秋田市立学校の校舎シリーズです。(過去の記事等へのリンクは記事末尾にあります)
秋田市だけや学校だけに限ったことではないだろうが、建築界のトレンドや社会状況などもあり、秋田市立学校の校舎は、設計・建設された年代によってデザインに特徴があることは今まで紹介した通り。
昭和50年代には、昭和30年代後半頃から建設されていた「屋上に庇状の構造物が出っ張っている校舎」から、新興住宅地の新設校に多く見られる「箱型の校舎」へ移行したわけだが、その境はおそらく1977年。旧タイプ最後の学校が広面小、新タイプ最初の学校は隣の東小ではないかと思う。
しかし、その移行時期前後に建設された校舎では、そのどちらでもないタイプがごくわずかに存在する。それが、秋田南中と秋田東中の校舎の一部。
まずは秋田南中。
北西側から
北側~通りに面した西側は、よくある秋田市立学校の校舎。
壁の部分は暗いサーモンピンクみたいな色合いで地味だけど、東小以降の箱状の校舎だ。
しかし、正門・正面玄関を挟んでグラウンドに面した南側は違う。
南西側から
北側と色使いは似ているけれど、壁面のデザインや質感が異なる。
縦横に白っぽいの格子状のラインが走っている。縦方向のラインは柱でない窓枠の延長線上にもある。
目がチラチラしそう
壁面の地の部分はコンクリートではなく、パネルをはめ込んでいるように見え、部分的に色の濃淡が異なる場所もある。
「カーテンウォール」とかそんなモノだろうか?
接続部。右手前が南側校舎
南側と北側では、建設年代が異なるのだろうか。
秋田南中は、以前は楢山南中町(だから「南中町」。現在の楢山コミセンの場所)にあったが、校地が手狭だったことなどにより、1976年度から1978年度にかけて段階的に南通宮田の現在地へ移転したそうだ。
広報あきたによれば、1976年度に「改築第一期工事として四階建て十六教室を建築」し、最終的には「普通教室三十一、特別教室十四」となったそうだ。
それを踏まえて南側の校舎を見ると、ちょうど各階に4教室×4フロアで16教室ありそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f2/3f672b387d235fae88b84cf8893b4f61.jpg)
したがって、1976年度に最初に建設されたのが格子状外壁の南側の校舎、その後1978年度までに建てられたのが北側の校舎と考えられる。わずか2年差で、デザインが異なってしまったことになる。
もう1つが、南中とは秋田駅をはさんで反対側の秋田東中。
旭川の堤防から見る校舎北西側
上の写真で左側の北側の校舎は、南中とほぼ同じ箱型&地味な色。
そして、右側の線路と平行に建ち、JR奥羽本線の車窓からも見える(線路際ではない)西側の校舎は、違う。
手前がその西側の校舎
グレー基調の色についてはちょっと置いておいて、やはり格子状の構造物があり、パネルをはめたような壁面。
東中の西側校舎と南中の南側校舎はよく似ている!
東中の校舎の変遷をたどってみる。
秋田東中は、1953年の開校時から現在地にあるようだ。1968年に一部が焼失し、1969年に特別教室棟を木造で建設。
1970年代に入ると、秋田東中の生徒数は激増した。1977年度には生徒数1801名・43学級と秋田市最大の中学校だったそうだ。
この対応として、1975(昭和50)年度に「普通教室十六を建築」、1977年度に「普通教室十教室と管理諸室を建築」、1978年度に「特別教室五を建て」と次々に増改築が進められた。
1979年には、仮称「東第二中学校」だった城東中が開校して、東中の過大規模が解消されることになる。
この頃に建てられた校舎のどれかが、西側の校舎だと考えられる(おそらく1975年度?)。
この段階ではまだ木造校舎が残っており、それを解消するため1984年度に改築が行われ、10年がかりの東中の改築工事が完結したようだ。その時できたのが、北側の校舎(広報に写真が出ていたので断定できる)。
1984年度といえば、ベランダ付きの明徳小や川尻小の校舎ができた後で、当時としては斬新なデザインだった土崎南小が建設されていた年だから、箱型校舎はもう建設されていないと思っていた。
しかし、中学校の、ごく一部分ではあるが、まだ箱型が建設されていたことになる。ということは、新しい耐震基準に適合しているのだろうか。
秋田工業高校グラウンド付近から奥羽本線の橋越しに東中西側を見る
以前、コメントをいただいていたが、東中の西側校舎の外壁の色がグレーになったのは、最近のこと。
2006年度に大規模改修工事が行われてこの色になったはずだが、それより前は、独特の色だった。
旭川を渡る列車の写真の背景などに、その姿が写っていた。
夕日を浴びる以前の東中西側校舎
以前は、紺色というか濃い青色だった。
現在は省略されている、窓と窓の間(フロアの境)の横方向にもラインがあり、南中と同じ配置。
ブルートレインよりもブルー?
