ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

2月に観た映画

2023-02-28 23:59:42 | 映画

半世紀近く前の昭和の時代、生まれ育った東京には多くの駅の所在地には映画館がありました。自分の所にも駅の南と北にそれぞれ映画館。
でも、時代の流れと共に無くなり、大手の流通にしかのらない、儲かる映画しかなくなり、挙げ句の果てには“映画”は映画館で観るものではなく、ネットで観る時代。
名古屋でも50年近い歴史のミニシアターが間もなく休館。休館とはいっても実質的には廃館。
そんな、”昭和“の映画館へのオマージュのような映画好きのための映画。色々とあって(今でははめられたと言われていますが)久しぶりの小出恵介さん、飄飄とした吹越満さん、そして遺作となった渡辺裕之さん、昭和ノスタルジックに浸る事ができる素敵な映画。
“映画館”という言葉が”死語“になる日も来るのかな。映画館のある時代に亡くなりたい。

池井戸潤さんの企業小説の映画化
出て来る人達が殆ど”闇落ち“していき、そして!モヤモヤとした結末。
半沢直樹のような爽快感もない、勧善懲悪でもない、映画見終わってからの高揚感は無いです。
とはいえ、俳優さん達は、皆さん素晴らしいです。阿部サダヲさんは、まさに阿部サダヲさん、上戸彩さんも素敵です。
風呂に入るとなぜかホッとした気持ちに。温泉に限らず、沸かし湯の風呂でも、そして大きさにかかわらず。
シャワー文化とは異なる“風呂文化”は日本の古来の伝統的文化。
それを、おもしろおかしく、でも、現代的な問題提起。子供の頃には実家の東京の住宅地の中にも“銭湯”はありましたが、今はもう有りません。そして、なによりも映画のロケ地の銭湯も最後のエンドクレジットに”廃業“と。
何しろ出演されている方皆さん、強面の人も、市井の普通の人、とても気持ち良く風呂に。
昔は”風呂“に“お”をつけて”お風呂“と。風呂に対して特別な思いがあった事の証かと。
見終わってから映画館を出てくると、なにか銭湯から出てきたような、そんなホッコリとした気持ちになる素敵な映画。

ジャズへの熱い思いの若者達のとにかくがむしゃらに進むその姿を描いたアニメ。原作は読んでいませんが”音が聞こえるアニメ“と。
ジャズの演奏シーンが多く、また、モーションキャプチャーで取り込まれた演奏シーン、目で見て、耳で聞く、そんな素晴らしい映画。
名古屋にきて20年以上、かつてはジャズ、カントリーのライブをよく聞き、観ました。名古屋とその周辺、豊橋はジャズが昔から盛んな土地。
そんな昔のことを思い出させる素敵な映画。




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シーハイル!春の足音がきこえると寂しさも

2023-02-27 12:49:55 | スキー
”三寒四温“
冬の終わり、春の訪れを表す季節の移ろい
早朝の中央高速は、谷あいから湧き出た霧で真っ白に
春の訪れの光景
天気は下り坂、新潟県妙高市の赤倉観光リゾートスキー場(アカカン)も重い雪とガスの中
地元の知人と合流して、霧の晴れ間を。
アカカンは標高差があるので、高度によっては雲の切れ間を見つけることが出来ます。
知人は新しい“武器”のNTNで。
嫁さんは昔ながらのテレマークスキーで。
アカカンはリフト券を購入するのに長い列、その後は今度はゴンドラの長い列、と朝の内はシーズン券をもった人の特権で空いている整備されたゲレンデ気持ち良く滑る時間。
スキー客も少なくて気持ち良く
徐々にリフト券を購入できたスキー客も増えてきたのでコーヒータイム
シーズン券の特典のコーヒーチケットで。
知人と色々と話しこんでいたら昼近くに。

用事のある知人と別れて、赤倉で(個人的に)1番美味しいランチと思う”ぽん太郎“さんで。
高谷池ヒュッテの常連客と遭遇。なんと81歳の初心者テレマーカーとその“保護者?”
彼等はビールでお昼を楽しく、でも、我々はこれから車で移動するので”泣く泣く“水で、乾杯
久しぶりに会って楽しく。もう、登ることも無くなった高谷池ヒュッテの話で盛り上がりました。
素敵な山小屋だったのですが。
知人たちと別れて、上越市高田の金谷山スキー場へ。超ローカル、とはいえ地元の人達が最初にスキー、ボードに触れる地元の人達にとっては大事なスキー場
リフトは1本、懐かしい昔ながらのシングルリフト。
1本なのに“第2リフト”
ゲレンデ内に流れる福山雅治さんのラジオ番組を聞きながら、カタカタと心地良く揺れていきます
山頂から高田平野方面


