広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

八橋の道・北端

2012-03-12 22:38:23 | 秋田の地理
秋田市八橋地区で建設中の新しい市道「都市計画道路外旭川新川線」の続報。
前回(2月中旬)は、未開通の「C工区(当ブログにおける仮の名称)」の工事もだいぶ進み、南端の建物が立ち退き、北端には信号用の柱が立っていた。
先日、C工区の北端(新国道~秋田運輸支局~ユーランドホテル八橋~草生津川の三本橋~寺内堂ノ沢 の通りとの交点)を見てみた。

新国道側から来て、ローソン秋田寺内イサノ店の手前が、C工区北端。前回は信号柱が立っていた地点。以前は、
 (再掲)奥が三本橋方向、左がC工区北端(信号柱設置前)
現在は、
信号機が設置されて、しかも稼働していた!
この少し先の、ローソンの反対側(三本橋寄り)・ガソリンスタンド前にあった押しボタン式信号機は撤去されていた。
信号機が作動しているからには、C工区へ曲がって入っていくことができる状態だった。

では、C工区が開通したのかといえば、そういうわけでもない。
看板があった。「供用区間」と縦書きされているのが、B・A工区。「工事中」がトーセン跡
(看板の地図中、「ローソン」とあるのは、A・B工区境の八橋田五郎店のことで、イサノ店は無視されている)

新しい道は、C工区北端近くで、斜めに走る既存の細い道と交わっており、そこの工事が佳境に入っている。
そのため2月17日から3月末までは、交わる部分から三本橋の通りまでの100メートルほどが通行止めになっている。※前回の記事をアップしたのは21日でしたが、現地へ行ったのはその10日ほど前でした
ガソリンスタンド・ローソン前から見た通行止めの道。横断歩道の位置に押しボタン信号があった
その通行止め区間の迂回路として、(形式的には)まだ工事中であるC工区の一部を開放しているのだった。
C工区は、既存の道と交わる地点よりも先(新しい交差点から200メートルほど)まで開放されているようだが、C工区南側100メートルほど(トーセン跡付近)はまだ道ができておらず通行できない。
C工区南側を遠望
信号機がなかった、B・C工区の境(イサノ橋の通り)にも既に信号機が設置されていて、黄色いカバーがかかっているようだ。
今までの略図に加筆するとこうなります

そんなわけで、まだB工区側とはつながっていないので、C工区の迂回路へ入る車はとても少なかった。
そして、通行止め・迂回路の看板の設置位置や内容(文や図が細かすぎる)が適切でないため、通行止め区間前で戸惑っている車を見かけた。

 (再掲)ガソリンスタンド前から新国道方向
現在は↓
手前の横断歩道が押しボタン信号跡

 (再掲)C工区北端
現在は↓

新しい交差点の信号機は、A・B工区に先に設置されて稼動している信号機同様「日本信号」製だった。(「更新箇所は信号電材製、新規設置箇所は日本信号製」という、秋田県警の“法則”にも合致する。【13日追記】最近は、更新箇所であっても日本信号の場合もある)
C工区に入って北端を見る。左が三本橋・右が新国道
この程度の規模の丁字路交差点なら、突き当りの車両用信号機は1台だけなのが普通だと思うが、ここは右手前にも設置されて2台態勢。広い道が終わって狭い道になる箇所だから、注意を促すためだろうか。【19日追記】将来、北側の道が開通した場合は十字路交差点になるだろうから、それに備えているとも考えられる。
この記事のこれまでの写真で分かる通り、交わる新国道~三本橋の道側の信号機は、片面1台ずつの設置。

着々と工事は進んでいるようだ。
で、開通はいつなんですか?
※続き(この区間の信号機など)はこちら
※ここよりさらに北側の工事はこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月11日

2012-03-11 22:57:34 | 地震
3月1日以降も秋田市は雨や晴れの日があり、積雪は徐々に減少。3月8日にはついに積雪ゼロになった。
車道だけでなく歩道も雪はほぼ完全に消え、いっそう春らしくなった。

しかし、3月11日早朝からは湿った雪が降り、最大で積雪6センチに達した。
朝は木々の枝も路面も白くなったが、その後雨が降ったりして昼にはほとんど消えた。そして20時頃にまた激しい濡れ雪で、真っ白になった。

東日本大震災から今日で1年。
あの日は地震発生直後に激しく雪が降り始め、今日もそれを思いださせるような天気だったが、日が差す時間もあった。
八橋の面影橋付近から草生津川(くそうづがわ)