よく見ると、非常階段を境に、青の色合いが異なっていたようだ。
左(北側)が紺色、右が瑠璃色?
列車の車窓から見える青い校舎は印象にあったし、2つ上の写真は夕日を浴びて、何かのうわぐすりを塗った焼き物のような瑠璃色に輝く校舎が美しくて撮影した。
おそらく秋田市立の他の学校の校舎にはない配色であり、秋田東中の特徴の1つだったと言えるかもしれない。
現在のグレーも、他にはあまりない配色ではあると思うし、格子状のデザインもおそらく南中と東中だけではあるが、以前の青い校舎がなくなったのは、今にして思えば残念。
新旧どっちにしても、北側など他の校舎との色の統一感はないけれど。
接続部
建設時期が違うとはいえ、もう少し配慮をお願いしたいものです。
どういう意図や経緯があるのか不明だが、1975年度と1976年度に2つの中学校でだけ採用された、独特のデザインの校舎の話でした。
【21日23時40分追記】2011年5月現在の生徒数・学級数は、秋田南中が433名・16学級、秋田東中が539名・17学級。
■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色、似た校舎、憧れの明徳小、坂の途中の学校、旭南学区は広い(近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎(この記事)
※次の記事はこちら
※2015年度に南中の校舎が解体されることになった。また、この校舎は鉄筋コンクリート造ではなく鉄骨造であることが分かった。
秋田市だけや学校だけに限ったことではないだろうが、建築界のトレンドや社会状況などもあり、秋田市立学校の校舎は、設計・建設された年代によってデザインに特徴があることは今まで紹介した通り。
昭和50年代には、昭和30年代後半頃から建設されていた「屋上に庇状の構造物が出っ張っている校舎」から、新興住宅地の新設校に多く見られる「箱型の校舎」へ移行したわけだが、その境はおそらく1977年。旧タイプ最後の学校が広面小、新タイプ最初の学校は隣の東小ではないかと思う。
しかし、その移行時期前後に建設された校舎では、そのどちらでもないタイプがごくわずかに存在する。それが、秋田南中と秋田東中の校舎の一部。
まずは秋田南中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/5d/1195995d74379abc0e2ba34db6a623c3.jpg)
北側~通りに面した西側は、よくある秋田市立学校の校舎。
壁の部分は暗いサーモンピンクみたいな色合いで地味だけど、東小以降の箱状の校舎だ。
しかし、正門・正面玄関を挟んでグラウンドに面した南側は違う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/aa/4bbe842fc026f1767267874c60a2b9b9.jpg)
北側と色使いは似ているけれど、壁面のデザインや質感が異なる。
縦横に白っぽいの格子状のラインが走っている。縦方向のラインは柱でない窓枠の延長線上にもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/18/ed94cecd5945c3e459e03b03bd6548e6.jpg)
壁面の地の部分はコンクリートではなく、パネルをはめ込んでいるように見え、部分的に色の濃淡が異なる場所もある。
「カーテンウォール」とかそんなモノだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a0/f57978a31a0f99580b8002c6911892fb.jpg)
南側と北側では、建設年代が異なるのだろうか。
秋田南中は、以前は楢山南中町(だから「南中町」。現在の楢山コミセンの場所)にあったが、校地が手狭だったことなどにより、1976年度から1978年度にかけて段階的に南通宮田の現在地へ移転したそうだ。
広報あきたによれば、1976年度に「改築第一期工事として四階建て十六教室を建築」し、最終的には「普通教室三十一、特別教室十四」となったそうだ。
それを踏まえて南側の校舎を見ると、ちょうど各階に4教室×4フロアで16教室ありそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f2/3f672b387d235fae88b84cf8893b4f61.jpg)
したがって、1976年度に最初に建設されたのが格子状外壁の南側の校舎、その後1978年度までに建てられたのが北側の校舎と考えられる。わずか2年差で、デザインが異なってしまったことになる。
もう1つが、南中とは秋田駅をはさんで反対側の秋田東中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9c/db11863b048b854ee7a8489bc7c6a73c.jpg)
上の写真で左側の北側の校舎は、南中とほぼ同じ箱型&地味な色。
そして、右側の線路と平行に建ち、JR奥羽本線の車窓からも見える(線路際ではない)西側の校舎は、違う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/6c/563c790603f1926dee64c729b2746b39.jpg)
グレー基調の色についてはちょっと置いておいて、やはり格子状の構造物があり、パネルをはめたような壁面。
東中の西側校舎と南中の南側校舎はよく似ている!
