、それぞれの思惑を抱えながら丁々発止の鍔迫り合いを繰り広げる。ハイテク知識やセキュリティ知識を生かしての侵入あり、銃器やはてはロケット砲まで使った侵入あり、複雑に絡まりあったタイミングが生み出す結果とは……。
レース開始前の前振りに166ページも使う大胆な構成。それに反したスケールの小ささ(1億円て)。キャラクター同士のやり取りにウエイトを置いているくせに類型的なキャラクター像と、広げたまま投げっぱなしの背景。疾走感で一気に読ませる狙いのくせに、コメディにしては重すぎ、シリアスにしては軽すぎるちぐはぐ加減……。
それでもまあ、ネタがネタだけに大きく外すこともなく地味に読める。セキュリティやハイテク関連の知識は興味深いし、門脇と丹羽の青臭い友情も悪くない。作者自身が(おそらく)映像を文章にする感覚で書いているせいか、小説よりは2時間ドラマなどの映像作品としてのほうが光り輝けるのではないだろうか。

ボーン・スプレマシー

2007-03-12 20:09:34 | 映画
「ボーン・スプレマシー」監督:ポール・グリーングラス

あれから2年。CIAの秘密プログラム「トレッドストーン」によって養成された殺人機械ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は、いまだ記憶を取り戻せないでいた。時折訪れるノイズのような悪夢に苛まれながらも、恋人マリー・クルーツ(フランカ・ポテンテ)の献身的なサポートの甲斐もあって、平和な日々を送っていた。インドのゴアでのささやかな安息。彼の記憶の大部分を占める愛の日。それは決して長続きすることもなく……。
マリーが殺され、インドを出たボーンは、フランス、ドイツ、ロシアと旅する。自らの命を守るため、マリーの仇を討つための強行軍。銃器、格闘技、爆発物の知識に自動車の操縦、記憶の奥底に根付いた圧倒的な技を駆使して追手を蹴散らす。その先にあるものは何か。ボーンを罠にかけ、闇の中に息を潜める者の正体とは……。
「ボーン・アイデンティティー」から2年。監督が変わり、どうなることかと思ったシリーズ第2作だが、さすがはポール・グリーングラス、あっさりと前作を凌駕してみせた。いきなり開始20分でヒロイン殺して、そのあとは畳み掛けるようなアクションにつぐアクション。ラストの10分間にも及ぶカーチェイスに至るまで、息つく暇も与えないど迫力のシーンの連続。そこに「ユナイテッド93」でも感じられた、乾いた価値観や死生観のスパイスを加えて、素晴らしいハードボイルド作品に仕上げた。正直「よく出来たスパイアクション」程度のレベルでしかなかった本シリーズに、決定的な方向性を与えてくれた。
マット・デイモンは完全にボーンのキャラを掴んだようだ。アクションはもちろん、メロウな演技にも迷いが感じられない。戦いの合間に見せるふとした視線やたたずまいで、ボーンという男を完全に表現しきっている。
おそらく出るだろう続編。その完成が待ち遠しくてならない。

なにもしてない

2007-03-12 11:55:49 | 小説
父の入院している病院に見舞いにいった。二人部屋だけど手狭な病室で、父と母と姉との4人も揃えば居場所がない。二つある椅子には姉と俺が座り、ベッドの端に母が座った。
病状の変化などを訊ねながら、父の様子を窺う。ずいぶんやつれた。筋肉が落ち、皮が垂れ下がり、顔色が悪い。手術後だから当然なのだけど、それだけでもない気がした。加齢からくる心の衰えが、見た目に隠せなくなった。あれほど強かった父が、権威の象徴だった父が、ひたすら死に向かっている。
不意に酒が飲みたくなった。いい酒ではない。すべてを忘れる酒だ。もうどうにもならぬものを見送る酒だ。
俺はいい息子ではなかった。困窮しないだけの生活と、健康な体と、結婚を目前にした恋人。それでも……たぶん、父はもっと上を見ていた。一般に成功者と呼ばれるような類の、胸を張って世間に自慢できる息子になってもらいたかったに違いない。期待感を背に感じながら、俺は育った。そのハードルを越えることができず、そのプレッシャーに耐えることができず、結局俺は平凡な人間にしかなることができなかった。父の願う理想の息子にはなれなかった。なってやりたかった。

