ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

6月に観た映画

2020-06-29 18:48:50 | 映画

原題は
”The current war”
交流と直流の闘い
直流を推し進める発明家エジソン、交流を推し進めるウェスティグハウス、そして最初はエジソンに、しかし、その対応の酷さかからウェスティグハウスについた、モーターの先駆者のテスラ。
とにかく、発明家エジソンの醜い部分が目立った映画。死刑囚に交流を使って残虐さを強調して交流を貶めるエジソン。結局、周りから仲間が減り遂にはエジソンの会社が倒産、それがGE(General Electric)となるなど、今の世の中のでは当たり前の電気の黎明期を。
面白い映画でした。テスラ、これはモーター、変圧器の業界に携わっていると馴染みのある単位、テスラです(磁束密度の単位)。でも、むしろ電気自動車メーカーのテスラの創業者が敬意を表してテスラから名前をつけています。
武漢肺炎後、本格的の観た映画

旧ユーゴスラビアの現北マケドニアのドキュメンタリー映画。
体の不自由な高齢の母親と暮らす蜂蜜採取を生業とする女性。そこへトルコ系の家族が来て生活を乱されますが、彼らは自然を上手く扱えず、這々の体で出ていき、また、昔からの生活を取り戻します。自然の中に我が身を委ねて、その自然の中で力強く生きていく、素敵な映画。
”半分はあなたに半分は私に”
自然を全て搾取するのではなく、自然の一部を頂く。
もう、忘れてしまった生き方。
武漢肺炎後の映画でしたので、結局、武漢肺炎という自然に振り回された人間界には強烈なアンチテーゼのような映画



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半世紀ぶりの奈良県明日香

2020-06-28 20:28:42 | 旅行
中学校の修学旅行以来、約45年ぶりに奈良県明日香村へ。

飛鳥寺へ。
ここの日本最古の大仏様、写真撮影が可能です。

お顔には深い傷跡も

本当に懐かしい、温かみのある、お顔立ち。癒されます。





昔は広大な伽藍であった飛鳥寺。今は小さくなっていますがお花が素敵。

ここの鐘楼はつくことが出来ます

嫁さんも、つかせてもらいました。
外をあるいていると、最近(といっても2000年)に発掘された遺跡

”亀形遺跡”
ボランティアの方がいらっしゃったので説明をお願いしました。
天皇がここで身を清めて、奥の山を参拝した、とのこと。
そしてここを造るために当時の日本の人口が500万人という時代に3万人近くを動員して運河を造り物資(大きな石)を運んだそうです。

ここにも花が。

ボランティアの方の説明はとても面白かったです。なにかいにしえの日本を少し感じることが。
外国人観光客のことを色々と聞くと、あまり多くは来ないとのこと。でも、外国人観光客も最近増えてきてアジア系は全く来ておらず西洋人がほとんどだそうです。やはり東洋的な神秘的なものに惹かれるのかもしれません。
ボランティアの方にお礼を言って、奥の山へ。



この時期、紫陽花が綺麗です。

山の上には酒船石

今回は亀形遺跡、石舞台、高松塚古墳の三カ所のチケットを購入

石舞台へ。


昔、中学校の時にはよじ登った記憶が。
ちょうどアンケートをとっていた奈良県の職員の方がいらっしゃったのでお話しをしたら、そうなんですよ、昔は登った人もいました、と。





よく、こんな大きな石を運んだなと。そしてそれを可能にする巨大な権力に改めて驚きを。
そして高松塚古墳へ。

修学旅行当時は発見された直後で、壁画が外気に触れてはいけないとのことで封鎖されていました。実はこれが後に大きな間違いで、カビだらけに。



近くに壁画の模写を観ることが出来ます。空には星座が描かれた、そして中国、朝鮮の様相の人達の壁画。
どんな思いで描かれたのか、と。
約半世紀ぶりの修学旅行。

お昼になったので、来るときにみた”三輪”の地名。素麺。食べようと行きましたが、どのお店も1時間以上の待ち時間。
(こんな事を言っては申し訳ないですが)素麺食べるのに1時間以上も待つのは?と思い、名古屋へ。
伊勢湾岸道経由で戻ってくると名古屋港に、あるものが見えたので高速道路をおりて近くへ

仙台、苫小牧への太平洋フェリー

いつも、北海道へは新潟港からの新日本海フェリーを利用します。名古屋港発の太平洋フェリー、仙台で半日ちかく停泊、そして苫小牧へ行くので時間がかかってしまいます。でも船内は新日本海フェリーよりも豪華です。



ちょうど自衛隊の車両運搬。
そして更に面白いものを

フェラーリが職員達の誘導のもと、右へ左へとジグザグに乗船口を。車高の低い車、やっとのことで乗船出来ました。おりるときも大変そうだな。

構内には名古屋、仙台、北海道の三カ所のポスターが仲良く二枚づつ。
夕方には自宅へ。
次の日は豊田市の方へ出かけてから名古屋のお店でお昼を。

ちょうど燕の子育ての時期。
微笑ましい光景。
名古屋へ戻ってくるととんでもないことが。お店で待っているとき、大半のお客さんはマスクを付けて待っていますが、若い女の子達の集団がマスクを付けずに大きな声で大騒ぎして待っていました。あまりの酷さで嫁さんも、店を出ようかと。仕方なく、女の子達に、”少しは周りのことを考えたらどうかな、マスクをせずに大騒ぎするのは迷惑”と。すると大人しくスマホいじりを始めました。どうせ、変な親父に文句言われたとSNSに書き込まれたと思います。
こんな事だから東京でも若い人達の感染が増えていますね。
経済活動再生のために動くことは大事なこと、でもそれに臨む国民には世の中の心構えが出来ていないですね。
第二次感染が来ると間違えなく東京だけではなく名古屋も同じことが起きるかもそれません、そうならないことを祈るだけですが。
元々は中国の武漢肺炎、でもそのあとは海外からの入国制限出来なかったこと、更に運の悪いことに一番問題のある東京で都知事選があるために思いきった対策がとれないこと。
これがこれからの悪い予感になるかもしれませんね。






















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吟田川まで武漢肺炎の影響!

2020-06-21 19:38:00 | アウトドア
ようやく、強引に自粛を解除した最初の週末に皆で武漢肺炎退散寿司パーティー

我が家は愛知県南端の知多半島でお魚。



営業時間前に到着したので豊浜港を




特に知多半島のタコは、海流が早いので筋肉質で有名。多くが都会の高級料亭にまわるもの多いです。

顔馴染みのおじさんにさばいてもらいました。金目鯛とタコ
そして21日(日)は夏至。夏至にはタコを食べるのが日本の伝統のようです。
朝早く市場へ行き、ひたすら妙高へ。

好きなソースカツ丼。
1回赤倉経由、上越柿崎へ。

代々菊酒造さんの吟田川(ちびたがわ)。

顔馴染みのおじさん、おばさんと色々と。
武漢肺炎のために全てのイベントが中止。そのために昨年から仕込んでいた日本酒が全く売れない!
そして無駄になってしまう、とのこと。
売り上げも大幅減。
日本酒は1年近く時間をかけてようやく1つの形になります。それが突然、のことで。
特に色々な新しいお酒も考えていたのでそれも大きな影響。
でも、なんとかしていくよ!と。
我が家もお酒を

全国各地に酒蔵があります。お気に入りのお酒を呑むことによって酒蔵を助けられます!(単なる呑兵衛の言い訳?)
また、来ますね!とお別れして外に出ると素敵な光景



上越の名峰、米山も新緑と田んぼの緑でとても綺麗な、こめどころならではの素敵な風景。
色んな営みを、そして日本古来の伝統をぶち壊した武漢肺炎!
これからどうなるのかな?
赤倉では寿司パーティー🍣





美味しい魚、美味しいお酒、そして素敵な人達とのまたとない語り合い。
本当に素晴らしい夜、でした。
朝起きると

梅雨の合間の妙高山
昨晩、知人が作ってくれたお財布を。





母のいる東京の実家へ。

子供の時からの神社。
やっぱり、自粛解除とのことで物凄い、とは言っても武漢肺炎前くらいの人の集まり。
もう、心に心配があっても気分は完全に今までの生活の感覚。

東京から戻る東名高速でも上り線は武漢肺炎前と同じく渋滞。
厚木と東京の間はいつもの風景。
もう、東京の人達は大移動。
まだ、東京は安全なのか、よくわかりませんが。
経済のため、ということもありますが都知事選のために強引に規制を解除したような気持ちもますね。
イタリアのように都会からウィルスを地方にばらまかなければ良いのですが!















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梅雨の間の閑かな山歩き

2020-06-15 09:43:26 | 
梅雨に入ったばかり。今年は梅雨前線が安定していないのか、天気予報も刻一刻変化。
とりあえず金曜日の明け方まで雨、その後曇り、土曜日も午前中はもつ、との木曜日の予防でお花が盛りの高谷池ヒュッテへ(予報はものの見事に外れました)。

梓川SAからは北アルプスもどんよりと。
武漢肺炎のため高速道路も24時間営業の食堂も時間制限で営業しておらずコンビニの弁当を購入して展望台へ。
笹ヶ峰へ来ると雨で美しさを増したお花が。






牧草も雨で耀いて緑色と香りが漂っています。

駐車場にはスタッフ(明日下りるスタッフと今日下りてくるスタッフ)の車とトレランの人の車だけ。雨も小降りになって晴れ間も見え始め”笹ヶ峰マジック”と。
となると虫が出てる来るので嫁さんは新兵器を

虫よけネット。

色々と武漢肺炎の影響も。
まぁ、ウイルス自身はいなくなったわけではなく、そして今、冬の南半球では猛威を振るっているので常に危険と隣り合わせ。
むせるような新緑の中歩いていると、雨がポツポツと。今回の”笹ヶ峰マジック”は長続きしませんでした。













夏の花(ハクサンコザクラ)も素敵ですが春から夏への梅雨の今の方が花の数も多く、人も少なく好きな時期。黒沢も雨で増水。




















この時期は夏道と冬道が混在していてルートファインディングが出来ないと大変

そういう意味ではここへ何度も夏のみならず春先にスキーで登らないと難しいですね。とはいえ、今年は雪が少なくて例年に較べると圧倒的に楽。




例年は雪に埋もれていてトラバース道への入口を見つけるのに苦労することがありますが今年はほぼ夏道。
富士見平からのトラバース道も例年ならばアイゼン、若しくはストックが必要ですが今年は楽に通過出来ました。小屋の近くで近くの学生を訓練・指導していた地元の登山ガイドのNさんとすれ違い様に立ち話をたら、標高2500m以上は例年並みとのこと。ということは2600mの火打山は雪が少ない、ということかな。確かに霧の間から見ると少ない、緑が多く見えます。
小屋についてスタッフとお話しをしてから天狗の庭へ散策




雪がある今しか歩けない、そして今しか見ることが出来ない景色。ここへ三脚を持って写真を撮りに。
すると天狗の庭で初めて見る光景

なんと、池の端が大きく落ち込んでいます。ナイアガラの滝のように水流が多く流れ込んでいます。雪の少ない今年だからの光景かもしれません。
今日はスタッフと我が家で宿泊者いないので夕方から宴会を

と、突然、雲がきれて後立山が。

でもしばらくすると曇ってしまいました。こんな時期なので一瞬の光景が素敵に感じるのですね。
夜は、やっぱり記憶をなくしてしまいました。でも、この山、そしてこの山小屋を好きな仲間は愉しいですね。

いつまでも、頸城の山小屋として地元に愛されてほしいです。そして山小屋とは、ただ美しい場所だけではなくそこを守ってきた今までの人達、スタッフだけだはなく、地元の人達の思いが詰まっています。この山小屋の良さはその雰囲気に惹かれたリピーターが多いこと。いつまでも”変な商業主義”に毒されず愛される山小屋であり続けて欲しいものです。

翌朝はようやく、火打山のご尊顔を拝することが出来ました。
地元の知人も登ってきて色々と。
天気予報良かったのに朝から雨、とのことでヒュッテから一緒に下山

雨も結構、降り始めて黒沢も昨日よりも増水

そして”幽霊草”
光合成をしない変わった植物。鬱蒼とした草むらに見つけるとやっぱり幽霊ですね。
下山して笹ヶ峰の明星荘へ挨拶がてら美味しい山菜そばを食べようと思ったら休業中。確かに土曜日で雨も降っていて、日本中に蔓延している自粛ムードで観光客は皆無。仕方ないですね。
知人と別れて昔の登山口入口跡で泥のついた長靴(火打山登るときは登山靴はいたことありません)を洗っているとこれまた、新潟の知人のN子さんが車で。天気予報では良くなかった予報だけれど笹ヶ峰は良いかな(笹ヶ峰マジック?)と思ってきたそうです。色々と長話をしてから名古屋へ。

赤倉のよく行くお店に電話しても出ないのでそのまま高速へ(後できいたら昼は営業していないとのこと。確かに人がいませんからね)。駒ヶ岳SAでご当地料理のソースカツ丼を。
空いている道路を名古屋へ。
往復ともにスバルのクルーズコントロールでほぼ自動運転で燃費を稼いだせいか往復700Kmを無給油で。
この時期ならではの閑かな山歩きでした


















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この混乱の時に。価値観が変わるのかな?

2020-06-08 12:45:47 | 社会・経済
週末は東京の母親を連れて飛騨高山へ。

ストロベリームーンを見ながら。
新東名高速でも世の中の変化を

今までは深夜の長距離トラックで大混雑しているPA,SAもガラガラ。こんな事、武漢肺炎以前には無かったことです。確かに長距離トラックはせいぜい広島から、あとは殆どが高速道路沿いの県トラック。そして夜行バスも無く、あっても埼玉までのあちらこちらを寄るバス。

とはいえ、先日までの”自粛”から”慎重に”の表現に変わっています。
実家経由中央高速へ入るとやはり週末割引がないせいか空いています。とはいえ近場まではソコソコの車。

諏訪湖のSAまで来ると車も大分減ります。雲ってはいますがアイスクリームが美味しく感じます。
乗鞍方面、乗鞍スーパー林道へ。

目に刺さるような新緑と乗鞍岳の残雪。
頬にあたる新緑の風が梅雨前の素敵な自然の営みを感じさせます。

そしてちょっとした広場で乗鞍岳を見ながらアウトドアご飯

これほど”集・近・閉”(=3密)を避けたお昼は無いでしょう。作ってきた(嫁さんが作ってくれた)シチューと”脱アルコールワイン”で。

夜は母親が好きな飛驒牛を。





お店も6月になってから営業再開したもののお客さんも少なく、従業員の方達も交代交代で仕事をしているそうです。
母親をホテルに戻してからしばらく高山の夜をブラブラと。



閑散としています。

でも、飲み屋街へ行っている見ると、東京と同じく、若い人達、男の子、女の子たちがマスクせずに沢山!
一気に気持ちが緩んでいますね。
夜の国分寺


翌日は宮川の朝市へ。



やはり閑散としています。
顔馴染みのお店もありませんでした。
いつも行くお店(山菜とか地元のものを買っていて顔馴染みに)では、もう、どうして良いかわからないくらいとのこと。
東京へ戻る途中、新島々近くで見た光景







この地区では最大のバス会社も大量の”休車”のバス。
観光業界への影響の大きさを痛感します。



普段ならば東京へ戻る車で車の多い中央高速道路もガラガラ。
ところが東京から(神奈川の父親の墓参りをして)東名高速へ入ると、厚木近くまで東京への渋滞(反対の上り車線)。どうも皆さん、休日割引がないせいか近場、鎌倉江ノ島あたりに大挙して押しかけているようです。
武漢肺炎ウイルスの次の感染、起きるかな?ウイルスはいなくなったわけではないので。
ところで今回の世の中の激変では次のようなことを(今の段階で)感じます(これから更になにが起きるかは予測不可能ですが)
①インバウンドは結局は日本人にとっては良いことなのか?と。全体を見ると外国人が来てものを買い、観光業界を利用すればお金は”日本全体から”見ると落ちます。でもそのおかげで、どんどん値段は(昔からの)日本人にとっては高く、そしてホスピタリティも落ちています。日本に来る”金持ちの”外国人にとっては安い!と感じても、”普通の”日本人にとっては高くなってしまっています。そしてあまりにも外国人向けに、日本と言えば”忍者””刀””芸者”をモチーフにしたその地には全く関係ないもが蔓延っています。
②インバウンド、特に中国無しではもう日本はやっていけなくなってしまったこと。これだけ日本に入り込んでいたと認識しました。しかも、その結果、見るも明らかなことが。中国に楯を突いたとき、日本の生殺与奪が中国に握られてしまったこと。これは中国に浸食されたと言われる豪州で中国に逆らった途端に不買運動、渡航禁止となっています。つまり、今の中国に逆らうとその国そのものの存立が左右されるということ。
今後、日本が従来のようなインバウンドに頼った立て直しを図ると同じことが起きます。

色々と考えさせられる、今回の騒動
(いや、今後、もっと大きな日本社会の変化が起きるかもしれませんが)













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