東中の校舎の変遷をたどってみる。
秋田東中は、1953年の開校時から現在地にあるようだ。1968年に一部が焼失し、1969年に特別教室棟を木造で建設。
1970年代に入ると、秋田東中の生徒数は激増した。1977年度には生徒数1801名・43学級と秋田市最大の中学校だったそうだ。
この対応として、1975(昭和50)年度に「普通教室十六を建築」、1977年度に「普通教室十教室と管理諸室を建築」、1978年度に「特別教室五を建て」と次々に増改築が進められた。
1979年には、仮称「東第二中学校」だった城東中が開校して、東中の過大規模が解消されることになる。
この頃に建てられた校舎のどれかが、西側の校舎だと考えられる(おそらく1975年度?)。
この段階ではまだ木造校舎が残っており、それを解消するため1984年度に改築が行われ、10年がかりの東中の改築工事が完結したようだ。その時できたのが、北側の校舎(広報に写真が出ていたので断定できる)。
1984年度といえば、ベランダ付きの明徳小や川尻小の校舎ができた後で、当時としては斬新なデザインだった土崎南小が建設されていた年だから、箱型校舎はもう建設されていないと思っていた。
しかし、中学校の、ごく一部分ではあるが、まだ箱型が建設されていたことになる。ということは、新しい耐震基準に適合しているのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/af/5986c7257969d1f3f23ff5ab8184d69c.jpg)
以前、コメントをいただいていたが、東中の西側校舎の外壁の色がグレーになったのは、最近のこと。
2006年度に大規模改修工事が行われてこの色になったはずだが、それより前は、独特の色だった。
旭川を渡る列車の写真の背景などに、その姿が写っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/8c/41e9d02d3c80519d54f2119a6be68405.jpg)
以前は、紺色というか濃い青色だった。
現在は省略されている、窓と窓の間(フロアの境)の横方向にもラインがあり、南中と同じ配置。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d6/4a6b04285f1450c18b0239913a63dec4.jpg)
よく見ると、非常階段を境に、青の色合いが異なっていたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/85/903328d567a3af1c56cac97a34a95bb0.jpg)
列車の車窓から見える青い校舎は印象にあったし、2つ上の写真は夕日を浴びて、何かのうわぐすりを塗った焼き物のような瑠璃色に輝く校舎が美しくて撮影した。
おそらく秋田市立の他の学校の校舎にはない配色であり、秋田東中の特徴の1つだったと言えるかもしれない。
現在のグレーも、他にはあまりない配色ではあると思うし、格子状のデザインもおそらく南中と東中だけではあるが、以前の青い校舎がなくなったのは、今にして思えば残念。
新旧どっちにしても、北側など他の校舎との色の統一感はないけれど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/34/9d791828dc8e980ee48bc98ffd413e4d.jpg)
建設時期が違うとはいえ、もう少し配慮をお願いしたいものです。
どういう意図や経緯があるのか不明だが、1975年度と1976年度に2つの中学校でだけ採用された、独特のデザインの校舎の話でした。
【21日23時40分追記】2011年5月現在の生徒数・学級数は、秋田南中が433名・16学級、秋田東中が539名・17学級。
