ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

半世紀ぶりの奈良県明日香

2020-06-28 20:28:42 | 旅行
中学校の修学旅行以来、約45年ぶりに奈良県明日香村へ。

飛鳥寺へ。
ここの日本最古の大仏様、写真撮影が可能です。

お顔には深い傷跡も

本当に懐かしい、温かみのある、お顔立ち。癒されます。





昔は広大な伽藍であった飛鳥寺。今は小さくなっていますがお花が素敵。

ここの鐘楼はつくことが出来ます

嫁さんも、つかせてもらいました。
外をあるいていると、最近(といっても2000年)に発掘された遺跡

”亀形遺跡”
ボランティアの方がいらっしゃったので説明をお願いしました。
天皇がここで身を清めて、奥の山を参拝した、とのこと。
そしてここを造るために当時の日本の人口が500万人という時代に3万人近くを動員して運河を造り物資(大きな石)を運んだそうです。

ここにも花が。

ボランティアの方の説明はとても面白かったです。なにかいにしえの日本を少し感じることが。
外国人観光客のことを色々と聞くと、あまり多くは来ないとのこと。でも、外国人観光客も最近増えてきてアジア系は全く来ておらず西洋人がほとんどだそうです。やはり東洋的な神秘的なものに惹かれるのかもしれません。
ボランティアの方にお礼を言って、奥の山へ。



この時期、紫陽花が綺麗です。

山の上には酒船石

今回は亀形遺跡、石舞台、高松塚古墳の三カ所のチケットを購入

石舞台へ。


昔、中学校の時にはよじ登った記憶が。
ちょうどアンケートをとっていた奈良県の職員の方がいらっしゃったのでお話しをしたら、そうなんですよ、昔は登った人もいました、と。





よく、こんな大きな石を運んだなと。そしてそれを可能にする巨大な権力に改めて驚きを。
そして高松塚古墳へ。

修学旅行当時は発見された直後で、壁画が外気に触れてはいけないとのことで封鎖されていました。実はこれが後に大きな間違いで、カビだらけに。



近くに壁画の模写を観ることが出来ます。空には星座が描かれた、そして中国、朝鮮の様相の人達の壁画。
どんな思いで描かれたのか、と。
約半世紀ぶりの修学旅行。

お昼になったので、来るときにみた”三輪”の地名。素麺。食べようと行きましたが、どのお店も1時間以上の待ち時間。
(こんな事を言っては申し訳ないですが)素麺食べるのに1時間以上も待つのは?と思い、名古屋へ。
伊勢湾岸道経由で戻ってくると名古屋港に、あるものが見えたので高速道路をおりて近くへ

仙台、苫小牧への太平洋フェリー

いつも、北海道へは新潟港からの新日本海フェリーを利用します。名古屋港発の太平洋フェリー、仙台で半日ちかく停泊、そして苫小牧へ行くので時間がかかってしまいます。でも船内は新日本海フェリーよりも豪華です。



ちょうど自衛隊の車両運搬。
そして更に面白いものを

フェラーリが職員達の誘導のもと、右へ左へとジグザグに乗船口を。車高の低い車、やっとのことで乗船出来ました。おりるときも大変そうだな。

構内には名古屋、仙台、北海道の三カ所のポスターが仲良く二枚づつ。
夕方には自宅へ。
次の日は豊田市の方へ出かけてから名古屋のお店でお昼を。

ちょうど燕の子育ての時期。
微笑ましい光景。
名古屋へ戻ってくるととんでもないことが。お店で待っているとき、大半のお客さんはマスクを付けて待っていますが、若い女の子達の集団がマスクを付けずに大きな声で大騒ぎして待っていました。あまりの酷さで嫁さんも、店を出ようかと。仕方なく、女の子達に、”少しは周りのことを考えたらどうかな、マスクをせずに大騒ぎするのは迷惑”と。すると大人しくスマホいじりを始めました。どうせ、変な親父に文句言われたとSNSに書き込まれたと思います。
こんな事だから東京でも若い人達の感染が増えていますね。
経済活動再生のために動くことは大事なこと、でもそれに臨む国民には世の中の心構えが出来ていないですね。
第二次感染が来ると間違えなく東京だけではなく名古屋も同じことが起きるかもそれません、そうならないことを祈るだけですが。
元々は中国の武漢肺炎、でもそのあとは海外からの入国制限出来なかったこと、更に運の悪いことに一番問題のある東京で都知事選があるために思いきった対策がとれないこと。
これがこれからの悪い予感になるかもしれませんね。























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