我が家以外にはスキーをしているのは他に2人。
下では家族連れがソリあそび
このスキー場の真下をトンネルで上信越自動車道と北陸新幹線がとおっています。
スキー場からも高速道路、スノーシェッドに覆われた北陸新幹線をみることが出来ます。
昼にあった知人が半世紀近く前に植えた、という山桜も。
長閑なスキー場

リフト券、むかしからデザインは変わっておらず、値段だけ上からシールを貼って使っています。11回券ですが、1回分はオマケして貰って2人で6回乗車
この金谷山スキー場は、日本のスキーの歴史にとってはとても重要な場所。
オーストリアのレルヒ少佐が招聘されて、この地で軍事目的のスキー教練を。
日露戦争、八甲田での雪中行軍での大惨事をうけてスキーの軍事利用のために教練。
1911年に”メテレスキー!“(スキーを装着せよ)
の掛け声、これが日本初のスキー。
因みに次に発せられた命令は“オテレスキー”(スキーをぬげ)とのこと
レルヒ少佐が最初にスキー教練をしたのは現在のスキー場の反対側、高田平野方面。レルヒ少佐の像が高田平野を見下ろすように建っているのはそのためかもしれません
天気も悪いので米山は雲の中

宿泊地妙高赤倉に戻る途中、新井の山岸酒店さんへ。地元のお酒を。
夜は、地元の知人と。
宿近くのバス停も雪の中
夜のための”ライト付の傘“
クラウドファンディングで。
夜は赤倉でも美味しい“うどんの歩”さんで。
地元の食材と地元の美味しいお酒で。

戻ってきたら思ったほど雪は積もっておらず、妙高らしい、歩いていても判らないふり方ではないです。そして、特徴的な湿っぽい雪。

美味しい料理とお酒で気持ち良くすぐにバタンキューと

翌朝、思ったほど雪は積もっておらず、昔のような一晩で1-2m近く降る赤倉らしくない積もり方
昨日以上に視界悪く、さらに風が強く雪も舞っているので名古屋へ高速道路使わずに。

とある、”春の訪れ“を探しに
野尻湖のナウマンゾウの像
ここでナウマンゾウの骨が発掘、今でもときおり発掘調査されているようです

以前は冬場はブルーシートで覆われていましたが、今はむき出しに
子象は雪に埋もれています

長野市内、松本市内を抜け道でぬけて木曽路、国道19号線へ
木祖村に入ると、探していた春に

福寿草



雪の中から蕾が沢山
これからどんどん春を連れてきます。

そして上松町のいつもの“越前屋”さんへ。
店の入り口にも咲きかけの福寿草

冬の木曽路の食べ物”すんき“を使った“すんきそば”。雪深い木曽路での冬の保存食、漬物を発酵させた”すんき“。
酸味が蕎麦に良く合います。
これが食べられなくなったら本当の“春”
馴染みのお店の方と福寿草の話しをしたら、”店の周りにも沢山あるから観ていって“と
確かに陽の当たりの良いところでは沢山
木曽路の寒い冬も間もなく終わり

春がくる、ということはスキーシーズンも終わり。普通は春の訪れで人々は喜びます。
でも、スキーをする者にとっては、今シーズンも終わり、と寂しさも。

さらに還暦超えて、“(経済的にも体力的にも)あと何年、スキーが出来るのだろうか”とさみしい思いが強くなる春の訪れ












































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クラシカルスキーツアー

2023-02-20 11:37:55 | スキー
暖かい週末。
野沢温泉へ。
千曲川沿いは暖かいので霧が立ちこめています。
千曲川を渡る橋も、なにか”あの世“への道のように。

千曲川を離れると晴れ。野沢温泉スキー場の日影ゴンドラからは妙高山と火打山。千曲川沿いの飯山の町は雲海の下
まるで春のような光景
なぜか、野沢温泉スキー場では、”火打山“を“火打岳”と表示しています。間違えた表示、もう数年間
灯籠木峠からぶなの原生林の中、水尾山へ
鬱そうとしたぶなの原生林。ここへ来るだけでも十分に野沢温泉の手つかずの自然を楽しめます。
数日前にこのルートを通った人達もいるようで、トレースがあって楽に。トレースの幅が広いので外国人かな。
上りもそんなにキツくないのでステップソールには最適
ぶなの原生林、微かにスキー場の放送が聞こえるだけで自然の音を。
水尾山で。
ここからは信濃の大自然を観ることかできます
水尾山から北西斜面へ。
暖かくなって春スキーのようですが、この北西斜面にはパウダーが。
音もなく、サァーっと雪が舞い上がる、山スキーをしていて最高の醍醐味を。