「なにもしてない」笙野頼子

群像新人文学賞、第13回野間文芸新人賞、第7回三島由紀夫賞、第111回芥川賞、第29回泉鏡花文学賞、第3回(2003年度)センス・オブ・ジェンダー賞大賞、第16回伊藤整文学賞などなど、数多くの文学賞を受賞している作者だが、1981年に「極楽」でデビューしてからは泣かず飛ばずの日々が続いた。幻想的で難解な純文学、という作風のせいだ。その作風のせいでどれだけ原稿を書いても認められず、コアな一部のファンしかついてこないという結果になった。本作は、作者の不遇時代の鬱屈とした気分と生活をベースに、病的な幻想的な日常を描いている。
「破傷風でもなければ凍傷でもない、ただの接触性湿疹をこじらせた挙句、部屋から出られなくなり妖精を見た」
という出だしからもわかるように、年に一度金になるかならぬかわからぬような駄文を書く以外は親からの仕送りで暮らしている引きこもりが主人公だ。元々対人関係に不具合があって引きこもりの素質を有していた主人公だが、両手が接触性湿疹でグローブ大にかぶれてからはますますその傾向が強くなった。
「普段の三倍程にも膨れた手の指の皮膚は完全に乾き、指先は全部六角形になった。指の腹には一本の指がいくつもの房に別れてしまったかのような深いたてじわが刻まれ、しかもその房のひとつひとつは乾いてひび割れ、中央の窪んだ、大きさの不揃いな鱗に覆われてしまった。その色は薄いばらいろと乾いた白色で妙に光り、しかも手の内でリンパ液が染み出していないのは鱗部分だけ、薄いごわごわと化した皮に手が覆われていて、その下の肉が膨れ血が集まっていた。膨れることの出来ぬ乾いた表皮は際限なくひび割れ、鱗のようになっても結局は侵食されてしまい、染み出したリンパ液と柔らかい真皮に押し上げられ、その鱗はいつしか茶色くなり肉から浮き上がった。とても痒いそれを掻き毟ると部屋の薄いカーペットの上にはまさか自分自身が生産したとは思えない程に、大量の人の皮が、いつのまにか、カーペット自身の疾患であるかのように降り積もっていた」
グロテスクな、ある種のホラーのような湿疹を抱え、主人公はますます家に閉じこもる。折りしも世間では天皇即位式が執り行われ、にぎやいでいるというのにも関わらず、様々な言い訳を作っては家を出ない。そんな状態にある自分こそがきっと家族にとってはアレルゲンなのだと悟りながら。
病状が悪化し、手の変容が臨界を迎えた時、主人公はようやく医者に行く決意をする。青春を引きこもることで敬遠してきた主人公が、つまずきながらも病院にたどり着き、手の治療を完遂することで世間に出て行く勇気を得る。父母との関係を見つめなおし、長い間暮らしたアパートを引き払い、さあこれから……。
簡単にいえばそういう内容だが、これがなかなか一筋縄ではいかない。圧倒的な筆力と言葉遊びによる幻惑の弾幕。それを乗り越えなければこの話の真の面白さに辿りつくことはできない。この作者特有の敷居の高さ、それさえなければもっと読者を獲得できる作品だとは思うのだが……。
ちなみに本作は「笙野頼子三冠小説集」に納められている三本の作品の中のひとつなのだが、難度は他2作品のほうが高い。

空手(1)

2007-03-08 09:35:47 | 空手
 先日、空手にいった。なんといっても若者たちの集いだから、冬期間はスノボなどで集まりが悪く、ひさしぶりの開催だった。
 春を思わせる暖かい日差しの中、開始予定の9時になってからぼちぼち人が集まり始めた。先生を含めて6人になったところでようやく開始したのが9時半。武道館の神前に横一列に並び(先生は神前に1人)、正座。部長の号令にならうように神前に礼、先生に礼、黙想したのち正面に礼。ストレッチと腕立て足上げ腹筋を済ませてから練習に入った。

