ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

最後の?車(追記)

2021-10-12 11:37:18 | 
今の車の走行距離が間もなく25万キロ超え

来年に車検。サスペンション以外は特に問題なくエンジンもすこぶる好調。
思えば、会社に入社して1年目の研修期間のあと、愛知県の工場へ配属。愛知県といえば当時、公共交通機関は貧弱でマイカーが必要。当時、矢張り活気があったのはホンダ。
ということでは赴任した翌日に会社の先輩に連れられてディーラーへ

最初のマイカー。当時は“デートカー”といわれた2ドアクーペが各社から出ていました。その中でお金のある人はトヨタの”ソアラ“、若い人、お金の無い人はプレリュードを、と。プレリュードは別名“プアマン ソアラ”と揶揄されていました。でもCMがモーリス・ラベルの”ボレロ“。これが素敵でこの車に惹かれて購入。

付き合う彼女もいないのにデートカーを。助手席はいつも同期、先輩と男だけでしたが。この車で最初に通勤した帰りに職場の女の子を乗せたら次の日には噂になっていたくらい長閑な時代。新車でも込み込みで180万円位でした。
この車でよく山、スキーと出かけました。
当時はホンダの車はチャチでフロアには段ボール(厚紙)が使われていました(後に会社の先輩でおなじ車に乗っていた人の車が大雨で水没して判明)。軽量化された車で1800CCで800Kgの重量で軽快に運転できました。また、当時はホンダはデザイン優先で、先にデザインが決まった後にエンジン等を詰め込んでいました。そのためにこの車もボンネットの流線型に合わせてエンジンはなんと、傾いて設置されていました。とは言えチャチなホンダ車、走行距離が増えてくるとトラブルが。リトラクタブルヘッドライトが勝手に上下し始めたりその他トラブルが出て70,000Kmで買い換えを。
登山、スキー等のアウトドアが趣味なのでステーションワゴンを。そこで選んだのが“スバルレガシィ”。ブルースウィルスのCMも素敵でした。当時のレガシィには今のように最低地上高を上げたアウトバックのようなSUVはなく、どちらかというと走りを重視していた車。元々10万キロ連続走行という性能で売り出していて必ずしもアウトドアとは関係なかったです。この頃はレガシィはヨーロッパ的でステーションワゴンはある意味高級感があるものとされていました。その中で唯一、”ブライトン220“という車がエアサスで車高を上げることができ、この車を選びました。

ライフスタイルにピッタリの車であちらこちらへ。特に山道ではエアサスは重宝しました。時速70Kmを越えると車高が元に戻るというワザも。
しかし、当時、自動車各社でリコール隠しが問題となり、車の品質そのものに課題が出ました。実はこの車もクルーズコントロールが暴走する、その他色々と。自分の車ではラジエーターが錆びて落ちそうになってこれもスバルが無償交換。エアサスは自分の車では問題なかったですがある程度走るとエアーが抜けるというトラブルが出ていたので10万キロ近くで買い換えを。

当時、CMに惹かれて“ランカスター”を。盲目の歌手ボチェッリとサラブライトマンの”Time to say goodbye“の曲にのって美しい自然を走る姿に一発で虜に。ということでこの車に。


この車は2,500CCですが確か1年後に3,000CCの6気筒水平対向エンジンの“ランカスター6”に乗り換え。そのエンジンは素晴らしかったです、ただ元々燃費の良くないスバルの水平対向エンジン、3,000CCになると顕著で、特に夏場のエアコン使用時には惨めでした。でも、それを補っても魅力的でした。

スバルの経営危機で日産傘下に、そして日産自体が厳しくなるとGMの傘下になり(後にトヨタの傘下)、当時のスバルのエンジニアがお金をかけて贅沢に作ったのが次のレガシィBP型、これに乗り換え。

今からは考えられないくらいにお金をかけて作られた車。そしてそれが当たりスバルは経営危機から脱出
そして間もなくアウトドアブランド”LL BEAN“と提携して“LLBEANモデル”が出たのですぐにこの車に。というのもスバルという会社、部品については問題が多く、車に当たり外れがありました。BPの初期型も自分の車には電気関係のトラブル多かったです。そんなこともあって乗り換え。スバル車はA型を避けるべし、とも。部品についてはトヨタ自動車と提携してから格段に良くなったとのこと。
このLL BEAN最後の6気筒水平対向エンジン、一番好きなエンジン、車でした。ドア下半分は別部品が付きツートンカラーで贅沢な作り。しかも車高が155CMつまり機械式立駐にも入りました。




