ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

あまりにもお粗末なテレビ番組とどうかなと思うこと

2021-10-31 20:33:29 | 
土曜日に何気なくテレビのスイッチを入れてぶっ飛びました!

山小屋の美味しい食事、三大グルメの最初になんとずっと通っている妙高市営の山小屋、高谷池ヒュッテの夕食が。
この小屋は永年、自炊の小屋でしたが、食事の要望が増えてカレーとハヤシを出すようになりました。勿論、美味しいカレー、ハヤシですが、レトルトです。これを三大山小屋グルメとして報道するのは?マーク沢山。手作りの凝った夕食を出す山小屋、日々歩荷をして新鮮な食材をあげている山小屋はあまた多数。そんな中でレトルトカレーが選ばれているのは驚き!
いかにいい加減なテレビ制作、そしてよくわかりませんが山小屋側、妙高市側がテレビ局に何らかの働きかけをしたとしたら?ですね。いくら何でもそんなことは無いとは思いたいです。
サンドイッチマンと芦田愛菜さんが食べていましたが。
それにしても、SNSでの”イイね“の数を誇ってみたり少しおかしな事はあります。今どき、イイねの数を競うなんて、一昔の前の話と。”イイね“の数が増やすことが仕事と思っていたら、大間違い。無名の存在を世間に知らしめるための、最初の仕事ではありますが。
テレビに出ていた他の山小屋側の夕食と比べても。一生懸命やっている現場のスタッフがかわいそう。
運営側の大問題かもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然の大雪

2021-10-24 17:57:17 | 
自分の車は修理中なので代車で
登山客も一段落するこの時期に下り坂の天気予報ですが妙高、高谷池ヒュッテへ。

姨捨SAからの妙高方面。妙高山は雲海の上に。
早めに笹ヶ峰牧場へ。写真を

知人と登山口駐車場で

管理人さんの車のバックミラーにカメラを。
そのために傾いてしまった!
登山口からうっすらと雪
今年の紅葉は夏の雨、気温のせいであまり綺麗ではないですが、それでも赤、黄の彩りは鮮やか












木々の間から弥八山方面
登るにつれて雪の量も多く



小屋に着くと雪も更に深く
小屋についたらまずは🍺で。
小屋の熱烈なファン?からの応援メッセージ
夜の仕込みを
熊肉と猪肉を入れた名古屋の”アカカラ鍋“
そしてつまみに熊肉と猪肉の燻製
贅沢なおつまみ
鹿肉のロースト。ギョウジャニンニクのタレを隠し味にタレを

スタッフのPさん、雷鳥調査で火打山を駆け回っていたN先生も。楽しく、いつもながらの宴会。一升瓶二本!つまり二升を!
夜は愉しく過ぎて。
夜半からは風雪が強くなって屋根から落ちる雪、窓にうちつける風の音も次第に大きく。

朝起きたら冬の装い
朝食をとったら出発





























まだ葉がついた木に重い雪が積もり倒木も。こんなことは珍しいです。今回の雪が多かったため











駐車場には雪のかぶった車
昼前についたので直江津のカレーの美味しい喫茶店へ
待夢里さん
嫁さんの野菜沢山の野菜カレー
カツカレーも絶品。
どんどんとお客さんが入れ替わり立ち替わり。
地元に愛された素敵なお店。
夜は今年の春に一度お店を閉めた”うどんの歩“さんへ。
かつてのお店の近くにこじんまりと
大根は変わらず美味しく








こじんまりと営業していくそうです。良かった!赤倉の夜、いくところが残ってくれて!
翌朝はうってかわって好天気
朝の光に輝く妙高山
そして黒姫山
朝食のあと、つい最近、修復工事の終わった旧関山宝蔵院庭園へ。
元々、お寺と神社が一体となった関山神社。明治時代の神仏分離により分離されたお寺の庭園








妙高山を借景に。
こじんまりとしていますが素敵な場所
関山神社にはこんなノボリも。
先の大戦では“妙高型重巡洋艦”があり、戦後は海上自衛隊の護衛艦の名前に使われている妙高山。
あとはひたすら名古屋へ国道18号線→19号線と抜け道を使いながら一般道で。

安曇野では南天の赤色と北アルプスの雪の白さ
木曽上松の越前屋さんでお蕎麦



いつもながらの美味しさ。
そのまま名古屋へ

ディーラーの代車。ハイブリッドの割に燃費良くないのはスバルの中途半端なマイルドハイブリッドのせいかな?長距離ではガソリン車の方が燃費良いかな?新しい車なので新東名120Km/hに対応した速度設定ができるみたいで135Km/hまで設定できるのですね(設定してみましたが前の車がいるので当然でません。自分の車は114Km/hが最高設定可能速度)。
それにしても今年の紅葉はあまり綺麗ではないですね、夏の雨、気温が高かったせいかな?





















