ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

今年の“我が家の”土用の丑の日

2023-07-03 10:04:37 | 食・レシピ
名古屋東京日帰り。
雨の中、静岡県東部になると一面の霧の中。
こんな中でもスバルのアイサイトは稼働していて、ツーリングアシストて。勿論、防衛運転のために前後のフォグランプ点灯させて。

雨の東京、街路樹の緑も濃く

子供の時に遊んだ神社、神明社。天祖神社のほうが馴染みありますね
 



ちょうど骨董市。名古屋の大須観音の骨董市ほどではありませんが、いろんなものが。物の売り買いよりもお客さんとお店の方の会話を聴いていると楽しいです。

小学校隣の屋敷森も近くの病院が移転するために鬱蒼とした森はもう、その面影ありません。

子供の時には杉並区は大きな地主さん、数人でこの区をほとんど網羅していました。ここの屋敷森はその方達とは違う、洋館の素敵なお屋敷でした。なぜ、知っているかと言うと、小学校で野球をやっていて球を打ち込んで拾いに行ったから。ここへ打ち込む、ということはホームランではなくて、大ファールでしたが。
唯一、まだ、手がついていない昔の名残の壁。これもまもなく無くなるのでしょうね。
近くの東京で現存する一番古いとされている喫茶店で。

東京での用事済ませて神奈川県の登戸にある父の墓参り
登戸周辺モ昔の名残も少くなってどんどんと高層マンションが。このお寺さんも周りをマンションで囲まれてしまっています。

東名川崎インターチェンジから東名高速道路へ。しかし、コロナ前に比べて渋滞が酷い。コロナ前には昼すぎると東京からの下りは空いていましたが今はいつになっても混んでいます。これはコロナで通行量が減り収益確保のために海老名SAを大きなショッピングモール化、レジャーランド化したためで、ここだけの目的の人を増やしたため。そのために海老名SA近くは常に、天気が悪くても大混雑。車線変更の車が多くて流れが阻害されます。車の運転に慣れていない下手くそなドライバーも増えているのか、車線変更が下手、無駄な動き多いです。
海老名SAをすぎると、渋滞が嘘のようになくなっていきます。
NEXCOも収益確保のためとはいえ、高速道路の本来の目的“スムーズに車の移動を行う”ということを忘れてしまっていますね。
これもコロナの負の遺産、価値観の変化のひとつかな。
三ヶ日インターチェンジを降りて浜名湖、猪ノ鼻湖沿いに。
車も少なく、窓を開けて気持ち良いドライブ
目的地、新所原駅。
この新所原駅はJR東海道線の駅、第三セクターの天竜浜名湖鉄道、通称“天浜線”の始発駅。この天竜浜名湖鉄道は元々は国鉄二俣線。第二次世界大戦のときに主要幹線である東海道線を攻撃された時に補完する路線でした。
この駅には今では数少なくなってきた浜名湖の鰻を扱う鰻屋さんが。
20年近く、この駅を利用して取引先のお客さんへ行っていたので、よく、帰りに鰻を買いました。
昔は駅で降りて、鰻を注文して夕方にお客さんから戻る時に引き取っていました。一度、お店が早く終わっていたら、天竜浜名湖鉄道の駅長室に鰻を取りに行って、と言われて取りに行ったことが。
のどかな時代でした。
ふっくらとした美味しい鰻。
お昼もまだだったので、鰻屋さんで三河ポークのフランクフルトを。
ジューシーで肉汁が落ちる、美味しいフランクフルトでした。
フランクフルトを食べていたら、天竜浜名湖鉄道のエヴァンゲリオンラッピングの車両が。
今度は鰻屋さんのお弁当買って浜名湖みながら天竜浜名湖鉄道に乗ろうかな。

このあたりには日系ブラジル人の方も多いので看板もポルトガル語。
自動車部品会社に勤める日系の人達も多いです。かつて新所原駅の駅近くでポルトガル語の給与明細が落ちていて駅前の交番へ届けたらお巡りさんと、どうしますかね?と苦笑いしたのも思い出。
ちなみに、新所原駅から西側の鷲津は豊田家ゆかりの地。豊田町がありますね。

浜名湖をみながら、そして昔からのハーバー、マリーナみながら。
この日は1日、映画の日なので安く映画を観ることができるので、帰宅してから映画へ
名古屋ご当地グルメのませぞばをいただいてから映画に
結局は、この日は朝3時半に出発、豊田インターから東京へ。
そして用事済ませてから浜名湖経由で帰宅。映画を見終わって帰宅したのは夜11時半。
長い1日。

