ふっ と想うこと

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日本人を圧倒するパワーと合理主義

2018-08-17 12:08:32 | 社会・経済
北海道のニセコを訪れるようになって、30年、夏も訪れるようになったのは、この4年。
冬が日本の租界のようになっているニセコで、夏も様相は、変わってきています。
日本人を圧倒する外国人のパワーにより、日本の地方行政は、完全に置いておかれ、未だに的外れなことを。

ニセコには多くの芸術家さん達がいて、その展示会を、高級ホテルの一角でおこなっています。
また、夏のアウトドア活動は、元々日本人以上にアウトドアに積極的であり、彼らの方が得意。
さらに外国人が多い、ということから夏休みに子供達の国内留学を。
とにかく、このパワー、凄いです。もちろん、夏の観光客を増やそう、ホテルの売り上げをあげよう、というのが基本にありますが。
これに対して地方行政は、ニセコに限らず、なにをしているか、といえば、訳のわからないコンサルタントを呼んで、しかもどこでも同じ話しをする代わり映えのしない講演会ばかり。他人任せの無責任な貧弱な地方行政。
知り合いのコンサルタントが
”コンサルタントとは、困難が来れば最初に去る”ということ、”困”と”去る”の文字から名付けたようなもの、と自嘲気味に。
今、全国の地方自治体はやたらとコンサルタントへの丸投げと講演会ばかり。
でも、中にはそんな無駄金使わずに、地元の中から人材を発掘しています。
なにも、外国人を誘致するのに、外から訳のわからないコンサルタント呼ぶよりも、既に各地にいる外国人居住者との連携をしていけば、と。
”都会の連中がなにを言っているのか!”
必ずそう言われます。でも、東京都をのぞき、地方交付税が支払われており、その財源は国民全部、すなわち都会の人間の税金も使われています。

地方の無駄金についてはもっと厳しく見るべきかもしれません。

また、地方の活性化、外国人誘致の最大の障害かもしれませんが、年寄り連中、年寄りの有力者と言われる連中。そして”悪い意味での”閉鎖性、排他性。

ニセコを見ているとこの日本固有の無駄、排他性をことごとく打ち砕いています。

これは世界に目を向けると、日本の企業がことごとく、世界の企業に負け続けている状況にもラップしていきます。

日本は高齢化という、物理的な現象ではなく、精神的にも老齢化、若々しさがない、いつまでも年寄り連中が、昔ながらの発想で実権を握っていることが、最大の問題かと。

ニセコに訪れると、色々と、考えさせられること、多いです。
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