奥志賀林道へ出ると、ウサギの足跡が沢山
滑ってきた北西斜面の我が家だけのシュプール
数日前のツアーは、この天国のような斜面ではなく森の中を。20年以上、通っていると少し森林から外れた斜面の場所を。ここは、仮に雪崩が起きてもすぐ横の森林に逃げ込む事ができます。
とはいえ、ルートを間違えてきた事は今までよくありましたが(数年前も。Mさんご迷惑を)。
奥志賀林道から七ケ巻への稜線へ
ここは尾根が複数に別れていて何度となく迷いました。とはいえ、どこも降りていけば国道にたどり着きますが。

クラシックスキーツアールート、かつての案内板も歴史の中に消えつつあります。



暖かい、を通り過ぎて、暑く。雪もスキー板に“団子”のようになってきて滑らず、修行のように!
重くて、まるでスノーシューを履いているように
七ケ巻には何十年も前にリフト1本だけのローカルスキー場があり、リフト降り場の残骸も。
自然の中に消えつつあります
七ケ巻へ。巨大な段々畑があり、雪が少なくなると、ルートを見つけるのが一苦労
突然、リフト乗り場跡の陰から黒い物体が飛び出てきました。
特別天然記念物のニホンカモシカ
数年前には目の前をイノシシが通っていた場所。
自然豊か、別の意味ではかつての賑わいは無くなってきた、日本の典型的な寒村
もう杉の花も
昼には1本しかない、野沢温泉行きのバス。以前一度、目の前をバスが通り過ぎてタクシーよんだことも。(2人分の)バス料金の10倍でした。ですから、できるだけバス停近くで乾杯。
目の前に温井の集落、鍋倉山、その麓には千曲川と飯山線。
1両のディーゼルカーが谷あいにエンジン音を響かせて通り過ぎました。
鍋倉山なのか、鍋倉山方面からスノーモービルの爆音も
バス停は”七ケ巻“
七ケ巻と書いて“ならまき”と。
でも、バス停も昔の本当の名前ではなく、漢字の通りの”なながまき“
こうやって日本の伝統、歴史は、便利さを理由に失われていくのですね。、

バス停は地元の方の車庫兼倉庫に
倉庫の中には子供相手のアンパンマン
そして、懐かしい“スカイライン”。
岩城滉一さんの若き姿のポスター
昭和の良き時代
昼過ぎに野沢温泉へ
宿に戻るとおばさんがお汁粉と野沢菜
これぞ野沢温泉です


野沢温泉といえば外湯
春のような暖かさに誘われて1番奥の滝之湯へ

夜は、昼の”修行“の疲れかすぐにバタンキューと
翌日、日曜日は予報通り、野沢温泉は土砂降りの雨。外湯での朝風呂へ
野沢温泉といえば温泉饅頭。いろいろなお店の饅頭があってどれも美味しいですが、我が家は必ずこの“みゆき商店”さんの”道祖神饅頭“。チーズが入っていてとても美味しいです。
ここは昔の野沢温泉街道沿い。
山形の羽黒山からのお客様も多かったようで、その名残の石碑

この日は東京の実家経由名古屋へ
横川SAではこの時期に必ず“下仁田ネギ”を。
この独特の甘みが、大好きです、🍶にもあいます

東京は、まるで春本番のような暖かさ
半世紀前に通っていた小学校

小学校前の神社。今は、東京唯一の伊勢神宮の分社の神明社として多くの人達が来ます。でも、昔は学校帰りに鬱そうとしたこの神社で隠れんぼをしていました。神明社というよりは自分にとっては”天祖神社“の旧名のほうが馴染み深いです。
梅も
天気良いのでぶらぶらと。
半世紀前の子供のときからある数少ない“稲毛屋”さんで焼き鳥を。
子供のときには生きたドジョウが桶に入っていてそれをつついて、お店のおじさんに怒られたのも思い出。