日曜日は朝から映画のハシゴ





























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本酒の楽しみ

2023-01-30 10:48:53 | 食・レシピ
先月に続いて、少し、日本酒についてのお勉強

先月の復習を地下鉄に乗りながら。

愛知県有数の錦三丁目の朝
毎夜のきらびやかしさは無く、閑かな顔を見せています。
いつも、美味しいお酒と素敵な料理を楽しませていただいているお店。
ここの、女将さんが、日本酒の”利き酒師“。女将さんが講師。
元々、日本酒は、大学入学時に一気飲みさせられて倒れて以来、その匂いを嗅いだだけで倒れていました。大学のサークルの新歓コンパで、当時二十歳の新入生(2浪したので)だったため先輩達から、気兼ねなく?安酒のコップ酒を18盃までは一気飲み、19盃めで半分、20盃で倒れて記憶無し。先輩の部屋に担ぎ込まれて朝起きたら洗面器が横に。
後で聞くと、気持ち悪いと言っても吐きはしなかった、でもタクシーからは当然乗車拒否された、と(当たり前ですが)。でも、倒れている自分を先輩達が隠してタクシー停めて放り込んだ、とのこと。地方都市の大学、大学生が”学生さん“と大切にされた時代だから許されたのかもしれません。
日本酒の匂いをに反応し無くなったのは、社会人になってから美味しいお酒をいただくようになってから。
日本酒の醸造学として色々と奥深さを、改めて還暦越えて感じられました。山梨の従兄弟が実家の酒屋を継ぐために東京の実家に下宿していたのも思い出。
歳なので沢山ではなく、少しでも、美味しいお酒と素敵な料理をいただいていきたいと。
今回は試飲として(昼間としては!)結構な量のお酒いただいて気持ち良く。

話し上手な女将さんの講習会、楽しませていた出しました。

お昼に映画を観ようと名古屋駅(名駅、メーエキ)へ。そこでお昼に名古屋の老舗の味噌ラーメン。
なぜか呑んだ後にラーメン食べたくなるのは夜も昼も同じ?
ここの味噌ラーメンは名古屋来たときから味噌ラーメン食べたくなると来ます

子どもの頃、東京では、今でこそ東京ラーメンとして物凄い人気ですが、昔は、いわゆる“中華そば”。そんな時にたまには他のものを食べたいというときには必ず、”サッポロ味噌ラーメン“。
今は味噌ラーメンといえば、色んなの人気店で色々な味噌ラーメンありますが、子供の時の記憶から、シンプルなサッポロ味噌ラーメンが一番美味しいと。
このお店のあるエリア近くの名古屋駅前の地下街“メイチカ”も再開発で間もなく1957年からの歴史を閉じます。
地下鉄東山線が当時トンネル工事ではなく露天掘りで建設。その後屋根(道路)をつけて今のメイチカ。そのために東山線の線路に沿って微妙に曲線をえがいています。
このお店はどうなるのかな。

帰宅途中に、日本酒を買いに酒屋さんへ
酒屋さんで日本酒を見ているとやはり講習会後なのでラベルを色々と。見ているだけでも楽しいですが、目移り。
結局は、我が家の苗字と同じ名前の長崎県壱岐のお酒を。

日本酒を楽しませていただいた一日
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっとオシャレな?餃子

2015-08-30 18:47:51 | 食・レシピ

先週、いつもお世話になっている飛騨高山の”ルサンクアヤ“さんで話題になった”シャンパンで餃子“。飛騨の久々野の“坂本酒店”で購入のシャンパンスペイン産の1300円のシャンパン。
手作り餃子。ひたすら餃子作り。
ラー油と醤油の代わりに、レモン汁と黒こしょう。本当はグレープフルーツが良い!とのことですが(ルサンクアヤの本郷さんもお勧め)、ないので柑橘類ということでレモン汁で代用。
いつも食べている餃子が、お手軽お洒落な洋食に。

雨降りの日のちょっとした家での楽しみ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑春慶塗、お酒。色々と変わりつつある日本

2015-08-24 12:26:28 | 食・レシピ

毎年、夏の終わりに行く高山。
本当は乗鞍登山の予定が急遽、金曜日に東北へ出張となり土曜日の朝、宮城県北部から移動。名古屋から高山は車で2時間(一般道で3時間)、昼過ぎに名古屋を出てノンビリと。

相変わらず、ウィスキーは品不足。そろそろ無くなりそうなものを。

嫁さんは果物の豊富な高山の今が旬のカクテル。
白桃とスモモのカクテル。本当に飛騨地方は果物のをはじめとした農産物が豊富。
もう10年近くお世話になっているバーテンダーさんとお酒の話しを楽しく。そこで”シャンパンと餃子は合う!“と盛り上がり。