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深まりいく秋

2021-10-19 11:57:46 | 
週末は天気崩れるという予報なので午前中で戻れそうな場所へ

愛知県奥の設楽町の段戸湖から寧比曽岳へ。

多くの釣り人が。
紅葉にはあと半月。
ユルユルと東海道自然歩道。


朝の光の中を
ここは愛知県でも有数の原生林
秋の紅葉の時には見事。多くのハイカーが来ます。時節柄、それを避けて少し早めに。










山頂。
この山からは天気良ければ南アルプスはもちろん、富士山も見えます。そして時には三河湾も。


今日は雲が多めで南アルプスは聖岳だけが見えていました。地元の設楽町が小まめに管理をしているようで、山頂には立派な屋根付き展望台。
そこに、地元の人達が撮ったと思われる絶景写真が。山の名前入り
朝7:00に登って8:30に山頂。そこで朝食を作って、昨日購入したかしわ餅を。
まったりと1時間半。登山者も少な目でしたが、とんでもないおばさん登山者も。たまたま知人と出会ったその人、近くで大声で会話(しかも我々はすぐ風下)、マスクもせずに。このご時世、マスクして喋ってください、と注意をしたら慌てて。緊急事態宣言は解除されたせいもあるのでしょうが気の緩みが怖いですね。
煩いおばさんいなくなって他の登山者達も皆さん、気持ちよく山頂で自然を楽しんでいました。
寒気が入り込んできていますが、ぽかぽかと、そして心地良い風に。
10:00過ぎに下山。
途中、大きな反射板

登りでかなり早めに歩いたので少し足の付け根辺りを痛めたので、ゆっくりと下山。もう若くないですから、少しでも無理をするとすぐに身体に異変が。運動不足もありますが。
昼前に段戸湖へ。
崩れるはずの天気が崩れないので、ちょっと足を延ばして豊田市旧小原村へ。
春と秋の2回花をつける”四季桜“
花は咲き始めていました。
普通の桜は、咲き始めてすぐに散りますが、この四季桜は長い間、咲いています。
あと、一ヶ月もすれば桜の花と紅葉の見事なコントラストが
昨年の11月の写真

来月、写真撮りにまた来るかな?
家の近くにできた“無人のお店”へ。
たまたま前の日のテレビで群馬県の餃子屋さんが無人のお店で餃子の販売を始めたら好調、と。
調べてみたら愛知県にも多くのお店。家の近くにもあったので早速

本当に誰もいません。店の左手にビデオでひたすら購買方法を。
冷蔵庫から取り出し、右にある神社の賽銭箱のような所にお金を
36個入りで1,000円。
他にタレも売ってました。
早めの夕飯でシャンパン餃子

昔、懇意にしていたソムリエさんから教えてもらったシャンパン餃子。普段飲みできる位の安いシャンパン(野口英世さんお一人)で、柑橘類の絞り汁で黒胡椒
戻る途中の山中のお店で購入した”ぬかご“と。
シャンパンはいつも岐阜県高山市近くの久々野の坂本酒店さんで。全国からワインを求めてお客さんが来る隠れたワイン店

ご主人も詳しい方。シャンパンにはたこ焼きも合いますよと。いつも、お手ごろ価格のシャンパンを。
庶民の味の餃子も少し、高級感。
餃子は36個入りで1,000円という値段で味の方は?と思いましたが、とても美味しく、やみつきになりそう。徹底した人件費を削ったコストダウンでこの味をこの値段で提供できるのですね。
それにしても、無人のお店、しかも料金箱も厳重なものではない、そんなお店が成り立つのは、やはり治安の良い日本だからでしょうか。
いつまで、続くのかな?