川崎登戸経由名古屋へ。
この刈谷オアシスの観覧車を見ると、名古屋へ戻ってきたな、と。

2月なのに、春のような陽気。この暖かさが続くとスキーは終わっちゃうのかな、それは寂しい。

















































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野沢温泉スキー、色々と

2023-02-13 09:19:16 | スキー
非常に強い寒気団に襲われた週末。
金曜日に休みをとって会社の先輩たちと野沢温泉スキー。
齢70を超えて元気な先輩たち
今回は高速道路閉鎖の可能性も宣言されていました。
少し前に、某所でNEXCOの人と話す機会があって除雪について色々と。
まず、1番雪に弱いのは中央高速道路、特に、岡谷と駒ヶ根の間はカーブが多い上に雪質、風などから除雪しても無駄なのですぐに閉鎖。また、東海北陸自動車道も豪雪地帯なので閉鎖が基本。
ということで、甲信越には関東地区からは関越道、中部、関西地方からは北陸道のみを確保する、と。
なので、早めに中央高速道路を通過。
この予想、見事に当たり、通過後すぐに閉鎖。中央高速道路の閉鎖は土曜日の昼まで。
梓川も雪が。
野沢温泉ではもう40年近くの民宿。
到着すると野沢温泉らしく暖かいお汁粉と野沢菜
着いたらすぐにお昼。
野沢温泉は、昔懐かしい”(昭和の)ゲレ食“
外国人だらけ、日本語は我々だけ。でも外国人達もゲレ食を楽しんでいるようです。
サラサラの雪。
外国人達がよく“パウダー”といっていますが、彼等の”パウダー“とは雪が沢山あることを指しています。でも、本当のパウダーとは、やはり、スキーの先端から粉雪が舞い上がり、息ができなくなる、そのような雪がパウダーと。
久しぶりに“本当のパウダー”。
長年通っていた民宿。おじさん、おばさんも歳をとったので今年から基本は夜は無し、と言うことで外食。
しかし、金曜日の夜なのに、野沢温泉は外国人が多く”ディナー難民“の状況。元々、野沢温泉は夕食付の宿泊が主流、従って外食をする場所も少なく、また、こじんまりとしています。
こんな状況では、夕食をとるのも一苦労。
一つの手段としては、飯山へのバスは22:00過ぎまであるので15分くらいバスに乗っていくのも一つの手段かな。飯山には美味しそうなお店沢山ありそうなので。
野沢温泉と言えば13の外湯。そして朝風呂
翌朝、高速道路閉鎖のためか、週末なのにお客さん、少ないです。
我々だけ。
こんなこと珍しい
午前中は高速道路閉鎖のためかゲレンデも人少なく、気持ちよく滑ってお昼の乾杯🍻
野沢温泉スキー場のゲレ食にはどこでも履き替えようのスリッパ。
ゲレ食と言えば、やっぱりカツカレー。
外国人が多い中、ようやくたどり着いた日本人も増え始めました。
しかし、ここで日本人がここまで劣化したかと思う光景を。
30代の夫婦と小さな女の子の家族。
夫婦は、生ビール、子供はもってきたお菓子。
微笑ましい家族だな、と思っていたら目を疑う光景。それぞれの生ビールのジョッキが1/3位になると、この夫婦はもってきたザックから缶ビールを注ぎはじめました。なんの躊躇もなく。そして何も注文せずにこれまたザックからつまみを。
子供もザックから缶ジュース
野沢温泉(に限らないと思いますが)のゲレ食では持ち込み禁止の案内がどこにでも書かれています。金の無い“若者たち”ならば理解できます(しょうが無い連中だな、と。同意はしかねますが)
しかし、家族連れ、堂々と、人が気が付かなければ不正をする、こんな親をみて育つ子供は、いったいどうなるのかな?

そんな”昭和世代“には理解しにくい光景。
昼前には遅れて来た人達のリフト券売り場の長蛇の列が。リフト乗り場のおじさんと話しをしたら、野沢温泉スキー場は年末年始よりも2月の連休が一番混む、とのこと。
彼等がゲレンデに出て来る頃には空いているゲレンデで。暖かくなってきたので雪質も良くなくなってきたので無理せずに、でも、がっつり滑る昭和のスキーを。
夕方には妙高山、火打山。
土曜日は長年の常連の我々だけ、食事を。
温泉の後のビールはやっぱり良いですね。
翌朝はモルゲンロートの妙高山、火打山
春のような天気予報
長蛇の列のゴンドラを避けてリフトで。


春のような陽気なのでリフトでの移動も気持ちよく

野沢温泉スキー場にはなぜか、犬と滑っている人達沢山います。犬も元気よく走り回っています。
ただ、今年は雪が少ないです
ゲレンデ内の奥志賀スーパー林道の自動車標識、昨年は大雪であったため、この時期にはスキー客が看板にもたれて写真を撮っていました。今年はそれからみると2m以上、少ないです