 最初の1時間は基本練習。突きと蹴りと受けをみんなで一緒に打ちながら、先生に悪いところを修正してもらう。
 まず肩幅より足をちょい広げての並行立ち(平行?)。つま先を広げすぎず正面に向け、軽く腰を落とす基本の姿勢。
 最初は中段突き。左拳を顎をカバーするように前に出し、右拳を余裕を持たせて脇につける。左拳を脇まで引き、その反動で右拳を繰り出す。拳は軽く握って甲を下に向け、打ち出しながらくるりと返し、ミートの直前で力をこめる。この時意識的に人差し指と中指の根元をぶつけるような気持ちで打つ。狙いは相手の鳩尾。
 次は上段突き。中段突きと同じ姿勢から相手の顎狙いをイメージして。
 続いて中段外受け。左手を肩の高さで前に。甲を正面に向ける。そこから右手を左肘の下にもっていき、左を脇までひくのと同時に右を跳ね上げる。肩の高さまでもっていき、鳩尾への相手の攻撃をはじき出すようなイメージで。
 上段外受け。左手を前に、右手を顎の前に垂直に突き出すのと同時に下げ、顎のやや下で十字を作ると、左は脇に。右を跳ね上げる。甲を外側にし、顎への攻撃をかち上げるようなイメージで。
 下段外受け。左を前に。右を左の肩までもっていき、左を脇までひくのと同時に右を斜め下に振り下ろす。相手の中段前蹴りを叩き落すイメージで。
 中段前蹴り。左手を前、右手を鳩尾の前におく蹴りの基本姿勢。右足を膝ごと跳ね上げるように持ち上げ、スナップをきかせるように右足先端を前へ送り出す。当ててからすぐ畳み、前屈の基本の足位置に戻す。
 中段回し蹴り。基本姿勢から右を持ち上げるのは前蹴りと一緒。違うのは正面ではなく横に持ち上げること。その先のイメージは変わらない。
 上段回し蹴り。基本姿勢から斜め上方に右を持ち上げる。単純に中段回し蹴りの角度をきつくしたもの。
 それらを左右30本ずつやり休憩。

 休憩あけは移動突き蹴りと移動受けの練習。今度は左を前にしての前屈の姿勢。左足を前に出し、右足を後ろ。左足の親指が真上から見えないように軽く膝を曲げ、右足はまっすぐに伸ばす。黙ってるだけで太ももにぴりぴりくる、これまた基本の姿勢。
 前屈から右足を前へ。床を滑らせるようにし、左足に擦るようにして。接地したら基本の突きまたは蹴り。姿勢が上下にブレないようにしながら30本ずつ。
 壁に突き当たったら反転。左を前にしての前屈から後ろに顔をやり、右足を左足の後ろへもっていく。そこからくるりと身体を返し、引いていたほうの手で各受け。これは後ろの敵からの攻撃を想定している。慣れている人には、この状況で先生の蹴りがとんでくる。
一連の練習が1時間。

 さらに休憩を挟み、組み手及びミット打ちの練習。
 まずはミット打ち。キックミットを生徒が持ち回りで受け持ち、突き蹴りの練習。最初は削り、と呼ばれる左足前の左手での上段突き。続いて右の中段突き。さらに両方のコンビネーション。削りを打ったあと、相手に届いていない、もしくは間合いがあってまだ打てる状況で中段突きを打つ。相手を追うのかその場で打つのかは間合いによるが、基本腰を落として低い姿勢で打つ。
 蹴り。最初に中、上段の右回し蹴りを打ったあとは、ほとんど左での蹴り。なぜかといえば、相手が右利きを予想しているから。通常右利き対右利きで後ろ足の蹴りを打てば、相手がブロックしやすい左側を打つことになる。しかもそれは容易に体勢を崩される姿勢なのでよろしくない。なるほど、考えてみれば格闘技の試合でも中段や上段の蹴りを打つときはほとんど相手の身体の開いたほうに打っている。納得しながら左の蹴りを練習するが、これがなかなかうまくいかない。利き足ではないうえに生来の身体の硬さもあいまって、お遊戯を踊っているよう。しかも基本練習では打たない左足前での左の蹴りだからなおさら。かてて加えてここまでの練習での疲労の蓄積もあり、かなり悔しい結果になった。
 最後は組み手。生徒同士では危険なので、原則先生と1対1。先生は反撃せず捌くだけで、生徒は全力でいって構わない。もちろんフルコンではないので「当てたら引く」のだが、生徒はいずれも不慣れな素人だ。よほどの経験を積んでいなければできないよなあ、と感心。
 ミット打ちでの醜態が頭にあったので本気でいくが、先生の前に簡単にあしらわれる。自分では上達したなと思った間合いの詰め方も、いざ実践となるともう一歩が踏み込めない不完全燃焼。それでも攻め続けていたのだが、ここでやってしまった。ミット打ちの時にいわれていた右利き選手への後ろ足での蹴りを打ってしまったのだ。しかもこれが先生の肘にクリーンヒット。悶絶しながらこの日最後の練習は終わった。

 計3時間の練習の中で、上達したところも重大な課題も見つかった。足の指の皮が剥けたのに悩まされながら風呂につかり、自主練のメニューと翌日にくるであろう筋肉痛のことを思った。