■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色、似た校舎、憧れの明徳小、坂の途中の学校、旭南学区は広い(近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎(この記事)
※次の記事はこちら
※2015年度に南中の校舎が解体されることになった。また、この校舎は鉄筋コンクリート造ではなく鉄骨造であることが分かった。
東中が青色だったころは内装もボロくて、雪が降れば窓を閉めていても校舎内に雪が積もってしまうほど気密性は低かったのですが、今はそんなことはなさそうですね。ストーブの効きも良さそうで、暖かそうです。
私が在学中から、東中の空き教室は多かったです。今はどうなっているのでしょう…。
そういえば先日、秋田駅で今度はEast i-Dを見ましたよ。残るはEast iだけです。油断していたら見逃してしまいそうなので、自分に関係のないホームもしっかりと見ることにします(笑)
昨年度の東中は539名・17学級(南中も同じくらい)だったので、おそらく空き教室はもっと増えているのでしょう。
それにしても、青い校舎はそんな環境だったのですか! 外壁などの構造が普通の鉄筋コンクリート造とは違うとかなんでしょうかねー
East i-Dは秋田が本拠地なので多少見る機会はあるとはいえ、留守が多いですものね。
新幹線版East iは、たしかいつも昼間に来てとんぼ返りのダイヤのはずです。
これからの時期は、団体列車にも出会えるかもしれません。
東中の西側校舎って青かったかな?
しかし、学級数が減りましたね。
1学年5~6クラスですか(汗)
私の時は10クラス位ありました。
青森から電車で帰って来ると、工業のカーブを過ぎて、旭川を渡って、右に千秋公園の裏側・左に東中が見えると、もうすぐ秋田駅到着だなと実感したものです。
生徒減少は東中に限ったことではなく、昨年度、秋田市内で20学級以上あったのは、城南、泉、御野場の3中学校だけだったそうです。
そして、ちょうど今日報道されましたが、秋田県内唯一の私立中学校である聖霊中学校が、来年度から生徒募集を停止するそうです(聖霊高校のほうは募集継続)。今春の中学の入学者はわずか9名だったそうで、ほんとうに少子化・人口減が著しいようです。
移転前の南中の卒業生の方々は皆さん、円形校舎が強く印象に残っておられるようですね。
移転後は秋田市の楢山地区コミュニティーセンターに転用され、2005年頃まで存在していたそうです。
僕はほとんど通らない場所だったので、あと数年早く気づいていれば、見たり写真を残せたのにと思うと残念です。
あの青い校舎のパネル部分が鉄なんですよね。
格子の部分も鉄で太い柱のトコはコンクリートが入ってたな、ちょっと記憶が曖昧ですが。
なので、りおさん仰せの通り機密性は低かったと思います。
パネルと鉄柱の隙間から雪が吹き込む程度にw
あれなんだったんでしょうね。コストダウンの試作!?
色が変わった時に少しパネルを追加したのかもしれませんね。
当時、部活の練習とかで南中に行ったときに、校舎の類似点を興味深く観察したのを思い出しましたー。
元・南中の円形校舎。
今はもう無いんですねー。
何回も通ったのに私も写真撮ってなかったー。
今はデジカメで気軽に写真が撮れますけど、昔はお小遣いの中から写真撮るのは難しかったですしね(^_^;)
なんかずいぶん特殊な工法っぽいですね。
山王中組は、小学校に引き続き、オーソドックスかつ初期タイプの鉄筋コンクリート校舎でしたが、寒くてしょうがなかったという記憶はありません。鈍感だったのかもしれませんけど…
廊下だけでなく教室の床もタイル敷きだったのと、給食運搬リフト&ワゴンがあったのには、びっくらこきました。
デジカメがもう5年でも10年でも早く普及していれば…と思うことがたくさんあります。
円形校舎といえば、弘前市内の私立高校が今も現役です。旧秋田南中とはデザインが違い、頭でっかちでしょうか。
弘前に引っ越した当初、予備知識なしにその校舎に遭遇し、不思議な感覚にとらわれたのを覚えています。