ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

8月に観た映画

2022-08-29 12:29:36 | 映画
映画“ローマの休日”のモデルとなったマーガレット王女とピーター・タウゼント英空軍大佐。そのタウゼント大佐は第二次世界大戦後、世界を巡りその途中で長崎県へ。そこで知り合った被爆した郵便配達人の青年との交流、その事を本に。そのタウゼント大佐の娘さんが亡き父の足跡を求めて長崎へ。その模様をあらわしたドキュメンタリー映画。歴史上、最後の被災地、長崎での原爆の恐ろしさをあらためて感じて様々な思いを。自分の高校の修学旅行でも長崎を訪れ、原爆資料館、被爆者の方の話をうかがったのは半世紀近く前。当時は二度と原爆を使用することない世界を切に望んだことを。でも、半世紀たつと、日本を取り囲む世界情勢は大きく様変わり。歴史とは残酷なものと肌でかんじます。そんな事をかんじられる映画です。
昭和の時代、ちょっとした遠出が今から考えると強烈に思い出と。そんな、プチ旅行、そして不思議な友達との昔懐かしい映画。草彅剛さんの朴訥な所がまた、魅力。
コロンビアで公衆衛生という概念を持ち込んだ医師。旧来のキリスト教とも対立、当時世界最悪といわれた軍事政権、そして悪名高き麻薬組織。
その医者が人々に押されて市長に立候補するものの暗殺。閑かな、でも、強い信念に惹かれるものが。実はこの時期以降、さらに治安悪化したため、コロンビアへの出張が無くなってしまったのも思い出。

お伽話のような子供の世界。出て来る悪人?も、根っからの悪人ではなく、悩みを抱えた人。
そして子供を取り囲む大人達の都会では失われた世界。今では失われた日本の原風景のような素敵な映画
昭和の時代そのままの、今の時代ではコンプライアンス問題を起こしそうな、刑事一筋。
それがコンプライアンス問題で、音楽隊へ。
やはり、後進のやり方に口を出して、“俺の時代はなぁ、”と。煙たがれ、音楽隊でも浮いてしまう。
数年前に現役を退き、今は嘱託として会社勤めをしている自分にとっては身近な感覚。
確かに、自分の時に較べると歯がゆい事も多く、失ったものも多いとは思いますが、それは、今の現役時代の人達の問題。敢えて、口を挟む事は一切せず、かかわりを持たず。これができたのは、多分、趣味があったからで、そのために自分をとりまく会社の状況には無関心にいられたのかもしれません。この映画でも、阿部寛さんの鬼刑事も仕事一筋、職を離れても後進のやり方に口を出す。でも、音楽隊の中でいろんな人達が集まってひとつのシンフォニーが奏でられて、あらためて自分ひとりで生きているのではない事に気づきます。演奏そのものが趣味のようになっていきます。この心境の変化を、無骨な阿部寛さんの表情の変化で、見事に。そして、共演者の俳優さん達も素敵に。
明るくなることのできる人生賛歌のような映画。









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植生復活、地に足のついた自然保護とは

2022-08-25 10:08:41 | 
40年近く通った妙高、火打山。そしてそこにある高谷池ヒュッテ。

この山小屋は、地元頚城の山小屋として地元に愛されてきました。
設備的には、よく言えば“近代的”な、悪く言えば”金をかけた“北アルプスの山小屋に較べると不便さ、目立ちます。でも、その管理人さん、スタッフは魅力的な人達が多く、単に山を登ると言うよりも、その人達に会いに来る登山客、常連客の多い山小屋でもありました。
その管理人さんが、30年近く前に始めた登山道整備。
周囲の山々が火山であるのに対して、火打山は数少ない“隆起した山”。周囲の火山の”火を沈める“と言う意味で“火打山”と名付けられた、と言うことも地元の人からうかがったことも(あくまでも聞いた話)。
また、名だたる豪雪地帯でもあり、雪解けの雪の力により、隆起した山は崩れやすく、どんどんと木々は失われ、”石山““瓦礫の山”と化してきていました。
そこで、その当時の管理人さんは、最初は一人で、そのうちに山仲間達と、この山を好きな人達がボランティアで木道のみならず、山体崩壊の元となる植生復活を始めました。
使用する植物は、その付近の高山植物の種を。丁度この時期に種をつける植物を利用。
土留めを作って土砂が流れないように。