電気や流通網のありがたみと、今まで無関心なことがいかに多かったを思い知らされた1年だった。

最近、テレビなどで遠方(関東以西)の一般の人が、「東日本大震災」を指して「東北大震災」とか「東北の地震」と言っているのを耳にすることがある。
東北地方でありながら地震や原発事故による直接の被害がほとんどなかった秋田県人としては、それを聞く度に複雑な心境になる。「がんばろう東北」というフレーズについても同じ。
茨城県や千葉県など、東北以外でも被害を受けた・受けている地域や人がいるのだし、秋田は東北の一員として被災地を支援したい思いも強いはずだが現状で充分とは思えない。(結局「東日本大震災」でも秋田は同じ立場なわけだが)

ただ、秋田でもいわゆる風評被害を受けている業界(農業や観光関係)や福島など被災地から秋田へ避難している人が今なお多数おられる。
今後、別の地震や火山活動が活発化する可能性もあるだろう。うまい言葉が出てこないけど、懸念は多い。


この1年間でとてもよく分かったことがもう1つあった。政治家は自分のことしか考えない人たちであるということ。

【12日追記】11日夜から積もった雪は、12日朝には積雪6センチに達したものの、12日夕方にはゼロになった。
それから、11日の地震発生時刻には、原爆記念日や終戦記念日と同様に、秋田市の各消防署でサイレンが鳴らされた。

この1年後の記事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧AD閉鎖?

2012-03-10 23:22:37 | 秋田のいろいろ
今日の秋田魁新報経済面(サイトにも掲載)によれば、秋田市大町二丁目の「イーホテルショッピングモール」のほとんどが、夏までに閉鎖されるとのこと。

当ブログでは何度も取り上げているが「イーホテルショッピングモール」の名称は秋田市民にまったく定着していない。
しかも魁の記事では、大町地区の商業施設についての解説で、向かいの秋田ニューシティにも触れていて、ややこしい。そこで、まずは大町地区(大町二丁目)の向かい合う2つの商業施設についてまとめてみる。
まず、僕が物心ついた1980年代前半の大町地区の地図。
上が東・秋田駅方向

次に、向かいのニューシティも含めた、名称や核テナントの変遷(Wikipedia等より)。
数字は西暦年。縦方向が時間軸で、上が過去

現在イーホテルショッピングモールがある場所は、以前は「本金(ほんきん)」という地元百貨店と「秋田名店街」という屋内タイプの商店街だった。
名店街は今のイーホテルショッピングモールのように東西に通り抜けられた。本金と名店街は建物は別だったがつながっていたそうだ。
秋田市広報課「秋田市写真館」より。在りし日の本金(奥)と名店街
本金は(西武でなく)西友と提携して「本金西武」となり、1984年に秋田駅前に「ほんきん西武」として移転。それが現在の西武秋田店。
名店街は1985年に閉店して、本金とともに解体された。
「秋田市写真館」より。閉店セール中の名店街の中(秋田市写真館には昭和61年とあるが60年ではないだろうか)
写真の通り、名店街は一部吹き抜けの2階建てになっていた。僕は1階はよく行ったが、飲食店などがある2階は数えるほどしか上がったことがなかった。

その跡地に1987年にビルができた。計画段階(?)では「新大町ビル」という名だったらしいが、結局「秋田大町第一生命ビルディング」という名が正式名称になった。
ビルは、11階建ての「秋田ワシントンホテル」と地下1~地上3階のショッピングモール「ファッションアベニューAD」からなるものだった。

ファッションアベニューADはその名の通り、ファッション系の店が多く、名店街と比べると庶民的でない感じがした。名店街にあった店の多くが撤退して、ADに残った店はあまりないらしい。

とはいえ、特に大きな変化がなく、20年が経過した2007年に変化があった。
ワシントンホテルが撤退し、「株式会社グローカル・ホテルグループ」の「イーホテル秋田」となった。同時に、ファッションアベニューADの経営権も同社が取得。
ここから、変化が激しくなる。

「中華街」作るという構想が出たが、それは立ち消え。
2009年には、向かいのニューシティに入っていた地元食品スーパー「ヤマト」が、AD地階に移転して来た。同時に、ファッションアベニューADの名前が「イーホテルショッピングモール」に変更された。
当時の記事でも書いたけれど、ファッションビルにスーパーが入ること自体ムリがあると思ったし、しかも唐突にショッピングモールの名前をろくな周知もせずに変更して、その理由付けもこじつけがましかった。しかもいつまで経ってもビル壁面の表示やホームページは「AD」のまま。