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の?車(追記)

2021-10-12 11:37:18 | 
今の車の走行距離が間もなく25万キロ超え

来年に車検。サスペンション以外は特に問題なくエンジンもすこぶる好調。
思えば、会社に入社して1年目の研修期間のあと、愛知県の工場へ配属。愛知県といえば当時、公共交通機関は貧弱でマイカーが必要。当時、矢張り活気があったのはホンダ。
ということでは赴任した翌日に会社の先輩に連れられてディーラーへ

最初のマイカー。当時は“デートカー”といわれた2ドアクーペが各社から出ていました。その中でお金のある人はトヨタの”ソアラ“、若い人、お金の無い人はプレリュードを、と。プレリュードは別名“プアマン ソアラ”と揶揄されていました。でもCMがモーリス・ラベルの”ボレロ“。これが素敵でこの車に惹かれて購入。

付き合う彼女もいないのにデートカーを。助手席はいつも同期、先輩と男だけでしたが。この車で最初に通勤した帰りに職場の女の子を乗せたら次の日には噂になっていたくらい長閑な時代。新車でも込み込みで180万円位でした。
この車でよく山、スキーと出かけました。
当時はホンダの車はチャチでフロアには段ボール(厚紙)が使われていました(後に会社の先輩でおなじ車に乗っていた人の車が大雨で水没して判明)。軽量化された車で1800CCで800Kgの重量で軽快に運転できました。また、当時はホンダはデザイン優先で、先にデザインが決まった後にエンジン等を詰め込んでいました。そのためにこの車もボンネットの流線型に合わせてエンジンはなんと、傾いて設置されていました。とは言えチャチなホンダ車、走行距離が増えてくるとトラブルが。リトラクタブルヘッドライトが勝手に上下し始めたりその他トラブルが出て70,000Kmで買い換えを。
登山、スキー等のアウトドアが趣味なのでステーションワゴンを。そこで選んだのが“スバルレガシィ”。ブルースウィルスのCMも素敵でした。当時のレガシィには今のように最低地上高を上げたアウトバックのようなSUVはなく、どちらかというと走りを重視していた車。元々10万キロ連続走行という性能で売り出していて必ずしもアウトドアとは関係なかったです。この頃はレガシィはヨーロッパ的でステーションワゴンはある意味高級感があるものとされていました。その中で唯一、”ブライトン220“という車がエアサスで車高を上げることができ、この車を選びました。

ライフスタイルにピッタリの車であちらこちらへ。特に山道ではエアサスは重宝しました。時速70Kmを越えると車高が元に戻るというワザも。
しかし、当時、自動車各社でリコール隠しが問題となり、車の品質そのものに課題が出ました。実はこの車もクルーズコントロールが暴走する、その他色々と。自分の車ではラジエーターが錆びて落ちそうになってこれもスバルが無償交換。エアサスは自分の車では問題なかったですがある程度走るとエアーが抜けるというトラブルが出ていたので10万キロ近くで買い換えを。

当時、CMに惹かれて“ランカスター”を。盲目の歌手ボチェッリとサラブライトマンの”Time to say goodbye“の曲にのって美しい自然を走る姿に一発で虜に。ということでこの車に。


この車は2,500CCですが確か1年後に3,000CCの6気筒水平対向エンジンの“ランカスター6”に乗り換え。そのエンジンは素晴らしかったです、ただ元々燃費の良くないスバルの水平対向エンジン、3,000CCになると顕著で、特に夏場のエアコン使用時には惨めでした。でも、それを補っても魅力的でした。

スバルの経営危機で日産傘下に、そして日産自体が厳しくなるとGMの傘下になり(後にトヨタの傘下)、当時のスバルのエンジニアがお金をかけて贅沢に作ったのが次のレガシィBP型、これに乗り換え。

今からは考えられないくらいにお金をかけて作られた車。そしてそれが当たりスバルは経営危機から脱出
そして間もなくアウトドアブランド”LL BEAN“と提携して“LLBEANモデル”が出たのですぐにこの車に。というのもスバルという会社、部品については問題が多く、車に当たり外れがありました。BPの初期型も自分の車には電気関係のトラブル多かったです。そんなこともあって乗り換え。スバル車はA型を避けるべし、とも。部品についてはトヨタ自動車と提携してから格段に良くなったとのこと。
このLL BEAN最後の6気筒水平対向エンジン、一番好きなエンジン、車でした。ドア下半分は別部品が付きツートンカラーで贅沢な作り。しかも車高が155CMつまり機械式立駐にも入りました。




おかげでこの車で嫁さんとあちらこちらへ行き27万キロになリました。スバルの中でも名車のひとつと言われている車です。特に最後の6気筒水平対向エンジン。ハイオク仕様なのでガソリン代は高かったですが。
次の車ということで巨大化したレガシィの代わりに日本専用に開発されたレヴォーグ

レンタカーで借りました。スポーティーですが、車高が低く底をあちらこちらの道路のアンギュレーションで擦ってしまうので断念。
次にアウトバックをまたレンタカーで。

大きくなったのですがとりあえず扱えるギリギリのサイズ、ということでA型ではなく翌年のB型を

そして今の車。
ナンバーは数字部分は同じ。
どんどんと大きくなってきましたし高さも高くなりました。この頃は明確にこの車はアメリカ向けであってそれを日本で発売する、というもの。2,500CCの自然吸気エンジンは踏めばレスポンス良く、高速道路では安定走行。しかもレギュラーガソリン仕様。嫁さんとあちらこちらへ行きました。また、トヨタ自動車の傘下になり共同開発のBRZ(トヨタ車は86)の後、塗装もかなりトヨタ自動車の技術も入り格段に進歩したそうです。某コーティング業者の方より聞きました。かつてはモーターショーの展示車、今では億単位のスーパーカーのコーティングも施工している方。自分の車もお願いしました。


おかげで25万キロになっても(山道の草むらでつけた細かな傷を除いて)未だに綺麗です。

この車でも間もなく25万キロ
車検は来年なのでどうするかなと。
サスペンション以外は全く問題なく、エンジンも好調。



つい先日、後継車が出ました。もう、自然吸気エンジンは無理なのかターボ仕様。それよりもサイズが更に大きくなっています。メーカーは”サイドミラーtoサイドミラー“はモデルチェンジ前と同じ、だから扱いやすさは変わらないと。メーカーの人は本当に自然の中に行ったことが無いのだな、と。都会の郊外、あるいは北海道の広々とした道路ならばいざ知らず、本当の自然の中の林道では車体そのものの大きさが重要。路肩の岩、枝等の突起物を避けながら運転したことがないのだろうなと。今の車も結構、傷があります。
嫁さんも、これ以上大きくなるとね、と。
長年、登山等で林道を走り、駐車場に着くと、スバルのフォレスターに乗った年輩のご夫婦に良く出会いました。とても素敵でした。
先日、ディーラーで嫁さんと試乗しましたが、イイねと。
エンジンは1800CCターボ。今までターボ車には敢えて乗りませんでした。昔のターボ車は耐久性に問題があったので長く乗るのが難しかったです。でも、今のターボ車も耐久性あるので良いかなと。



色は、やはり、緑色(カスケードグリーン)か赤色かな。スバルの赤色は他社の赤色と異なって独特の色合い。

何よりも、自分自身、20年以上自動車の電動化の仕事をしていました。まさにハイブリッド車の黎明期から大手の自動車会社と仕事をして多くの設計者、開発者の方達と話をしました。2000年の少し前、初代プリウスが発売された時も、自分の会社では“車がモーターで動くはずはない。プリウスは失敗作だ”といわれていた時代。社内でも可能性について説得しなければならなかったことも懐かしいです。そして仕事をしていく中でいくつかのハイブリッド車にも自社製品が採用されてきました。
他にも世界初の量産型電気自動車の開発、採用にも関わってきました。
そのハイブリッド車、電気自動車の魅力は勿論判っています。でもだからこそ、そして60歳を超えて最後の車となると、偏屈ですがやはりガソリンエンジン車を選びたいと。その後は、移動することも少なくなると思うので近場を走るための、自動走行機能のある電気自動車かな。
等と考えていると、楽しいですね。
でも、一番の心配は、現役時代を離れて懐が寂しくなってきたこと。これがひょっとしたら一番かも。
これから1年、悩みながら。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋東京日帰り

2021-10-11 09:44:32 | 旅行記
東京へ名古屋から日帰り
未だに高速道路休日割引が適用中止中。人流抑制と高速道路会社はいいますが、本音は、休日割引を止めたいということでは。以前、その方向で諮問委員会が開かれていたので。まぁ、役人の天下り先での甘い蜜はなんとかしたいのでしょうね。
仕方なく深夜割引を使って三好インターを朝3:55に入場。
その後はスバルのアイサイトでひたすら半自動運転



今日は富士山も綺麗。午後からは雲が多くなる予報ですが。
節約のため、御殿場にある足柄SAにあるスマートインターから国道246線で一般道。
降りる前に、いつも寄るSA内のマックへ。
外のテラスで食べていて気がついたこと。
①以前は朝のマックは年配(下手をすると自分よりも年上)の方が数人で応対していましたが、今日は若い人達が沢山。緊急事態宣言解除で人出が増えたこともあるのでしょうが本当にそうなのかな、と。
②夜行バスが増えた、と。以前は殆どいなかった、あるいはいても数台ですが、今回は結構な台数が。
③長距離トラックが増えた、と。少しはものが動き始めているのかな?ただ、それに伴って特に九州、四国の交通マナーの最悪なトラックも増えましたが。3車線で大型トラックは第1車線走行義務がありますが悠然と第2車線、酷いと第3車線、所謂追い越し車線を走行するトラックの多いこと。新東名の120Km走行が難しいと。だいたいそういうトラックは九州、四国、時には山陰地方のトラックですね。
などと思いながら眺めていてからスマートインターへ。
スマートインター降りてすぐに富士山をの隠れた絶景ポイント。
この車も間もなく25万キロ
運転席からの死角の右後方に“鶴齢”と”SHUNSIKE“シール

サスペンション以外はいたって問題なし。エンジンも好調。
でも、来年に車検なので次の車を考えることも。
この車の新型車がついこの間発売されました。
ただ、必要のないものが標準装備されており、かなりある高額に。外車と遜色ない価格。でも何よりも車幅が大きくなり、実用上問題かと。というのも山道に入るとことが多いですが整備されていない山道が多く、岩や枝が飛び出ていると車体を擦ると。メーカーは“ドアミラーtoドアミラーでは旧モデルと同じ”と言っていますが街中、若しくは北海道のゆったりとした道しか考えていない発想ですね。
寧ろ、少し小型のフォレスターにしようかなと。
価格が安いこともありますが、永年、山登りであちらこちらへ行きます。その時に、ご年輩のご夫婦が良く乗られているのがフォレスターでいつも素敵だなと。色々と考えるのも。とはいえ、現役引退した身なので懐が一番。
やはり現役時代に自動車の電装化、電動化の仕事を20年近く携わっていてそのエコ、魅力は十分に理解しています。まさに自動車の電動化の初めの頃から。だからこそやはり身体の動く内はガソリン車が良いかなと。
一般道、国道246号線も東京からの下りは御殿場近くまで大渋滞。ナンバーを見ると御殿場よりは神奈川ナンバー、東京に近づくと関東ナンバーが。やっぱり関東は人が多すぎると。何かあれば収拾つかないですね。先日の久しぶりの地震でも。東日本大震災から10年経っても関東集中はとまりませんね。

ナビを見ても東名の下りは、渋滞の赤色、そして多数の場所で交通事故のマーク
神奈川県登戸の父の墓参り。
その前に知人から教えて貰っては以前行ったことのある蕎麦屋さんへ


奮発して松茸蕎麦。多分、今年最初で最後の松茸かな。毎年、妙高笹ヶ峰での仲間達とのキノコキャンプ、コロナのせいで去年、今年と中止。寂しいです。
嫁さんは伊勢湾の鯛の漬け丼。
伊勢湾は潮の流れもあり魚は身が引き締まっていて美味しいですね。
実家は先日の地震でもなんともなく、母親に会ってから夕方名古屋へ。
一口に東京といっても、新宿から西の武蔵野台地
と東側の扇状地とは異なります。関東大震災の時もそうですが武蔵野台地側はしっかりしていますが、扇状地側は大きな被害が。
湾岸沿いの超高級タワーマンションなどによく住めるな、と東京出身としては思います。でも、本当はお金が無いだけで、単なる僻みですね。
夕方名古屋へ
途中、神奈川県辺りは一般道も混むので大井松田まで東名高速道路で、その後は節約のため一般道へ。
前から気になっていた由比にある”さった峠“へ。
怪しい道を通って展望台近くの駐車場へ行くと、本当は駿河湾、東名高速、東海道線、そして奥に富士山が見えるのですがガスがかかっていて見えませんでした。またの機会に
そして浜松インターから東名高速で名古屋へ。
深夜割引適用のため東名三好に0:05。

朝4時前に出発、深夜0時過ぎに帰宅。


翌日は近くのシネコンで映画を観てからお酒を

上越柿崎の代々菊酒造さんが唯一、他のブランドで出しているお酒。近所の酒屋さんで。先代同士から始まったらしいです(代々菊酒造さんで聞きました)。
“御器所”と表記、”ごきそ“と読みます。名古屋の地名。
夜はこの美味しいお酒で秋の夜長を楽しみました






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする