ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

Stay Home

2020-07-27 13:01:27 | 身の回り
“go toトラベル”ならぬ“go toトラブル”で東京に限らず首都圏からウィルス拡散が始まって医療崩壊もすぐそこに。名古屋でも夜の町関係で若者達を中心に感染者増大中。
極力、若者達、夜の町関係者の集まりそうな場所、時間帯、を避けて自己防衛するしか無くなってきました。基本的には公共交通機関を使わずマイカーで。
という週末、引き籠もりのために知多半島、豊浜の魚市場へ。

結構、沢山の人達が開場を待っていましたが運良く一番最初に入場。
そして顔なじみのおじさんと。



金目鯛と鰆(サワラ)を。
鰆は鰹みたいにタタキがいいよ!と。
観光客も沢山入ってきたので早々に退散。
ちょっと足を伸ばして岐阜県中津川へ。

岐阜県中津川の蔵元が北海道、東川町へ移転する、とのこと。蔵の老朽化と地球温暖化による麹のコントロールがてきなくなった、とのこと。最初の理由はわかりますが後の理由は?????。なにか違うような感じですね。







日本酒に限らず、基本的にはお酒はその土地の風土、水が影響するものであり、場所が変われば当然ながら別物になります。
勿論、一世を風靡した”●祭“のように工業製品として誰が造っても同じようになるお酒は別ですが(名前ばかりが先行してまた、宣伝ばかりで厭きてしまって好きではありませんが。高いし。数少ない嫌いなお酒)。



今、北海道ではジャパニーズウイスキーの需要が増えてきて小さな醸造所が雨後の筍のように増えています。何しろ新潟県の銘酒、八●山ですら北海道でウイスキー製造を目指しているようです(既に飽和状態に近いのでウイスキー製造はとりあえず認められず焼酎製造から始めるようですが)。
世界的な経済の悪化の中で嗜好品のウイスキー製造がどうなるのでしょうか?
ウイスキー製造に新たに乗り出すのは北海道だけではありませんが。今から30年近く前、まだ、ブームになる前にシングルモルトウイスキーに興味あり、色々なバーへ行きバーテンダーさんとお話しをしましたが、日本の風土では中々難しい、とのことでした。また、就職先のひとつに某ウイスキー製造メーカーの内定を貰って色々とお話しをして日本でのウイスキー製造の難しさを伺いました。気候も変わってきたので状況は変わってきているとは思いますが
そういう意味では今回の日本酒の酒蔵の移転は珍しいですね。
土曜日の昼過ぎに帰宅、後は、ひたすらStay Homeで昼から🍶。肝臓に悪いな~と





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”汚染地帯“東京へ

2020-07-20 10:14:53 | 旅行記
実家の東京へ
途中、一般道で母の好きな鰻を

豊橋の路面電車には朝ドラの関係から特別なペイント。
まもなく土用の丑の日なので例年は並ぶ人もいるので少し早めに。
駅の周りをブラブラと。

昔の国鉄色の天竜浜名湖鉄道の車両
この鉄道、昔の国鉄遠江線。戦争中に海沿いを走る東海道線の迂回路として利用されていました。

なんと今年は我が家以外、誰もいません。

これも武漢肺炎のせいかな?
そのまま浜松へ。

ちょうど昼前だったので今まで食したことのない“浜松餃子”を。
そもそも浜松餃子とは?と思って調べると
色々と定義?があるようで。
ニラではなくキャベツを使い、タレも色々と、そして丸く揚げる、など。確かにキャベツの甘みが美味しかったですね。
浜松から高速道路に入り神奈川県の登戸にある父親の墓参りをして汚染地帯東京へ。

途中、事故を横目に見ながら。
最近思うのは、運転の下手な車、増えましたね。自分だけしか見ておらず周りを見ていない車、多数。走行車線空いているのに悠々と追い越し車線を走っている車、突然の車線変更。
実家の草刈りをして、夕方に近所へ買い出し。人の数は以前のように、でも、殆どがマスクをしていて目だけがギョロつく異様な光景。しかし、問題なのは若い人達、それも集団の若者達の多くははマスクをしていない、そして大声で会話。もう、武漢肺炎の蔓延は防げないかな。もうすぐ”Go to(トラブルならぬ)トラベル“が始まり全国へウイルスは拡散されます。
翌日は早めに東京から脱出。一般道も規制前のように混み始めています。東名高速は昔ほどの混雑ではありませんが厚木まではそこそこの車。厚木で降りるということで鎌倉、江ノ島そのあたりかな。
足柄SAでは高速路線バスも以前より多く、それなりの人手。ここでもやっぱり若者達のグループはマスクせず騒いでいます。危ないのでハンバーガーを持ち帰りで早々に退散していつものお気に入りの由比PAへ。海を見ながらハンバーガー。

残念ながら富士山は雲の中。
もう、日本では武漢肺炎、ドンドン広がりますね。
そして連日の中国の領海侵犯、ついに青森県沖でも。弱っている日本、どうなるのかな?








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7月に観た映画

2020-07-13 12:20:42 | 映画

新米セラピストの話。
仕事についたものの仕事に慣れず(ブラック企業?),疲れはてた時にセラピーと出会う、というありがちな映画。仕事が大変、合わないというのは仕事をする、始めるということではよくある話。とは言うものの、ご都合主義的でセラピストと整体との違い、最後まで理解できませんでした。そしてこんなに簡単にセラピストとしてやっていけるのか?と少し疑問に。この映画での唯一の救いは悪人が一人もいないこと。

今の令和の世の中に"ハードボイルド"という言葉は死語かもしれませんね。物凄く昭和の匂いがプンプンした映画。ストーリーは結構破綻していますが、そうそうたる俳優、女優が惜しげもなく出ていて懐かしさを。そしてあちらこちらにクスッと笑うコミカルな場面も。石橋蓮司さんを盛り立てる映画。今の若い人達には絶対共感されない映画。

NHKが20年近く取材したドキュメンタリー映画。限界集落の一組の老夫婦の最期の生きざまを淡々と描いています。ここに住んでいる人達はこの集落が近いうちに無くなる、自然に帰ることを肌で感じています。この老夫婦は自分達が山を切り崩して作った田畑を自分たちがいなくなったあとのことを考えて山に戻そうと。そして後世の人たちがまた、この地に来たときに楽しめるようにとせっせと花のなる木々、草花を植えていく。
なんと素晴らしい、と。
このような生き方、昔の日本人は当たり前のものでしたが皆、都会に出て失われたもの。今回の武漢肺炎で都会での生活、昔は憧れでありそのために村から出ていった会社勤めが脆くも崩れかかっている今日この頃。自然と共に生きる生き方をもう一度見直すことが必要なのかもしれません。
この映画の最後のカットは主人公?のお婆さんが細い山道を歩いていく後ろ姿、そして奥深く消えていくその姿を観ていて、思わず目頭が熱くなりました。悲しいからではなく、その生き方の素晴らしさに心動かされました。

スウェーデン映画。
家庭のため、夫のために淡々と、完璧に人生を費やしてきた女性。とあるきっかけで夫の不倫から家を出て、自分探しを始めます。夫は好きだが自分は興味を持たなかったサッカーの、それも小さな田舎の弱小の子ども達のサッカーチームのコーチに。当然ド素人なのでうまくいきませんが、そこは田舎の町。個性的な人達の郷土愛、つまり弱小のサッカーチームを応援する手助けを受けながら、最強チームから“1点”をとり町中で盛り上がるハッピーエンド。と思いきやこの女性、そこにとどまらず亡き姉と行きたかったフランスのパリへ。60歳を越えた彼女の本当の人生が始まります。
さすがに北欧の映画、家の中も北欧の独特の調度品、素敵です。そして何よりも、これだけ多くの人種の人達が移民として定着していることにも驚きました。
無愛想な女性が笑うようになり、そして今まではすべて自分一人でなんとかしてきたけれども他人の助けを受けながら新たな旅を続ける、その姿が素敵な映画

ナチスドイツの魔の手が伸びつつあったウィーンでのフロイトと田舎から出てきた若者文化との交流。
大好きな映画の一つ“ベルリン天使の翼”のブルーノガンツの遺作。
フロイトに絡む映画、心理分析を思い起こさせる心理描写が印象的。一つひとつのやりとりが心に刺さるものも多かったです。
面白かった映画。

ストーリーは言うまでも無く騙し合い。
一人の女の子を本当にプリンセスにしてしまう荒唐無稽な話。でもテンポよくジェットコースターのよう。
主演の3人は言うまでも無く、準レギュラーも素晴らしく、なんと言ってもプリンセスになる女の子も。
前作に比べると規模は小さめ、でもストーリーの厚みは本作品のほうがあるかな。
変幻自在な長澤まさみさん、場面を引き締める小日向文世さん、なぜか不思議な東出昌大さん、ピリッとした添え物のような準レギュラーの小手真也さん、関水渚さんも若手で新鮮、そしてドンドンと綺麗に、そして久しぶりのビビアン・スーさんの美しさ。でも、三浦春馬さん、勿体ないなと。
悪人は沢山(みんな?)、でも憎めない悪人ばかり。
現代のお伽噺。






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新しいスキー板

2020-07-12 20:24:10 | スキー
スキーショップsouさんへ行った時に一目惚れしたスキー板を引き取りに大阪へ。
また、先日、中古品で購入したマクロレンズの試し撮りに長谷寺へ。

先日も来ましたが沢山の参拝者がいたので今回は朝一番に。

天気は曇りながら、湿気が多くてジメジメ。でも境内に入ると凛とした空気が流れています。
お目当ての紫陽花ももう見頃は過ぎていますが写真を。










新緑も、つい先ほどまで雨にうたれていたおかげか緑が鮮やか


新しく手に入れたマクロレンズで。











そしていつも長谷寺へ来たら買う奈良漬

季節のものが。今回は西瓜と胡瓜の奈良漬け。
今晩の🍶のお供。
そしてやはり必ず買う草餅
1日しか持ちませんが絶品。
ここから大阪、玉造へ。
ちょうどお昼時だったので洋食屋さんへ。

店構えも趣がありますが中へ入ると懐かしい気持ちになります。



そしてこれぞ日本の洋食!

美味しかったです

そして目的地へ。

ブルーモリスのステップソールと新しい金具。
基本はスリーピン、でも滑走時にはワイヤーを。このワイヤーは取り外しできます。
上る時はワイヤー外して身軽に、滑走時にはワイヤーで固定。
まだ夏前ですが冬が来るのを楽しみ。

宋さんと。

年々、雪が少ない上に、武漢肺炎のせいで外国人も激減、スキー場のなかには来シーズンまでもたない、経営難に陥るところも沢山出てきそう。
国力の落ちた日本では仕方ないのかもしれません。
寂しいですが。









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ちょっと早めの土用の丑

2020-07-06 09:48:03 | 旅行記
東京の実家へ。
ちょっと早いですがいつものお店で鰻

JRと天竜浜名湖鉄道の新所原駅にある”駅の鰻屋さん”
ちなみに写真の左手の扉は天竜浜名湖鉄道の2階にある駅事務所入り口。昔、この駅を利用してお客さんに行っていたとき、鰻を予約して帰りに取りに来るとき、早めにお店が終わるとこの天竜浜名湖鉄道の事務所に預けてあって取りに行ったことあります。
駅舎には懐かしい風景のポスター

途中、豪雨の影響か、川は溢れそうなくらいの増水


浜松から高速道路でのんびりと。
運転していて風景が良いのは新東名高速よりも東名高速。

お気に入りの由比PA。
天気よければ富士山が良く見えますが今日はあいにく雲の中。
屋上の展望台にいると



国土1号線をはさんだ東海道線を珍しく特急電車”富士川”。甲府から身延線を通って静岡へ。昔、父の実家のある身延へ行くのに良く利用しました。懐かしい。
途中、神奈川の登戸で父の墓参りをしてから時間があったので前から気になっていたスキーショップへ。
目黒不動尊近くの”NORD”さん。
昔ながらの、常連さんが集まっているお店。昔は登山店はいつも、誰か常連さんがいて楽しいお話しを聞いたり、何よりもそこから色んな情報を得たり、多くの人達と知り合いになったものです。今は、大きなショップが普通になりましたが、スタッフの知識はかなり??というお店多いですね。こんな昔ながらのお店、実は凄い人がいたりして、色々と楽しいです。



このお店オリジナルのエコバッグ



そしてオリジナルのマスク。
短い時間でしたが、とても楽しかったです。
それにしても名古屋ナンバーの車で都心をウロチョロと。ウィンカーを出してもすんなりと入れてくれるのは、やっぱり田舎もんとして扱われているのか、そもそも名古屋の運転マナーの悪さがないせいなのか?
実家へ。
日曜日の朝、買い出しに出かけると人は少ないですが、土曜日は多かったです。





一時期、無くなって大騒ぎしたトイレットペーパーもふんだんに

昔よく母に言われて買い物に来た商店街も様変わり。でも、懐かしいものも。

このビルの1階にはこの名前の小さなスーパーがありました。こんなところに昔の名前が。

早めに東名高速東京から名古屋へ。用賀の入り口からしばらくはやっぱり閑散と。でも、厚木近くには結構多くの車、とは言っても渋滞するほどてはなし。
ほとんどの車が厚木でおりたところをみると皆さん、江ノ島鎌倉方面へ。
しばらくは西へ向かって走っていると



自衛隊の災害援助用の車両多数。
休んだSA、PAにも必ずいました。
九州豪雨のためかな。
若い隊員さんたち、ご苦労さまです。
今回、先日施行された煽り運転対策の法律のためか、走行車線空いているのに、わざとゆっくりと追い越し車線を走って、煽り運転を誘発させている車、多かったです。大体はyoutubeにアップする連中ですが。
仕方ないので、(道交法違反ですが)左抜きを。
そしてもう一つ、レンタカーの車がずっと追い越し車線をスピード出して走っていたらパトカーに捕捉、ところがまったくといっていいくらい動じません。かなり走って左車線に入ったので追い越し様に運転手を見ましたが、どうも日本人では無さそう、大陸系の人のようです。もし、そうだとするとそもそも大陸系の国は国際免許証を持てず日本では車、運転出来ないはずですが。
まぁ、今の車になって5年間で約20万キロ運転していると色んなことが見えてきます。









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