そして、2010年にヤマトが倒産し、地階はほとんどが空いたまま。
同じ年、向かいの秋田ニューシティも閉鎖・解体された。
「秋田市写真館」より。ニューシティ(左)と本金・名店街

 (再掲)現在のほぼ同じ場所
現在、イーホテルショッピングモールの経営はグローカル・ホテルなわけだが、所有者は別で「第一生命保険相互会社、株式会社藤木」となっている(公式サイトより)。「藤木」は地元の民芸品店でこのビルに店があるが、ビルの所有権はあっても、モール全体ではあくまでテナントの1つであって運営権はないということなのだろう。
イーホテルショッピングモールには、近年新たに辻兵の店や秋田観光コンベンション協会が入居したり、コミュニティFMのスタジオができたりしてはいるが、全体としてはテナントは減っていく中での、今回の閉鎖報道だった。

魁によれば、
「「グローカルホテルグループ」(東京、松本義弘社長)が、夏までに一部を除きモールを閉鎖するとテナントに伝えたことが9日、分かった。」
「「イーホテル秋田」(391室)はこれまで通り営業を続ける。」
「閉鎖対象はビルの地下1階~地上3階。現在、洋服店や喫茶店など約20店が入居しているが、商業用スペースの半分ほどが空いている。閉鎖後の利用法は未定。1階にある秋田観光コンベンション協会とビル所有権者が経営する工芸品店は業務、営業を続ける。」
近年「家賃収入が減少」して、「モールだけで年間約2400万円の赤字に陥っている。」「モールを閉鎖すれば(ホテル部分の)維持費を削減できる」
「社長は、年間約3500万円の固定資産税の軽減措置を市に求めて」いて、そうじゃなければ「冷房費がかさむ夏までにモールは閉鎖せざるを得ない」そうだ。
テナントも唐突な話で戸惑っているという。

記事の「1階にある秋田観光コンベンション協会とビル所有権者が経営する工芸品店は業務、営業を続ける。」の部分。
「ビル所有権者が経営する工芸品店」だから「藤木」ということになる。藤木とコンベンション協会は、どちらも1階の西側(ニューシティ跡地側)。東側のテナントは全部閉店だろうか。
現在は、定休日でも昼間は通路部分だけが開放されていて(店舗部分はシャッターが下りている)、通り抜けられるのだが、閉鎖後は東西の通り抜けはどうなるだろう。
地階の老舗コーヒー販売店・喫茶店「ブラジル」も閉店するのだろうか(ブラジルは駅前のフォンテ地階にも販売店はある)。モールとはつながっていないホテル側の1階に入っている、ファミリーマートの秋田事務所みたいなの(店舗ではなくオフィス)は、残るだろうか。

雪がだいぶ融けたニューシティ跡地からイーホテルショッピングモールを見る
個人的には、ヤマトが入ってADでなくなった頃から、このショッピングモールの方向性がなくなったように感じ、迷走しているように感じていた。衰退著しい秋田市中心市街地でもあり、正直、長続きしなさそうに思っていたから、この報道を見てもさほど驚かなかった。
そして、新聞記事で社長などが言っているような、市を頼るというのは筋違いだと思う。
中華街構想はあまりに突飛だったし、ヤマトの倒産が打撃だっただろうけど、その後、経営努力というか積極的な動きがあったのだろうか。傍からの勝手な見方だけど、守りに入りすぎていたように見えていた。こうなる前に、もっと何かできなかったのだろうか。


日赤病院跡地の再開発が完成しようとしているが、旭川の対岸の産業会館跡地、向かいの秋田ニューシティ跡地とともに、秋田市中心市街地の先行きはさらに見えなくなった。

ちなみに、市民に名前が定着していないイーホテルショッピングモールだが、僕の周辺では、高齢者でも「エーデー」と呼んでいて、「名店街」と呼ぶ人は少ない。
ある程度はADの名が浸透していたのと、「フォンテ」などと違ってアルファベットの最初のほうの2文字を並べただけだから、覚えやすかったのだろうか。
【11日追記】イーホテルショッピングモールを指して「本金」という人も少ない。これは、本金が駅前に移転した「ほんきん西武」→西武秋田店と混同されるおそれがあるのと、かつて本金だった部分は現在のホテル側なので、モールとは若干位置的なずれがあるからかもしれない。
なお、駅前の西武秋田店のことを「本金」とか「ほんきん西武」と呼ぶ人は、今なおたまにいる。

※続きはこちら
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柑橘いろいろ1

2012-03-09 23:43:32 | 動物・植物
この記事の続きで、「独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点」(以下、「試験場」)の一般公開について。この記事は旅行記ではなく植物カテゴリーにします。

研修棟の裏側の屋外では、テントを張って試食と販売、情報展示がされていた。ここの紹介はまた後で。
この後が、個人的にもう1つのお楽しみだった、試験場の圃場というか見本園(正式名称は不明)の自由見学。

試験場の背後は山。国土地理院の地形図によれば頂上の標高は359.2メートル(=秋田県男鹿市の寒風山とほぼ同じ)で、東海道新幹線と東名高速道路がそれぞれ「興津トンネル」で通っている。
その山の大部分はミカン畑だからいわゆる「みかん山」というヤツなのだろうが、その一部は試験場の園地。
研修棟の裏側から、その山の中腹まで登ってぐるりと回って戻ってくる小径があり、それに沿って何種類ものカンキツ類が見本として育てられている。NHK静岡放送局のニュースによれば「10ヘクタールの畑で1500種類のかんきつ類を育て」ているとのこと。
一周する距離としては1キロにも満たないが、標高差は40メートルほどあるようだ。(研修棟が標高10メートル弱、最高地点が50メートル)
登り始める。右隣は静岡市立清水興津中学校
坂の傾斜としては、秋田市の千秋公園並みか。ゆっくり歩けば大したことはない(車椅子やベビーカーはきついでしょう)が、それが延々と続く。
いろんなカンキツ類が実っている
ほとんどがいい塩梅に色付いているけれど、もちろん、園内の果実は採ったり食べたり持ち帰ったりはできない。見るだけ。
おじさんが腕を伸ばしてるけど、見てるだけです
カンキツ類がほとんど生育しない地域に住む者としては、ただのミカンの木でも充分もの珍しいが、名前を聞いたことがあるだけ、あるいは聞いたこともないような種もたくさん。

どの木にも名札がかかっていて和名(カタカナ)と学名が記載されていた。
「フクレミカン」なるものと、「シークワーシャー」もあったが、果実は木についたまま干からびていた。
左の小さい果実の木がタチバナ(橘)
日本固有種。静岡県沼津市が北限の自生地とのこと。
日本人の姓にもなるほど、日本人に密着したカンキツ類といえるだろう。そういえば、「橘一家」が主人公の漫画「あたしンち(けらえいこ作)」の読売新聞日曜版での連載が、今度の日曜で終わるそうだ。

タチバナの隣は、
大きめの果実

表面がゴツゴツ!
「オウカン」だそう。これは調べても、漢字も特徴もよく分からない。
「晩王柑」というのはあるが、それはブンタンの一種らしくてもっと大きくてツルツルしてるので関係なさそうだし。

植えられているカンキツの種名はサンキツ、ポンキツ、ソウキツ、ウジュキツ、シカイカンなど、「○○カン」とか「○○キツ」というのが多い。「○○柑」「○○橘」というのは想像に難くないが、肝心の「○○」の部分が分かりにくい。
マンキツ
「慢橘」だそうで、中国原産。ウンシュウミカンの先祖らしい。

ビンキツ
一瞬、「デコポン(不知火)」かと思うが、別。(形や表面が違う)
「瓶橘」で、なるほど、形が瓶っぽい。詳細は不明。

洋風になって、
クレメンティン
クレメンテイン神父が育成したミカン。多少、流通しているようだ。
ほかに「クレオパトラ」というのもあった。

クネンボ(九年母)
室町時代に日本へ伝わったそうだが、ウンシュウミカンに押されて廃れたという。

おなじみの種も。
ヒュウガナツ(日向夏)。別名「小夏」「ニューサマーオレンジ」
ユズの突然変異と考えられているそうだ。

イヨ(伊予)=イヨカン

カボス
カボスって、青いのしか見たことがなかったけれど、熟すと黄色くなるのか。

坂の途中にもオレンジ色(橙色・ミカン色とも言えるが全部カンキツ類だ)のジャンパーを着た試験場のスタッフがいた。

試験場の見学者は、農家や研究者のような人、地元の人、JRのウオーキングイベントのついでに来た人の3パターンに分かれるようだ。年配の人の割合がやや多いが、小さな子を連れた家族連れなどそうでない人も少なくない。
カンキツ類にあまり興味のなさそうな人でも(入場するからには、みなさん多少の興味はあるでしょうけれど)、変わった実がなっている木の前では、みなさん立ち止まって見ている。
その1つが、上の写真の木。
こんな形
前回も少し取り上げた「キクダイダイ」。
表面に筋が入っているのを菊の花に見立てた命名。「ダイダイ」という名だけど、どうも熟しても橙色にはならないらしい。
NHKの記者の目にも留まったようで、夕方のローカルニュースでは「江戸時代から観賞用として育てられた「キクダイダイ」という名前の実はその名の通り、上から見ますと全体的には黄色で浮き上がった脹らみがまるで菊の花のように見えます。」と伝えている。

