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学校名と東小の色

2012-02-14 23:46:21 | 秋田の地理
旧雄和町・河辺町地域を除いた秋田市にある市立義務教育学校は小学校38校、中学校21校【3月5日訂正】20校。まずはそれらの校名に着目。
※雄和・河辺地区については、話題にできるほどの知識を持ち合わせていませんので、割愛させていただきます。

秋田市で特徴的なのは「第一小学校」「第二中学校」など、“ナンバリング”された校名が皆無なこと。
首都圏など人口密集地域では、1つの地域に複数の同校種の学校が必要で、ナンバリング校名にしないと収拾がつかないという事情があるだろう。秋田市はそこまで児童生徒数が多くはないからかもしれない。
しかし、秋田市より人口・子どもの数が少ない、能代市(2007年の再編によりなくなったが渟城第◯小学校)や弘前市にはナンバリングされた市立義務教育学校が存在した/する。

個人的な見解としては、居住地のみによって入る学校が決められる市立義務教育学校をナンバリングしてしまうと、学校や地域(学区)を“序列づけ”してしまうようにも受け取れ、そぐわないような気がする。
それに、どこが第一でどこが第二だっけ? と場所が分からなくなってしまうことがあるので、地域のランドマークとしての役に立たないだろう。
秋田市では、意識して校名をナンバリングしないようにしていたのかもしれない。


実際の秋田市立学校の校名を見てみる。中学校から。
中学校は、所在地域名(大字レベル)をそのまま校名にしたものが多い。(中高一貫校併設の「御所野“学院”」は別として)
ただし「山王中学校」や「御野場中学校」の山王や御野場(おのば)も、今は大字扱いだが、両校の開校時にはそうではなく、小字の1つ程度だったらしい。
山王中学校は1953年の開校。住居表示で「山王◯丁目」が誕生するのが1965年。校名は公募で選ばれたとかいう話も聞いたが、真偽は不明。
近くの八橋運動公園隣に日吉八幡神社があるが、全国的に日吉神社は別名「山王」と呼ばれるので、それにちなんだのかもしれない。(ただし、秋田の日吉神社は「ひよしさん」と呼ばれることが多く、「山王」とはあまり呼ばない気がする)
また、現在の中学校がある辺りには「川尻町字山王田(さんのうでん)」という地名も存在した。(これも神社にちなむ地名だろう。神社が所有していた田んぼだったとか)

以前も取り上げたが、御野場中学校も1984年の開校時点では小字で、大字となるのは1988年。


地名でない中学校名(と開校年)は、秋田東(1953)、秋田南(1953)、秋田西(1964)、秋田北(1962)、城南(1971)、城東(1979)の6校だけ。
これらの位置関係を考えてみると、違和感があるものもある。
各校の位置を地図に示してみた。中央の「A」とあるのが秋田駅(地図はGoogleマップ)
青で示したのは、城南中と城東中。
秋田駅のすぐ西にある久保田城跡=千秋公園から見て東と南ということであり、それならおかしくはない。
「城+東西南北」は、各地の城下町で地名になっている。弘前市では「城南」「城東(と城東中央)」「城西」、おまけに「城東北(じょうとうきた)」「東城北・西城北」が存在する。
しかし、秋田市ではあまり使わない。地名としては1967年できた「楢山城南町」(後に楢山城南新町も)、ほかに公的なものでは1980年に新設された秋田市消防本部「城東消防署」くらい。
民間も含めて秋田市内では「城北」「城西」という名が付くものは知らない。
逆に言えば「城東」「城南」はクリニックの名前などでわりとあるので、もしかしたら、中学校名に民間が追随して命名したのかもしれない。


赤い印が東西南北の各中学校。
秋田北中は、その名の通り秋田市の最北端だから違和感はない。
ただ、北中の近くにあるのが県立「秋田西高校」。
県立高校名も秋田+東西南北が揃っていた(秋田東高校は再編により現存しない)が、これは各学校の相対的な位置に基づいているようで、考えてみると違和感が大きい。

秋田東中は、秋田駅から遠くない手形地区の秋田大学そばの線路沿い。
秋田市で一般に「東部」といった場合、中心部の秋田駅やその南北の線路より東側の一帯を指す。現在では特に、秋田駅の真東、東通地区から城東中学校辺りを示す傾向が強く、「駅東」と同義か。
そう考えると、東中の辺りも「東部」に該当するエリアではあるが、ちょっと北寄りのようにも感じる。これは東中の開校当時は、駅東の東通辺りはまだ田んぼしかなく、そんな所に中学校を建てるなど考えもしなかったからだろう。
なお、東中の線路の向かいには県立「秋田北高校」がある。東西南北が付く県立高校の中では、もっとも古い伝統校。どう考えても位置的には「秋田北」でないが、命名当時は「秋田高校より北」あるいは「秋田市の普通科高校の中では北」に位置していたからだと思われる。