崩れて足元が崖になった場所は、内側にあらたな道を切り開きました。
資材は、ヘリで運ぶことはありましたが、登山口から担ぎ上げたことも。



時期的には、登山客の少ない、夏の終わりから秋の紅葉までの間、だいたい9月初旬に。

もちろん、自然相手ですから雨の時にも。
ある年には、大雨で、泥まみれになって”道直し隊“が“道壊し隊”になりそうで、作業中止、お客さんのいないときには早速、宴会を。もちろん、天気回復した翌朝は朝早くから作業。
でも、雨が降っても、この山、そしてこの山小屋を愛する人達は地元のみならず、全国から集まってきました。
夏山だけではなく、春先の春スキー、厳冬期のパウダーを求めて来た人達も。好きな山小屋へのご恩返しと、年に一回会う同窓会のように。もちろん、毎回、新しい人達、お子様連れの人とかも。
夜は、楽しく、宴会を。他にお客さんがいないときには徹夜して、時には、お客さんを巻き込んで。人数が多いときには、幾つかの”分科会“に別れて、それぞれの分科会を酒瓶持ってハシゴして。巻き込まれたお客さんもこの山小屋のファンになって翌年道直しボランティアに参加された方も。
翌朝、二日酔いで作業したことも多々。

そして20年以上前に植生復活をした場所を元管理人さんが、先日、写真に





ものの見事に復活、土砂崩れを防いでいます。
この“道直しボランティア”、歴代の管理人さん達が引き継ぎ、最初に始めた管理人さんから4代目までその志を続けてきました。

残念ながら今はその思いは繋がらず、おこなわれていません。

火打山といえば天狗の庭一面に咲き誇るハクサンコザクラが有名です。全国、白山も含めて各地でハクサンコザクラに接することができますが、ここのハクサンコザクラが1番紫色が綺麗と(贔屓の引き倒しかな?)。しかし今は、道直しボランティアの作業箇所より下部の土砂が流れ込みハクサンコザクラの群生地がドンドンと小さくなってしまっています。明るいピンクがかった紫色に一面覆われていた天狗の庭を知っている人達には寂しい、そんな光景。

自然保護、と声高に叫ばれても、行政が関与するものは、”木道設置“と“登山道の枝払い”。これは一時の工事。将来を見越して植生復活させようという長い目の活動は難しいと。
その山の本当の美しさは、そこにある山小屋、そこを愛して集まる人達によって護られるものかもしれません。

素敵な山小屋は、北アルプスの山小屋でもそうですが、ロケーションの魅力と共に、そこにいらっしゃるスタッフが魅力的だと思います。

山の登り方、百名山制覇、二百名山制覇、縦走登山、様々。その中でお気に入りの山小屋に通うのもひとつの山登りかと。

20年以上前前の今は失われた良き山小屋の時代の思い出。








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色々とあった、天候不順の2022年のお盆休み

2022-08-18 15:47:16 | 身の回り
嫁さんを春日井市の実家へ送った帰りに日本唯一のチベット仏教寺院、強巴林(チャンバリン)へ。
チベット仏教でも数少ない(唯一?)の女性の僧侶の方がいらっしゃいます。また、西欧諸国の人達にはチベット仏教に思いをはせる方も多く、著名人も来訪しています。米国大統領も来日されたときに訪れたとか。
タルチョも夏の風に揺れています。
夜は、名古屋で美味しいお酒と料理を。
”おでん 料理の幸主“さん








最後は名古屋では珍しい“味噌”ではない”おでん“













常連さん達、そして素敵な大将と女将さん。
夏の夜を夏の料理とお酒と。

翌日は台風が近づいている中、熱田神宮で新車のお祓いに。

荒れ模様の天気。
お祓いに来ているのは我が家だけ。






我が家だけのためにお祓いをしてもらいました。




我が家だけなので御利益がある、そんな気がしました。
夏の境内を。






暑いせいか、境内の鶏も。
この熱田神宮は戦の神様としても御利益があり、織田信長も桶狭間の戦いの前にここで戦勝祈願をしています。その勝利の御礼に寄進した塀。

天気悪い上に、“事情”もあって、遠出できず。

すぐ戻ることができる新潟県へ。
休日割引の無い今年のお盆休み。ということで深夜割引で中津川まで中央高速、そこからはひたすら木曽路で北上。
梓川SAで休息。ここは一般道からも施設に入ることができる駐車場があります
天気悪そうですが北アルプスもくっきりと。
木曽路(国道19号)から越後路(国道20号)へと、妙高へ。イモリ池も睡蓮の花と雲の中から妙高山。
蒸し暑い妙高赤倉から妙高市の奥にある平丸のブナ林へ
ブナの原生林


ブナ林の中を流れてくる風は湿度もなく心地よさを感じます


奥には行かず。間違えなく熊さんに会うと思うので、途中で引き返して。


嫁さんが悲鳴を。大きなナメクジ。
誰もいない自然そのものの平丸。
大好きな場所。
上越直江津の知人のお店へ。
“a table called the lights ザ ライツ”さんへ
美味しいラー麺
オギさん、美味しかったです。ご馳走様
直江津から柿崎へ。
米山をバックに。実ってきた稲の頭を垂れた風景は米どころ新潟県の美しい光景




そして目的地の代々菊酒造さんへ。
”吟田川(ちびたがわ)“



おばさんは不在でしたが、おじさんと楽しくお話しを。2時間近く、時を忘れて素敵な時間を

お酒を。
1枚1枚、ラベルを糊で貼っていきます。
今は多くの酒蔵ではシールで貼っています。ですから呑み終わった後にラベルを外そうとしても剥がす事ができません。糊で貼ったタイプの時には水につけておくと浮いてきて剥がれます。

嫁さんがコレクションのように集めているお酒のラベルが増えないのも糊のタイプが減ってきているせいと嘆いています。
おじさんと記念撮影。小玉西瓜を頂きました。ありがとうございます。この小玉西瓜は夜に行く赤倉のお店へ。皆で食べましょう、と(結局は我が家は頂けませんでしたが)。
妙高赤倉の宿に戻る途中、妙高市新井のヤマギシ酒店さんへ。
今、新潟県民割りで宿泊者には一人辺り5,000円の補助と2,000円分のクーポン券が。この新潟県民割りには愛知県が含まれています。このクーポン券でお酒を。

妙高赤倉の小学校、中学校の先輩の宿に着いて、さぁ温泉!と思ったら嫁さんのスマホが。
嫁さんのお父さんが亡くなったとのこと。
急遽名古屋の隣の春日井へとんぼ返り。
チェックイン後なのでキャンセルできず。でも、新潟県民割りで補助金出ているので若干の支払いはしましたが。
嫁さんのお父さんのことがあったので最悪のことを考えて、車で戻ることができ、しかも県民割りで補助金が出るおなじみの新潟県妙高赤倉の宿を選びました。
宿の先輩に挨拶をして戻ろうとすると、上信越自動車道は塩尻辺りで大渋滞、通過に70分以上とのことなので、渋滞末尾の塩尻ではなく手前の松本で下りて往路と同じく木曽路国道19号を南下
愛知県へ入った所でファミレスて夕食。
ロボットが給仕するのですね。

ファミレスなんて、何年ぶりかな?
春日井市の葬儀場には夜の10時に。
本日の走行距離は740Km。でも、スバルのアイサイトで半自動運転なので楽でした。

翌日はお通夜と嫁さん家族の打ち合わせで暫く時間を潰すことに。
待っている間、近くの志段味古墳群へ

この春日井市と隣接した名古屋市守山区には数多くの古墳が古墳群としてあります。






先日、登った名古屋市の最高峰“東谷山”。この山自体、幾つかの古墳が山中にあります。





住宅地に囲まれた古墳群の中で。
夕方のお通夜に

翌日は葬式。
と言っても家族葬なので身内だけ。名古屋では互助会が発達していて多くの系列の互助会があります。そのために淡々と進められて行きます。
でも、最近は事情も大きく変わってきていて、積立方式よりも会員制に。つまり、毎月少額を積み立てる方法ではなく、一括で、しかも格安で。
スタッフの若い人と話をしながら、名古屋の葬儀状況の変化を。

思えば、結婚する前に始めたばかりのゴルフ、嫁さんとゴルフの打ちっぱなしデートでよく二階からマットを落として下にいた義父が大笑いしていました。そして、嫁さんとの結婚の許可を貰いに行ったときに、”ゴルフ頑張んないとなぁ“と笑われました。
でも、結局は金と時間、そして才能が無いのでゴルフは諦めましたが。
自分の亡くなった父親は、会社の現役を退いた後は系列のゴルフ場の支配人をしており、ゴルフの大好きな義父とよくゴルフの話をしていました。
高山へ行ったときの思い出の写真。父親も義父も今はこの世にはいません。
なつかしいでしょう思い出。

妙高赤倉へも両家族で行きました。

義父の状態がよくなかったので、お盆休みの北海道は中止、遠くへは行かず。予定通りだと北海道小樽をフェリーで出航する直前に亡くなったことに。

そんなこんなの夏休み

これも思い出。









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最後の?新車

2022-08-08 10:11:28 | 
スバルの車、レガシィから始まってランカスター、アウトバックとレガシィ、アウトバック6台
今の車の走向距離が28万キロ越え


スバルの(無償の多い)保証延長プランが7年目、三回目の車検で終了。この秋に三回目の車検なので車の買い換えを。今、自動車メーカーによっては半年から1年の納期。純粋なガソリン車で、電装部品が少ないせいか、納期は2カ月半。
20年近く自動車メーカーと車の電動化の仕事に携わっていたので、最後の車は”ガソリン車“と。
還暦を越えていますので、多分、人生最後の車。

新しい車はフォレスター
この車、山へ行ったりしたとき年配のご夫婦の方が乗っていらっしゃるのをよく見ていて、嫁さんとイイねと。
車がどんどん大きくなって、狭い日本では中々扱いにくくなっています。車の売れるのがもはや日本ではなく海外なので大きくなるのは仕方ないと。そして新しいアウトバックもさらに巨大化。メイン市場がアメリカなので仕方ないと。その点この車は、比較的日本の道路状況に合っている大きさ。しかも着座点も高く、年寄りには良いと。
金曜日の夜に荷物の入れ替えをディーラーで。

本当に28万キロ、地球7周分をよく走りました。
大きな事後も無く、楽しい思い出が詰まった車でした。


週末は、慣らし運転も兼ねて、東京経由新潟県妙高赤倉へ。
大型トラックの運転手さん達の御用達の鮎沢PAへ。大型車のスペースも沢山。ゆとりがあります
食事もお手頃価格で、毎回、特別品があるのなど物凄くお得です。唯一の欠点は、“味が濃い”こと。ハードな仕事のトラックの運転手さん達には良いかも知れません!
アクセル踏まず、アイサイトで半自動運転、ディーラーで言われた”3000回転以下“で。
新東名の120Km区間でも2000回転程度。前の車は2500cc、新しい車は1800ccターボ。扱い易い車です。まだ、新車の初めでは燃費は伸びませんが、最初の長距離で、この価はそれなりに良いかな?これからは、学習効果で燃費向上上がっていくので。
東京の父の墓参りと用事を済ませて昼過ぎに新潟県妙高へ。
今、新潟県では、“新潟県民割”を実施していて、一人あたり一泊5,000円の宿泊者補助金とこれも一人あたり2000円のクーポン券を。
新車の慣らし運転の長距離運転、せっかくなので小学校、中学校の先輩の宿へ
この”新潟県民割“、対象地域が愛知県も含まれているのでこれを利用。

夜は赤倉へ

この時期、妙高赤倉には花々が沢山、紫陽花がとてつもない綺麗



素敵な赤倉の夜
北海道、ニセコの“TOSHIRO’s Bar”さん特製のスキットルケースを妙高赤倉の知人に作って貰いました。素敵なケース


翌日は雲は多目ながら夏空の妙高山を見ながら朝食
そしてクーポン券でお買い物。利用出来るお店の中に妙高市新井のヤマギシ酒店さんがあったので夜のお酒を買いに。
あとはひたすら、抜け道を通って長野市へ、そして19号線を松本の街を迂回しながら木曽路へと。
上松ではいつも利用させていただいている”越前屋“さんへ。日本でした二番目に古いお蕎麦屋さんだそうです。店の中には利用した有名人達も。名前を見ると、十返舎一九、皇女和宮とか。


美味しいお蕎麦、特に夏の暑い時期には掛けそばは、冷たくて身体に染みます。
その後はひたすら名古屋へ。

今回の慣らし運転で940Km。ディーラーで1000Km点検とオイル交換。

これかも事故無く新しい車と色々な思い出を作っていきたいです。



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