おかげでこの車で嫁さんとあちらこちらへ行き27万キロになリました。スバルの中でも名車のひとつと言われている車です。特に最後の6気筒水平対向エンジン。ハイオク仕様なのでガソリン代は高かったですが。
次の車ということで巨大化したレガシィの代わりに日本専用に開発されたレヴォーグ

レンタカーで借りました。スポーティーですが、車高が低く底をあちらこちらの道路のアンギュレーションで擦ってしまうので断念。
次にアウトバックをまたレンタカーで。

大きくなったのですがとりあえず扱えるギリギリのサイズ、ということでA型ではなく翌年のB型を

そして今の車。
ナンバーは数字部分は同じ。
どんどんと大きくなってきましたし高さも高くなりました。この頃は明確にこの車はアメリカ向けであってそれを日本で発売する、というもの。2,500CCの自然吸気エンジンは踏めばレスポンス良く、高速道路では安定走行。しかもレギュラーガソリン仕様。嫁さんとあちらこちらへ行きました。また、トヨタ自動車の傘下になり共同開発のBRZ(トヨタ車は86)の後、塗装もかなりトヨタ自動車の技術も入り格段に進歩したそうです。某コーティング業者の方より聞きました。かつてはモーターショーの展示車、今では億単位のスーパーカーのコーティングも施工している方。自分の車もお願いしました。


おかげで25万キロになっても(山道の草むらでつけた細かな傷を除いて)未だに綺麗です。

この車でも間もなく25万キロ
車検は来年なのでどうするかなと。
サスペンション以外は全く問題なく、エンジンも好調。



つい先日、後継車が出ました。もう、自然吸気エンジンは無理なのかターボ仕様。それよりもサイズが更に大きくなっています。メーカーは”サイドミラーtoサイドミラー“はモデルチェンジ前と同じ、だから扱いやすさは変わらないと。メーカーの人は本当に自然の中に行ったことが無いのだな、と。都会の郊外、あるいは北海道の広々とした道路ならばいざ知らず、本当の自然の中の林道では車体そのものの大きさが重要。路肩の岩、枝等の突起物を避けながら運転したことがないのだろうなと。今の車も結構、傷があります。
嫁さんも、これ以上大きくなるとね、と。
長年、登山等で林道を走り、駐車場に着くと、スバルのフォレスターに乗った年輩のご夫婦に良く出会いました。とても素敵でした。
先日、ディーラーで嫁さんと試乗しましたが、イイねと。
エンジンは1800CCターボ。今までターボ車には敢えて乗りませんでした。昔のターボ車は耐久性に問題があったので長く乗るのが難しかったです。でも、今のターボ車も耐久性あるので良いかなと。



色は、やはり、緑色(カスケードグリーン)か赤色かな。スバルの赤色は他社の赤色と異なって独特の色合い。

何よりも、自分自身、20年以上自動車の電動化の仕事をしていました。まさにハイブリッド車の黎明期から大手の自動車会社と仕事をして多くの設計者、開発者の方達と話をしました。2000年の少し前、初代プリウスが発売された時も、自分の会社では“車がモーターで動くはずはない。プリウスは失敗作だ”といわれていた時代。社内でも可能性について説得しなければならなかったことも懐かしいです。そして仕事をしていく中でいくつかのハイブリッド車にも自社製品が採用されてきました。
他にも世界初の量産型電気自動車の開発、採用にも関わってきました。
そのハイブリッド車、電気自動車の魅力は勿論判っています。でもだからこそ、そして60歳を超えて最後の車となると、偏屈ですがやはりガソリンエンジン車を選びたいと。その後は、移動することも少なくなると思うので近場を走るための、自動走行機能のある電気自動車かな。
等と考えていると、楽しいですね。
でも、一番の心配は、現役時代を離れて懐が寂しくなってきたこと。これがひょっとしたら一番かも。
これから1年、悩みながら。











コメント
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