秋田南中は、秋田駅から線路沿いに1キロほどで、秋田駅からもっとも近い中学校。
開校時は現在地より800メートルほど西の今でいう「楢山南中町(みなみなかちょう。南中があったことにちなむ)」にあったけれど、それにしても「秋田市の南」というには中心部過ぎる。
しかし、東中同様、開校当時に思いを馳せると、南中より南にはほとんど中学校なかったと考えられる。当時は、仁井田や四ツ小屋はまだ秋田市ではなく(開校の翌1954年に合併)、南中を「秋田市最南端の中学校」としても違和感がなかったのだろう。
ちなみに、南中の近くには仙台国税局「秋田南税務署」がある。これは土崎にある「秋田北税務署」と対になった名称。

秋田西中は新屋(あらや)地区にある。
何度も取り上げているように、新屋は、地図上では秋田市「南西部」としたほうが適切だが、秋田市では新屋を中心とした沿岸部(秋田運河・雄物川より西・南側)を「西部地区」としている。それを考えれば妥当な校名。
ちなみに、秋田市「南部地区」といえば、牛島・仁井田より南東側の御所野地区までを指し、県立「秋田南高校」もここにある。


今度は小学校の名称。
小学校も所在地名にちなむものが多い。地域内に複数の小学校がある場合は、「地名+東西南」のパターンも(土崎南、金足西、飯島南と閉校した金足東)。
例外もいくつかある。
●明徳(めいとく)小学校
これは、旧秋田藩の藩校「明徳館」にちなむものだろう。(秋田市立中央図書館「明徳館」と後からできた紛らわしい県立「明徳館高校」も同様)
ちなみに、明徳小学校は現在は千秋トンネルの上にあるが、かつては今の市立図書館の場所(千秋明徳町)にあった。

●高清水(たかしみず)小学校
同名の日本酒の銘柄があるが、秋田市(中心部)の地名にはない。
学校の所在地は将軍野(しょうぐんの)地区の「高清水公園」そば。一帯は通称「高清水」と呼ばれるエリアなので、それにちなんだ校名だろう。
高清水公園は、奈良時代から平安時代にかけて大和朝廷の城柵「秋田城」の跡。(江戸時代の「久保田城」跡の千秋公園とは別)

ちなみに、小学校の隣に「将軍野中学校」はあるが「将軍野小学校」は存在しない。また、かつては「高清水中学校」が存在した(土崎中の一部と統合して将軍野中に再編)。

秋田市では、同名の小学校と中学校が存在するのに少し離れた場所にあったり(土崎、泉、飯島、勝平など)、近くにあるのに名前がぜんぜん違ったり(旭北小と山王中など)、ちょっとクセがあるかもしれない。

●築山(ちくざん)小学校、日新(にっしん)小学校
どちらも歴史ある学校で「合成」された校名
秋田南中近くの楢山地区にある築山小は、1883(明治16)年創立。当時は河辺郡「楢山村」あるいは「広山田村」だったはず。
「築地・楢山の二学校を統合」して創立されたとのことなので、統合前の両校から一文字ずつ取ったことになる。「築地」も今も「南通築地」として地名に残る。
それにしても、「つきじ」と「ならやま」なのだから、そのまま「つきやま小学校」にすればよかったのに、どうして「ちくざん小学校」にしてしまったのだろう?
以前も書いたけれど、昔、築山小がNHK教育テレビの番組にお便りを出して番組内で紹介されたものの、「秋田市立つきやま小学校」と紹介されてしまったことがあった。

新屋の秋田西中近くにあるのが日新小。秋田西中ができる前は「日新中学校」も存在したそうだ。
日新小ホームページなどで同校の沿革を調べると、1874(明治7)年に「新屋学校、表街学校を廃して日新小学校と改称」とある。当時は河辺郡「新屋町」だったはず。
なぜ「日新」という名称になったかの説明はないが、おそらく「新屋」と「日吉(日吉神社にちなむ)」の合成だと思われる。
【19日追記】1989年8月10日の広報あきた1144号に、「「日日に新たに、又日に新たなり」新屋の人々が、座右の銘として、古くから尊び続けてきた言葉です。」とあり、これが「日新」の由来かもしれない。
「日日に新たに、又日に新たなり」は、儒教の経書「大学」の「日々新又日新」が出典。
※日新小についてはこちらの記事も参照

●土崎(つちざき)3校
秋田市北部の港町の土崎地区。南秋田郡土崎港町が1941(昭和16)年に秋田市に編入された。
現在は、JR土崎駅を中心とした2キロ四方にも満たないエリアに、3つの小学校が存在する。真ん中が「土崎小学校」、南にあるのが「土崎南小学校」そして、北にあるのが「土崎北」小学校かと思いきや、「港北(こうほく)小学校」。
なんで、北だけ「港北」なんだ?

港北小学校の所在地は「土崎港北」だが、これは「つちざきみなときた」と読み、開校後の1968年にできた町名なので直接の関係はなさそう。
調べてみると、土崎小学校は1874(明治7)年創立でもっとも古く、他の2校は戦後に土崎小から分離独立したものだった。港北小は1948(昭和23)年、土崎南小は1961(昭和36)年に開校している。
それ以上のことは分からなかったが、1948年と1961年の命名時の考え方の違いということか。
【15日追記】港北小学校の近くには、1974年にできた秋田市「港北保育所」もある。なお、港北保育所は2013年までに民間移管することが決まっているので、名称が変わる可能性がある。
【3月2日追記】「土崎港北」とは別に、「港北新町」「港北松野町」という町名があり、これは「こうほく」と読むが、1978年に飯島から独立してできたもの。

以上、直接的な地名でないにせよ、秋田市立の小学校には地域の歴史や文化を反映させた校名が多いことがお分かりいただると思う。
しかし、そうしたものとはあまり関係なさそうな小学校が、1校だけある。それが、
●東小学校
「秋田東」小学校ではなく、単に「東」小学校と、そっけない。
そのためか、たいへん申し訳ないが、個人的にはあまり存在感がない小学校。「東小学校のそば」とか言われても場所をすぐにはイメージできないし、秋田市立の小学校を列挙せよと言われても思い出せないかもしれない。(そういえば市営バス当時の「東営業所線」では、城東消防署経由と「東小学校経由」があったなという程度)

東小学校は秋田駅のほぼ真東800メートルほどの所にあり、西側の中通小と並んで秋田駅にいちばん近い小学校。さらに東500メートルほどに城東中学校がある。
東小学校は1977年に「秋田駅東側一帯の人口増と明徳、中通、広面、旭川学区の過密化を解消するため(広報あきた701号)」に開校した。開校後も児童数が増え続け、1984年には桜小学校を分離している。

所在地は現在は「東通二丁目」だが、1995年の住居表示で誕生した地名であり、以前は「広面(ひろおもて)字◯◯」だった。
今なら「東通小学校」でよさそうだが、大学病院そばに「広面小学校」が先にあるから「広面南小学校」とか、城東中にならって「城東小学校」なんていう校名もよさそうだけど…

東小学校は、開校準備段階での仮称は「東部小学校」だったようだ。
また、さかのぼれば仮称「西部小学校(あるいは西小学校)」というのもあり、それは1970年に「勝平小学校」として開校している。
1970年1月20日付「広報あきた440号」より
勝平小学校の名称は「地元との話し合いの結果」決まったそうだ。
勝平小は地元住民から寄贈をされた土地(農地)を校地とするなど、住民の期待が大きかったようだ。勝平中が開校するのは、さらに17年後。


以上、秋田市の学校名のお話でした。
さて、最近、校舎の耐震化が求められている。秋田市立の学校でも、昭和50年代中頃までに建てられた校舎などで行われ、ほぼ終わりつつあるのではないだろうか。
秋田駅東口のアルヴェ14階から東小と城東中を見る
昨年、東小学校校舎の南側が足場で覆われていた。
現地には例の緑の看板(左奥にも1枚看板があり、機械設備だかの工事も同時に行われた)
「大規模改造工事」だそうで、要は耐震改修工事だろう。
1月末の段階で覆いは取れていた。校舎の内側に補強材を入れる工法だったようだが、できあがった校舎を見て、びっくり。
アルヴェから見た工事前後の写真で比較。
 工事前(写りがよくないけど2009年撮影)と工事後
校舎の形はそのままで、今回工事が行われた部分だけ、外壁の色がまるっきり変わってしまったのだ。

改修以前の校舎の色は、開校時からのものだったのだろう。
いかにも昭和50年代チックなデザインと色とはいえ、統一感のある校舎だった。それが今回、半分だけ色が変わってしまった。

改修された側だけを見ると、とてもきれい
でも、
 新旧を比べると…
古い外壁のままの北側は、1か所だけ外から補強されているようだ。壁は塗り替えやクリーニングはされていないようで、かなり汚れている。北と南で耐震性に差(建設が複数年度にまたがっていたようだ)があり、別々に工事がされたようだ。
 境目くっきり
新しいほうは新築に引けを取らない明るい色合いではあるが、古いほうとあまりにも差がありすぎて、統一感というものがない。

先に同様の改修が行われた他の市立学校(城東中や泉小)では、改修を行わない部分と同じ色合いになるように配慮されていて、(汚れの有無で判別できてしまうとはいえ)整合性・統一感があったのに。
城東中学校。手前左側だけ外壁が新しいが、色は統一されている
東小学校だけ、なんでこんなちぐはぐなデザインにしてしまったのだろう。何か建築学、色彩学、教育学などの見地から意味があってのことなのだろうか。

※東小学校などの校舎のデザインについての関連記事
※東小外壁のその後の変化

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