ちょっとコースの脇の林の上中へ

いわゆる”コース外“、コースの2m外れた場所。雪崩の危険は皆無の場所で記念撮影
遠くに妙高山
最後のゲレ食
“カツカレー”
まるで春スキーのような重い雪質
そして降りてきて外湯。
いつもならば帰り客で混んでいるのに地元おじいちゃんだけ。

そういえば、この日は、リフト待ちでもかなり強引な並び方する人、多いな?と。
土曜日は高速道路閉鎖のためか、昼前にスキー客が集中、リフト券売り場も野沢温泉でも珍しい暗いの長蛇の列。
週末スキーヤーとしてはなんとか滑ろうと皆さんがむしゃらに滑っているのかな、そしてまだ、滑っているので外湯も空いているのかな、と。

























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オーストリアとロシアに浸った週末

2023-02-06 10:16:47 | スキー
2月に入って我が家の本格的なスキーシーズンイン。だいたい2月から5月初めの春スキーまで
コロナ前ほどではありませんが、スキー客は戻ってきているようで、駐車場も朝早くから混んでいます。西洋の外国人の方も沢山

朝の空いている時間に。
何しろ、このスキー場、相変わらず手際悪く、リフト券買うだけでも大行列、リフト券買ったら買ったで今度はゴンドラの長い列
シーズン券をもっている者の”特権“で、朝早くの人の少ない整備されたゲレンデを気持ち良く。
混んできたので(とはいってもかつてほどでは無いですが)赤倉で(あくまでも個人的にですが)1番美味しいランチをぽん太郎さんで。
九州ご出身のご夫婦なので、九州のものも。嫁さんは皿うどん
定食+カレー(の具)。ぽんさんのカレーは絶品です。

美味しいお昼をいただいたあとは、上越高田の金谷山スキー場へ。
この日はレルヒ祭。
出店も多く出ています
好きなどぶろく“卓”を
上越の山奥の農家民宿で作られています。素朴な味の素敵なお酒です。
この日はスキー博物館も無料開放
”テオドール・エドラー・フォン・レルヒ“
日露戦争に勝利したあと、八甲田山での雪中行軍大遭難の後にはスキー技術のために日本へ招聘
1911年(明治44年)1月12日に、レルヒ少佐がこの地、金谷山で発した命令
“メテレスキー”
スキーを装着せよ!

これが日本初のスキー
今は”レルヒさん“というゆるキャラにも。
実はレルヒ少佐は、後に北海道へ渡り、倶知安のスキー場でも教練を。
倶知安にもレルヒ“中佐”の像。
上越高田の”少佐“から“中佐”へ。
そして、銅像も少し恰幅よくなっています!
レルヒ少佐が最初にスキーを履かせて滑ったのはレルヒ少佐の銅像の向いている側、つまり高田平野へ滑ったのが最初。銅像の背後の金谷山スキー場の反対側。
高田へ来たのでよく行く酒屋さんへ。
先ずは八木酒舗さんへ
千代の光の天然乳酸菌のお酒を。
先日名古屋での日本酒セミナーで勉強?した天然乳酸菌。早速買って日曜日の夜に。芳醇な味が。
おじさんと楽しくお酒の話をして素敵な時を。
妙高赤倉へ戻る途中に新井のやまぎし酒店さんへ
ここでも越の白鳥を薦められて。
楽しみです。
夜は、新赤倉のぽん太郎さんへ。お昼にいただいたカレーがあまりにも美味しかったので夜はカレーとピザで。ビールに最高、
佐渡のお酒、金鶴を呑みながら素敵な夜を
雪の降る中を宿へ。
朝起きてみると雪。
でも、赤倉らしい、ドカ雪とはほど遠く、このままでは春まで雪、もつのかな、と。
あとは、昼前に名古屋へ

現役時代に仕事で取引をさせていただいた会社の方が団員の名古屋市民管弦楽団の演奏会。
その方は退職されても演奏を続けられていて、毎年、お誘いいただいています。

ボロディンの交響曲2番。中々聴く機会は無い曲。でも、このボロディンの交響曲第2番とチャイコフスキーの交響曲第6番”悲愴“の2曲を聴けばロシア人のメンタリティーはよくわかる、と言った音楽家もいるくらいロシアの土俗的。
最終楽章への盛り上がり、弦楽器の膨らみに圧巻されました
リムスキー・コルサコフが初演、その彼のシェへラザードがメイン。
これも素敵な”アラビアンナイト“を。
指揮者の井崎正浩さんも表情豊かに。
この方、SNSをやっていらっしやっていたので素晴らしかったです、と書き込んだら暫くしてすぐに返事が来ました。

オーストリアとロシアに浸った週末
























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