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世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

ルーマニア・マンホール生活者たちの記録

2008-05-04 12:39:56 | 小説
ルーマニア・マンホール生活者たちの記録 (中公文庫 は 56-2)
早坂 隆
中央公論新社

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「ルーマニア・マンホール生活者たちの記録」早坂隆

 チャウシェスク体制崩壊後急速に自由化したルーマニアでは、富裕層と貧困層の二極分化が進み、ストリートチルドレンの一部は都市部のマンホール内での生活を余儀なくされている。暗闇の中に彼らは住処を作り、物乞いやゴミ拾い、時に盗みを働いて飢えを凌いでいる。盗むのは簡単だ。突如足元から伸びる手に、多くの観光客は対処できない。追手を恐れる必要はない。円形の闇の奥に踏み込む勇気を持ち合わせている者など、この世にそう多くはないだろうから。
 恥ずかしながら、ルーマニアといえば森林の広がるドラキュラの国で、かつてチャウシェスクという独裁政権があり、革命によって打倒されたくらいの知識しか持ち合わせていなかったので、革命後の惨状を初めて見せつけられて衝撃を受けた。
 マンホールには何本ものパイプが走っている。その中には各家庭に暖房やシャワー用の温水を送るためのパイプがあり、意外と中は温かい。やろうと思えばお湯を沸かすこともできるし、少なくともマンホールにいれば凍死することはないそうだ。だが衛生状態は劣悪だ。虫やネズミが蠢き、それだけで病気になってもおかしくない。なにより、マンホールには絶望が漂っている。まったくいいことのなかった過去と、辛い現実と、予想も出来ぬ未来から逃れるために、彼らはシンナーに浸る。住人同士で少ない金を出し合ってまとまった量を購入し、それを皆で分け合う。家庭を持っている人もいる。いつか日の当たる場所に出ようともがく者も。だが多くの住人の末路は悲惨だ。シンナー吸引の快楽に蝕まれ命を落としていく……。
 作者は、そんなマンホール生活者たちと交流をはかろうとしてルーマニアを訪れた。何度も何度も、この世の非情さの生み出した子供たちと接した。なるべく同じ視点に立とうとする彼の努力は実り、多くの友人ができた。笑い合い、はしゃぎ合い、共に過ごす時間を持った。
 だが、彼はあくまでも異邦人だ。金持ち日本人の道楽にすぎない、というのは言い過ぎにしても、マンホール生活者からすれば、金満大国に帰るところのある作者のことは、そのようにしか思えないだろう。どんなに頑張ったって、日本人はルーマニア人にはなれない。共感できても、共生はできない。円筒形の溝は埋まらない。
 ある春の日、唐突に別れはやってきた。新政府の政策の一環で、マンホールの穴という穴が塞がれたのだ。住処を失ったマンホール生活者の行方を必死に探す作者だが、けっきょく誰一人見つけることはかなわなかった。共に過ごした時間が夢だったかのように、誰もいなくなった。彼らの飼っていた犬1匹を除いて……。

 もんのすごい寂しい終わり方。さすがノンフィクション。
「マンホールの中の吸い込まれそうな闇は印象的だった。しかし本当の問題はこの地上に存在する暗い闇である」
 そう語る作者のセリフが鮮やかなインパクトを残す、圧巻のルポタージュ。

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