日曜日にシャンパンを買いに。
日曜日はいつもの喫茶店で。
名物の白桃のジュース
宮川の朝市をブラブラしながら宮川のほとりでキュウリ。

今年は日本人がとても少ないそうです。と言うのも北陸新幹線の影響で高山よりも北陸へ観光客が流れているそうです。そのせいか外国人が目立ちます。西洋人の多さはいつものことながら、アジア系の人たちも多いです。顰蹙ものの大陸の人達は少ないようです。
いつも高山へ来ると必ず寄る春慶塗の卸、製造販売をされている“こくわさん”へ。緑の色が鮮やかな春慶塗。春慶塗と言えば赤系統が普通。緑色の春慶塗はとても珍しいもの。千円札一枚程度。今、朝ドラで能登が舞台となっています。能登と言えば漆塗り、そしてドラマはパティシエが主人公ということで、ケーキ用のお皿として漆塗りの小皿の需要が増えているそうです。伝統的なものも、常に新しいもの、新しい使われ方をして変化し続けています。家の電球色のLEDの下ではあまり上手く撮れていませんが深い緑の色が綺麗。いつも近所で買うケーキも美味しそうに(失礼、美味しいです!)


お昼はいつもの“鈴の屋さん”の天とじ丼。100年以上続く老舗の味。絶品。

帰りの途中、ワインに関心がある人たちならば一度は聞いたことのある“坂本酒店”さんへこのお店、山あいの小さな駅の久々野駅近く。なにが有名かというと先代が地下にワイン保管用のトンネルを、そしてその息子さんは地質学の専門家で現経営者。その品数の豊富さ、さらに希少なもの等で全国からこのなんにもない(失礼!)片田舎に購入に多くの人達が訪れます。勿論全国の名だたるレストランからも。以前から知っていましたが昨晩話題になった“餃子とシャンパン”のシャンパンを。

でも、色々ととお話しをしていると面白いことがあって楽しかったです。
長野県は県を挙げて東御市近辺を日本のワインの大生産地にすべく多くの人材を投入していて、段々その成果が出始めている、とのこと。また、リンゴ農園の高齢化のため、高所作業のないワイン畑への転換がドンドン進んでいる、等。
色々な伝統、長年の農業、皆、ドンドン時代に合わせて変わりつつある、そんなことを感じた、プチトリップ。

ちなみに、お店のお勧めのシャンパン、1000円。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カブトビール

2015-07-26 22:20:22 | 食・レシピ

近場の知多半島へ

一時期、世間では有名?になった”戸塚ヨットスクール”を見ながら

豊浜の魚市場へ

いつものおじさんに魚をさばいてもらって。

今日は、豊浜産のタイと

タコ!

知多半島のタコは海流が激しいためか、足が太く、美味しい、とのことで有名

知多半島の中心、半田へ

”半田”といえば、世界的な企業”ミツカン酢”の本拠地

運河沿いには昔ながらの倉庫街。黒壁におもむきがあります。

そして、最近、長年の復元作業から復元されたレンガ造りの建物

昔、ビールを作っていた工場跡

”カブトビール”

ジブリの映画”風立ちぬ”で名古屋駅の前に、この”カブトビール”の看板が描かれていました

明治時代にミツカン酢の4代目社長と敷島製パンの創業者が作ったビール醸造会社“丸三ビール”が前身

当時の大手のビール会社に対抗して、本場ドイツから職人を、そして帝国大学の優秀な大学生を採用して、当時の日本で最高のビールを作ろうとした会社

建物も、当時の日本では考えられないくらいの技術と贅沢をつくした建物

レンガとレンガの間にはコルクを埋め込んだり床にはコルク、おがくずをまいて外界との温度を守る、各種な工夫

そして、なんといっても積極的な宣伝活動

戦争中には連合国の激しい爆弾攻撃

というのも、この知多半島には

”中島製作所”と”日本油脂”が

”中島製作所”は有名な零戦を、”日本油脂”は火薬を、製造。そのために連合国の攻撃は激しいものでした。今でも、土地の開発をおこなうと不発弾がよく見つかります。そして、毎年数回、名鉄、もしくはJRが爆弾処理のために運休になります

”カブトビール”は戦後、”大日本麦酒”に吸収されます。そう、今のアサヒビール、サッポロビールの前身の会社です

建物の復活に合わせて当時のビールも復活。

お土産に

そして、この地は別のものの発祥の地

 

朝早く家を出て昼前には戻って、昼から、復刻ビール!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする