ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

11月に観た映画

2023-11-30 09:22:55 | 映画
この映画は最初は全く期待しないで観ました。そもそも、ゴジラはビキニ環礁の水爆実験から突然変異して生まれたというのが、昭和世代の思い。てすから水爆実験前に、しかも戦争末期に特攻隊のための島に現れた、そして戦後の日本の混乱期に銀座に現れるという目茶苦茶な時代考証?なのて全く期待せず。
しかし、いざ、観ると、この映画はゴジラという名前を冠していますが、ゴジラが主人公ではなく、敗戦後の混乱した日本、アメリカも冷戦のために手助けしてくれず、自衛隊もなく、武装解除された中で、日本人だけで、しかも戦争を生き抜いてきた人達の日本の復興に向かう映画。その意味で、高度経済成長に向かう前の、戦後復興の端緒となった、人間ドラマでした。そして胸が熱くなったりしたのはやはり昭和ノスタルジーかもしれません。
”生き残ったものが生きるために戦う“
この言葉の重さを感じた素適な映画でした。
手塚治虫さんの原作、STUDIO4℃の作画。独特の映像は最近のアニメ映像とは一線を画す、懐かしさを感じるもの。ストーリーとしては今の時代ではありきたりのものですが原作が作られた時代には壮大なものだったと。時の経過と昔の懐かしさを思う一方、その今の姿とのギャップ。今を生きる事の大切さ、それを感じさせる映画。昔の作品でも、今の時代にあてはまる、その先見の明を見据えた手塚治虫さんの素晴らしさを感じる映画
福井県の観光PRのような映画。新潟県の燕、三条のように元々基盤があったのではない福井県のメガネ。最初に冬の出稼ぎの代わりにメガネに取り組んた篤志家の強い思いからここまで発展したということに驚き。数年前にメガネの聖地と言われる鯖江に行ったことも思い出。メガネを使っているので親しみのある映画。
P.A.worksのお仕事アニメ。
今でこそ“ジャパニーズウィスキー”ともてはやされていますが、大学の就職活動をしていた40年近く前には全く状況は違っていました。当時は酒造メーカーにも人気はありましたが、それは某メーカーのペンギンをモチーフにした宣伝、或いは広報活動に惹かれて人気があったので”酒そのもの“に人気があったわけではなかったです。大学の近くにウィスキーの蒸留所があったこともあり、就職活動では就職先の候補としていてウィスキーメーカー(酒造メーカーではありません)を。日本の2か所の蒸留所で作っているメーカー、全く同じ素材を使いながら、水、空気の違いで全く異なるウィスキーができる、その不思議さに惹かれました。結局いくつかの内定は貰いながら、最後にはウィスキー会社と大手素材メーカーと迷いました。結局、当時は海外志向も強かったので素材メーカーに就職。素材メーカーに入社してからも、よくバーには通って世界のウイスキーを楽しんでいました。土屋守さんの名著“ウィスキー大全”を片手に、ウィスキーに詳しいマスターと話をして楽しんだものです。還暦過ぎて振り返ってみると、人生の大きな岐路のひとつはこの就職先です。もしもう一つの選択肢、ウィスキーメーカーを選んていたら、今知りあっている人達とは知り合いになっておらず、嫁さんとも出会えず、全く違ったものだったと。
そんな事を思いながら、家族経営の蒸留所の話の映画を観ていて、色々と考える事も。すぐに利益が出るのではなく、数年先、或いは数十年先に結果が出る製品、一度トラブルが起きると、このような家族経営の小さな蒸留所は窮地に落ち込む事も。
ただ、やはり現代的な、SNS、クラウドファンディング等は時代の流れを感じさせます。そんな素敵な映画
愛知県春日井市の市制80周年記念事業で制作された映画。実話に基づいたもので春日井市にある大学生の日本に金を稼ぎに来ているフィリピンの調査を研究テーマに。調査しているうちに、普通にイメージしていたものとは異なり、フィリピンの女性達の逞しさ、明るさに惹かれていき、ついに結婚。
とりあえず愛知県での先行上映
この日は原作者の御本人、監督、出演者の挨拶。


終了後には、原作者、監督、出演者のサイン会。
嫁さんの実家すく近くの春日井ニュータウンの話、中部大学の話を色々と。ロケ地も仕事でよく行った場所だったり、名古屋市の異国エリアである池田公園とか、馴染のある場所も。とても明るい、素敵な映画。
原作者のフィリピン人の奥様は、三人目の子供を身籠っていて今回は欠席、その他の女の子たちは夕方からの仕事なので欠席、とユーモア交えた挨拶でした。
ここまで破天荒となると関係者も怒るを通り越して笑ってしまう、そんな快作。前作のハチャメチャを更にスケールアップ。でも、ここで描かれている事はほぼ“その通り”と納得してしまう、そんな関西人の心情を。昔、仕事でよく神戸の工場へ行き、夜、飲みに行ったときに、東京生まれの自分として”関西は“と一言いった途端に“神戸と大阪を一緒にするな!”と酔っぱらいながら絡まれたのを懐かしく。俳優さん達の、なんという無駄遣い!そしてクソ真面目に!
となると、次はどことどこかな、と思ってしまう、娯楽作品。















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今年の去りゆく秋を

2023-11-27 09:50:32 | 写真
週末は名古屋東京日帰り。 
今年一番の寒気に覆われた日本。寒さも突然訪れました
鮎沢PAではいつも見ることができる富士山も厚い雲の中。
実家近くの杉並木は紅葉
半世紀前に卒業した小学校も昔のまま。
いつもの喫茶店


寒さが厳しくなったせいか、朝一番にはお客さんも少なく。

ナポリタンとモーニング
小学校の頃に遊んだ神明社、昔は天祖神社の銀杏も見事に色づいて


遅い秋、ようやく東京にも

用事を済ませて、神奈川県登戸の父の墓参りをして名古屋へ
相変わらずの渋滞。お役所仕事の高速道路会社の無策の工事のせいですね。
日曜日は愛知県豊田市小原地区(旧小原村)へ四季桜と紅葉の写真。
紅葉はまだだった2週間前のリベンジ。
夜明けの四季桜と紅葉。仄暗い紅葉に白い四季桜が星空のように。
だんだんと陽が出てくると紅葉と四季桜のコントラスト。朝の透き通るような寒さと陽光は昼とは違う色合いをみせてくれます。

超望遠で四季桜と紅葉を切り取ってみました。




今年は遊歩道が土砂崩れの山にも朝の光が。温かみを帯びた朝の光の中に紅葉と四季桜
隣の寺の参道沿い



朝8時半近くなると沢山の観光客が押し寄せて来ましたので我が家は退散。家に戻る途中でいつも寄る“どどめきの里”さんへ
おばちゃんたちの楽しそうな声を聞きながら、柚子を隠し味にした素敵なごへい餅

おばちゃん達が、ナタで一本一本手作りで作っている”持ち手“。なにからなにまで手作りのごへい餅。隣にはおばちゃん達の育てた野菜など。我が家は漬物と辛子味噌を。


昼前には帰宅してから近所の八事興正寺さんへ。
紅葉と五重塔が晩秋の空に映えます


予約制の普門園へ。

地元愛知県出身、京都の芸術大学をでられた若手作家の和紙を使った展示物
日本の四季折々をイメージして作られた作品









繊細な和紙の展示物は普門園の古い建物を現代の風が駆け抜けるよう。
手入れされた小さいながらの中庭。まるで“小宇宙”。

五重塔の塔も
奥のお茶室、和ガラスと相まって素敵な雰囲気。皆さん、開放されているのにここまでいらっしゃいません。勿体無いですね。


中庭を望む縁側で。ときおり聞こえるお寺さんの鐘の音。
過ぎゆく日本の晩秋を静かに楽しめます。
普門園の方と、京都は外国人観光客で溢れかえって日本の情緒を楽しむどころでは無いですが、ここでは静かに時をすごせますね、と色々なお話を。

外へ出ると四季桜

特別拝観で使えるお寺のサロンへ。
若い僧侶の方とお寺さんのスタッフの方がサロンを運営。
手入れされた白い玉石の中庭、そして過ぎゆく紅葉。お客さんたちも静かに時を楽しんでいました。
すると、目を疑う光景。

土足禁止の回廊から若い夫婦と子供が裸足で降りてきてこの、中庭を走り回っています。
僧侶の方たち、スタッフの方が血相を変えて飛び出しました。
戻ってきたスタッフの方達にうかがうと、履くものが置いてなかったので(土足禁止の回廊ですから)、裸足で降りたと。皆さん呆れていました。ここまで日本人は劣化したのか?と。少子高齢化で”産めよ育てよ“と異次元の少子化対策を打ち出している日本政府。質よりも量なのですかね?

晩秋の日本の伝統を楽しみながら複雑な思い。


















































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登山の後にずぶ濡れに。奥三河の登山と奇祭

2023-11-24 08:10:31 | 
飛び石の休みなのでこの日は愛知県からは一歩も出ずに。
奥三河の入口にある寧比曽岳へ。
日の出前から登り始めて途中で日の出。さすがに御来光とまでは行きませんでしたが。

落ち葉の香りが漂います。
晩秋、初冬の低山の魅力。

手入れされた人工林が美しい。


お手軽に山頂に。
山頂ではまずはモーニングコーヒー


我が家で冬に愛用している北海大和のコーンスープ。トウモロコシの粒と濃厚なスープが素敵です

メスティンでご飯。適度に”おこげ“も。
レトルトカレー
朝カレー。
二種類のカレーを新潟県妙高の昔、素敵だった某山小屋のカレーのように。昔の管理人さんが始めたカレーとハヤシを両方頂く食べ方。

早朝は雲が綺麗に



我が家しかいない別天地
下山してくると陽の光も登山道に。
下山途中に地元の足助消防署の方達が数人、登山者への啓蒙活動を。
ご苦労さまです。低山とはいえ結構伐採道等が入り乱れている寧比曽岳。朝からの啓蒙活動、ご苦労さまです。
9時半過ぎに登山口。
最近使い始めた付け替えザック。べースにいくつかの容量のザックを付け替えることができます。今回はカメラと食材のために一番大きな35Lで。若い頃には登山のときには持っていくものを無理やりザックに詰めこんで、だんだんザックも70Lとか大きくなりました。重いザックを背負って縦走していると、なにか不思議な優越感を。
でも、歳をとったら、最初にザックの容量を決めてそこへ無理なく入る分しか詰め込まない、それが大事かと。そんなときには便利な容量取替可能なザック。

ここから1時間程、東へ。静岡県との県境にある東栄町へ
東栄町では11月半ばから新年にかけて、“花祭り”がおこなわれます。
700年以上の歴史のある奇祭。町内10箇所近くで。この日は前日から徹夜で行われている”月“地区へ
駐車場がない月地区、道路の一車線の路側が臨時の駐車場。

前日からのお祭り。昨年は中設楽(なかしたら)地区の花祭りに1日目の深夜まで見物していたので今回は二日目のクライマックスの“湯ばやし”を。
子供好きな福禄寿の舞から


この花祭り、途中には掛け合いの笑いもあります


そして鬼






演舞場の中心には釜




花祭りの”花“

そしていよいよクライマックスの湯ばやしへ。

釜の温度が上がるようにどんどんと薪をくべていきます

だんだんと踊り手が釜に近づくと突然
手に持っていた藁をお湯につけて見物客に撒き散らします。
見物客はビショビショに。でも皆さん、キャアキャア言いながらうれしそう!このお湯をかぶるとこの1年無病息災のご利益が。
昔は本当の熱湯だったと思いますが、このご時世、水を入れたりして温度調整していました

我が家も嫁さん共々びしょ濡れに。カメラも。簡易防水で良かった!

太陽と大地の勢いが弱まる冬、太陽と大地への奮起を促す伝統のお祭り

これから本格的な冬に。

























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四季桜と紅葉

2023-11-20 10:24:19 | 写真
愛知県豊田市の小原地区(旧小原村)の“四季桜”と紅葉を。
全国有数の四季桜の名所。地区だけで1万本以上。
早朝は僅かな光で桜が星のように。


今年は紅葉が遅れ気味。そして暑さが長かったためか紅葉する前に落葉する木々も。





今年は見どころ一つの山が土砂崩れ。そのために四季桜と紅葉の中を歩くとこはできず。土砂崩れの覆いのビニールシートが目立ちすぎています。これもこの年の記録として。



紅と薄ピンクのコントラストが他では見ることができません。



前日の天気予報では回復予報でしたが、曇ったり小雨がばらついたりと。とはいえ逆に雨の水滴がアクセントに。

太陽が登ってきて太陽の薄日と紅、ピンクが幻想的に
”四季桜“は春と初冬の2回開花。少しピンク色が濃く、初冬の開花期間は長いです。

曇りがちの小雨交じりのためか、例年に比べても観光客はとても少なかったです。
昼前には自宅へ。
そして午後には映画を。
名古屋市隣の春日井市の市政80周年事業で制作された映画。ドキュメンタリー映画ではなくてちょっと変わった”恋愛映画“。
お金を稼ぐために来日したフィリピンの女性達と、彼女達のことを論文にしようとした大学院生の話。調査しているうちに一人の女の子と懇意になり結婚したという実話。春日井市にある中部大学の学生さんが書いた本が原作。
本人と監督、そして出演者の舞台挨拶。

原作者の方と監督さん



実際に出ていたフィリピン人の女の子たちは“お仕事の関係”で出演せず、また、原作者の奥さんは3人目のお子さんがお腹にいるとのことで欠席
最後に原作者、監督、出演者の方のサインをパンフレットに書いていただきました。色々とお話しながら。
来年から全国ロードショー。
フィリピン人の女の子達の逞しさ、明るさ、そしてそれに惹かれていく若者との交流が素敵な映画でした。
そして夜は、我が家の結婚記念と嫁さんの誕生日を兼ねて名古屋の素敵なお店で美味しい日本酒と美味しい料理を。大将と女将さんのお話を聞きながら。
この日は嫁さんも呑み過ぎた!と。













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突然訪れた晩秋の飛騨路

2023-11-13 09:22:01 | アウトドア
飛騨市奥の旧神岡鉄道廃線跡を利用した”ガッタンゴー渓谷コース“へ。


今年は熊の出没が全国的に報道。
今年は注意書きも

イノシシも
スタッフの方と話をすると、実際にはガッタンゴーのときには熊は出ていないとのこと。近くで捕獲はされたそうですが。
確かに、20台近く、廃線の跡を自転車でこぐと、”ガッタン、シャアー“と大きな音がしますから熊も近寄らないでしょうね


雨雲が流れてきたせいか少しの小雨交じりの中を。



今年は熊対策ということで車両間隔は短めに。そして見通しの悪い場所では先導のスタッフの方のバイクが警笛を鳴らしながら。


終点の折り返し地点で、クワガタのメスのオブジェと。ちなみに、以前スタッフの方にうかがったところ、元々は飛騨市役所にオスとつがいだったそうです。しかしオスは行方不明に。なのでここにはメスだけだそうです。

トンネルを抜けると赤い鉄橋と紅葉を。

スタッフの方とお話をすると、今年はつい最近まで暑く、急に寒くなったので紅葉は赤くなる前にみな散ってしまったそうです。今年は赤色の少ない紅葉。
昼前に高山市へ。
土曜日の午前中に高山へ来るのは久しぶり。
ところがコロナ前と大きく違うのは外国人観光客の客層。コロナ前にはアジア系が多かったですが、圧倒的に西洋系の観光客。色んな所で聴いてもアジア系よりも西洋系の人たちが多いほうが良いとの声を聞きました。彼らは日本文化を楽しんでいます。どこでもスマホで自撮りして混乱させているアジア系よりも良いと感じる、久しぶりの観光客で混んでいる高山。
不思議なことに、街路樹に朝顔が。
つい最近まで暑かった高山。
朝顔と紅葉の奇妙な、貴重なコントラスト。

長年、おうかがいしている飛騨春慶塗の“こくわ”さんへ。木目の綺麗なぐい呑み。
春慶塗といえば伝統工芸品。中々敷居が高いですがこのようなお手軽品ならば日本文化、日本の伝統工芸品を楽しめます。そういえば我が家には酒器沢山。今回も嫁さん、”また買うの?。仕方ないなぁ“と。

お昼は高山にできたばかりの洋食屋さん、“Toi meson”(トワメゾン)さんへ



地元、飛騨牛はもちろん飛騨地方の鶏、豚、野菜にこだわったお店。
それもそのはず、マスター(ここではシェフと呼ばれていました)は高山市の飛騨牛のステーキの老舗名店”キッチン飛騨“さんのマスター。
いつかは洋食屋さんをやりたい、との事で、還暦を過ぎてしばらくしてキッチン飛騨は後進に任せて独立。
自分と同じ歳ですが、この歳になって新たな事を始めるのは羨ましいです。
日曜日に寄らせていただいた久々野の坂本酒店の坂本さんと話をしたら
“開店の時のお花は凄かったですよ。胡蝶蘭やらいろんな花が並んでいて、地元の人は花屋が新装開店したのかと思うくらい。やはりマスターの人柄かな”と。
まだ60代前半、同じ歳のマスター(シェフ)、色々とあったと思いますが、頑張ってください。
美味しいお昼を頂いてから高山市の紅葉の名所、城山へ。
今年は紅葉が良くないのはここも同じ。

夕方の北アルプス。夕陽があたってアーベントロート。ひときわ目立つ笠ヶ岳。昔のよく通って、居候をしたこともある笠ヶ岳山荘が思い出。

夜はキッチン飛騨さんへ。
ここへは今から40年近く前に、会社の先輩たちに連れられて北アルプスを縦走した時に帰りに寄ったのが最初。今のように山での食事は良くなく、自炊で”素ラーメン“を食べて縦走。山から降りてきて、皆で残ったお金を出し合って、高山発の“特急ひだ”の最終に間に合うようにステーキを食べたのが懐かしい思い出。
そして高山の素適なBAR”ラビットホール“さんへ。
よく喋るマスター、そして地元の常連さんたちとの楽しいお話

マスター、よく話をしますが、ウィスキー、ワインの蘊蓄は素晴らしい。楽しい夜を。

宮川のほとりから紅葉と星空
星が綺麗に、見える高山の夜
次の日は高山でいつも夜ご飯用に“飛騨牛の握り”と”ぶり寿司“を買いに梗絲(きょうし)さんへ。いつも美味しく頂いています。
お惣菜のお店を始めて今までは日曜日は営業していなかったが最近日曜日も営業するとのことで飛騨高山高校近くのお店へ。

近くの飛騨高山高校を外から
そういえば昨晩、ラビットホールへ行った時に隣に座った和服の若い女性が飛騨高山高校出身と。

見事な並木道の紅葉



そして農業科が飼育しているのか牛が。飛騨牛なのかな。

近くの梗絲さんの総菜屋さんへ。
鶏の唐揚げ、天ぷら、そしてサラダ。夜に美味しくいただきました。
名古屋へ戻る途中、久々野の坂本酒店さんへ。このお店、ワイン通の中では隠れた名店、世界中のワイン、シャンパン。そしてワインの育つ土、環境に精通している坂本さん、いつもニコニコしていらっしゃる弟さん。ワインのお話を楽しく。
我が家はいつもお手頃価格(1000円代)のシャンパンを。餃子にはいつも”醤油+ラー油“ではなくて“柑橘類+黒胡椒”とお手頃シャンパンで“シャンパン餃子”を。高山の知り合いのソムリエさんに教えてもらいました。坂本さんも同じで、”たこ焼きにも合いますよ!“
この日はたまたま、世界史で習う“メジチ家”が作ったシャンパンがあったので面白半分で。
坂本さんと、近くの久々野駅前の”みかどや“さんという食堂が気になっていると話をしたところ、“普通の街の食堂ですよ、でも美味しいので地元の人はよく行きます。昔、椎名誠さんが百年食堂という本を出したがその中にも出ていますよ!その時はまだ100年経っていなかったけれど娘さんが跡を継いだので100年は超えていますよ。是非食べていってください”と。
お勧めをおうかがいしてお店へ

坂本さんにうかがったところ昔はそれなりの店内だったけれども内装に手を入れて綺麗になったそうで、綺麗なお店でした


キモ皮定食とカツ丼。
坂本さんのお勧めの2品。

とても美味しく、お手頃価格、そしてボリュームが。

子供のときにはこのようなお店、東京の実家近くに沢山ありました。

懐かしい、日本の街の食堂

あとは紅葉見ながら国道41号線、通称”益田街道“で名古屋へ


































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