ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

臭い

2015-01-24 17:27:39 | 身の回り

最近、円安も手伝って、大量の外国人が観光で来日

当然、経済的な弱者となった日本人に代わって外国人たちがホテルに宿泊。

しかし、特に西欧の人たち、この人たちの使う”香水”、これがたまりません!

長期間、宿泊した後に泊まると、この強烈な臭いに苦しめられます。

なんとか、ならないものか?

 

 

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”メテレ スキー”

2015-01-24 17:09:00 | スキー

久しぶりに終末に快晴!

ゲレンデ内の”山の神”に”初詣”

快晴の空の下、赤倉観光ホテルの赤色が鮮やか

林の中も陽光と白い雪のコントラスト!

お昼は、新赤倉の”ぽん太郎”

いつも、絶品。

天気がよいので、上越高田へ

スキー発祥の地、高田の金谷山スキー場

リフトは一本。

でも、”第2リフト”!

初心者、中級者コースは、なんとコース途中に”登り坂”

この地は日本スキー発祥の地

レルヒ少佐が1911年に日本へ招へいされて軍人にスキーの技術を伝えたのが日本のスキーの始まり

レルヒ少佐が望む、高田の町並み。

そのレルヒ少佐が最初に発した命令は

”メテレ スキー”

  スキーを履け!

日本のスキーの始まり

 

 

 

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妙高 粟立山、ご冥福をお祈り申し上げます

2015-01-18 20:08:20 | 身の回り

17日に妙高市粟立山で遭難された水野博さん。

本日(18日)に救助されましたが、死亡が確認

高谷池ヒュッテの小屋明け、荷揚げ、その他、よくお会いしてよくお話しをさせていただきました。

バリバリのスノーボーダーの水野さんとは、スノーシーズンに御一緒することはありませんでしたが、山小屋、登山中には楽しくさせていただいました。

登りながら、いつも、”燃料補給”と言って、清酒”能鷹”のパックを途中で呑んでいらっしゃいました。

今回も亡くなったのは、窒息とのこと。

3年前に、今回別のところ(アカカン)でやはり亡くなったスキーヤーと同じ沢で同じ経験をした者として、”窒息”ということは、納得(当時は他に2人いて、また、粟立山ほど多くの雪はなかったですが)。

昨年末(クリスマスイブ)、婚姻届を出したばかり。”いつも出す登山届の代わりに婚姻届を出した”というFacebookを読んでいると涙がでてきそうです。

これだけの知り尽くした地元の山で、そして、どれだけの経験があった、水野さんをしても残念な結果になってしまいました。

 ご冥福をお祈り申し上げます

コメント (2)
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廃線跡

2015-01-17 20:31:57 | 鉄道(模型)

普通、東京とか大阪のような大都市では、JR(国鉄)と私鉄はライバル関係で、スピード、料金ともに競い合ってきています。

でも、名古屋地区では少し状況が違います。

というのも、名鉄(名古屋鉄道)は、小さな私鉄を吸収しながら、大きくなってきて、旧宿場町を縫うように走っています。名鉄は一時期近鉄の次に営業路線が長い私鉄でした。今は廃線も多く、西鉄に次いで3番目の長さになりました。

しかし、JRは国鉄時代からただ単に大阪と東京を結ぶ幹線の一部として単に名古屋を通るように、定規を引いたような路線。

そのため、他地区では私鉄がJR(国鉄)が優位にたっていますが、ここ中部ではJRが優位になっています。

ローカル線、というと中部地区では名鉄に多いです。

その中でも、中部地区でも有数の観光地(特に紅葉)である香嵐渓を目指して鉄道がありました。

名鉄の”西中金駅”。今から11年前に廃線(猿投から西中金まで)。

もともとは”電化”されており、最終的には観光地である香嵐渓まで線路敷設計画。しかし、採算が悪く、ディーゼル化、それもレールバス化

実際に地形図を見ると、線路を敷設する予定の道路があります。今は生活道路になっています。

西中金駅自身、国の登録有形文化財になっています

駅の横には、神社。

この神社、鉄道より昔からあり、鉄道の廃線を見送ったのでしょう。

今でも、途中にはまだ、橋が残っています

写真を整理していたら、昔の写真が。ありしの日の三河線、西中金駅でのひとこま。

秋の香嵐渓は、道路が一本しかないため(153号線)、車で大渋滞。そのためによく、折り畳み自転車で香嵐渓へ。

昔の写真に出ているディーゼルカーは、今は、輸出されて、ミャンマーのヤンゴンにあるようです。

もし、香嵐渓の終点まで、路線が開通されていれば、事情は変わったのかもしれませんが、不運な路線でした。

なぜか、秋から冬になると、この廃線へたまに訪れたくなります。

 

 

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出会いは別れの始まり(お世話になったお店の閉店)

2015-01-12 14:30:08 | アウトドア

名古屋でも、というか知る人はしる、登山店”ステラアルピーナ”(エーデルワイスの意味)

もともとは、25年前に”シャッツバーム(Schatz Baum,宝の木)”としてできたお店。Sbatz Baumの由来は北アルプス奥又白池にある”宝の木“から命名。

”アウトドアショップ”なんていう”軟弱な”店ではありません。

本当に良いもののみ、店主の西野さんの選択、間違えありませんでした。

25年前に、できたときからのお付き合い。東京へ転勤して、またもどっで来て。

店長の西野さん、大の愛煙家。でも、商品に臭いがつかないように、といつも店の外でタバコ

とにかく、いいものを集めたお店。実際に使って評価、辛辣なコメントは面白く、正しかったです

そんな西野さんを慕って、全国のインポーター、ディーラーがよく集まってきました。色んな人たち、業界関係者から裏話を良くうかがいました。

●●●ル--世界に誇る、日本の恥ずべきブランド、もうけ主義以外、すぐパクル(粗悪品)

●●●フス--色合いは凄い、しかし、物はひどい。当初は東京のみで販売(高ければ良いもの)と思う、頭でっかちの都会人向け。でも色彩は最高

なんといっても、近頃はやりの”Earth colour”なんていう地味な、そしてつまらない色彩ではなく、ヨーロッパ系の明るい色が多かったです。

新しい、良いものをすぐに取り入れ、そしてお客さん(といっても本格的な登山家たち)が使用、そして評価。最初のBAILOを鮮やかな色彩に魅かれて販売量日本一になったり、一時はfinetrackができたときには日本で一番finetrackを売ってみたり、今はモンチュラではこれも日本有数の販売量

そんな、西野さん、そしてそこへ集まる人達。有名な登山家の方も多かったです。

でも、25年目の今年、閉店。それもそのはず、西野さん、65歳になり、もう、いいよ!ということで閉店、これからは奥さんと悠々自適の山登り!

長い間、ほんとうにお疲れ様でした。

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