カンキツ類の紹介は、今回はここまで。
やっと半分くらいなので続きはまた後日。果実の色や形だけでなく、木への付き方、葉っぱも違うのが(なんとなく)分かった。


前回紹介した、ワシントンのポトマック河畔へ送られた桜の片割れが、興津に残っている。
カンキツ類に混ざって、その薄寒桜があったけど、
 
1分咲きにもなっていなかった。

だいぶ高くまで登った。
方向的には富士山側?
この日は曇りがちで見えないはずだが、見えるとすればこちらが富士山の方向。たぶん。
興津地区では、興津駅前など平地からはさった峠に隠れて富士山が見えず(見えても頭がちょっとだけ)、海側か山奥へ行かないと見えないはず。このくらいの標高の場所ではどうなのか?
試験場隣の清水興津中学校の校歌(真壁仁・作詞)には、「駿河の海」「三保の岬」「清美の浜」さらに「蜜柑いろづく」など、興津に似つかわしいフレーズが出てくるが、「富士山」は出てこないから、やっぱり見えないのだろうか。

目を転じると、
ふもとの試験場施設と興津の町、さらに駿河湾が光る
見下ろす斜面にもミカンの木が見えるが、ここは見学者は立ち入りできなかった。見本園ではなく、研究用の木なのかもしれない。
プラタナス並木がまっすぐに見え、続々と入場者が来る。海には船が浮かぶ

続きます
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州のランチパック他

2012-03-08 23:11:37 | ランチパック
ランチパック・フレッシュランチの話題。
まず、ランチパックの秋田版である「たけやフレッシュランチ」の2月の新製品から。
本荘ハムフライは継続発売で、新商品は1種類確認。
「フレッシュランチ カレーうどん」1包装当たり270kcal
たけやフレッシュランチでは、たまにカレー系のものが出てくるが、今回はカレーうどん。

実は、本家ヤマザキランチパックでは、今年1月に「和風だしが決め手のカレーうどん」という製品が出ていた(現在は発売終了?)。
「かつおとこんぶのだしをきかせたカレーうどんをサンド」したものだそうで、ブログなどで断面の写真を拝見すると、細かく裁断されてはいるものの、本格的なうどんがそれなりにカレーに混ざって入っていた。

では、フレッシュランチは…
うどんはどこ?
カレーのルウばかりが目立つ。
所々に、小さな平べったい細切れのマカロニみたいなのが入っているが、それがうどんってことでしょうか?(上の写真で、カレーの右端・中央の少し上に写っている物体)
原材料表示には「ヌードル」とあるが、もしかして、昨年発売されていた「ラザニア風」の中に入っていたマカロニを使い回したやつだったりして…

カレールウは、比較的辛さを感じる(中辛ってとこ?)従来のたけやのカレー系フレッシュランチ並みの味。
ヌードルなど入れず、ただ「カレー」でよかったんじゃないでしょうか。

ヤマザキランチパックの新商品は、相変わらずイオン土崎港店で何種類も置いてくれているが、まだ全部食べていないので、また改めて。

※翌4月のたけやフレッシュランチはこちら




以前何度か注文した、ランチパックの通販をしている楽天市場内の「ヤマザキプラザ市川」から、メールが届いた。「期間限定で九州限定のランチパック6個+オマケ1個で1000円(送料込)」だという。※現在は終了

ヤマザキプラザで普段扱っているのは、関東地方で販売されている製品が中心だし、九州の製品など秋田ではもちろん買えない。これは絶好のチャンスなので、注文。
九州のランチパック(ほかに通常品1つ+カップゼリーのオマケ)
届いた商品の製造所固有記号を見ると、どれも「YMK」すなわち千葉県の「松戸第一工場」製。九州の工場で作られたわけではなかった。
おそらく、関東地方の一般の販売店でも「九州ランチパックフェア」みたいなのを開催するため、一時的に松戸で製造しているのだろう。
ネクターりんごクリーム 141lcal/福岡県産あまおう苺ジャム&ホイップ 132kcal
左の「ネクターりんごクリーム」は九州産ではなくてオマケ。全国発売されている不二家とコラボした「ネクターりんごクリーム」だった。
秋田の「ザ・ガーデン自由が丘」で売っているのを1度だけ見て、後で買おうと思っていたら、それっきり見かけなくなって、買い逃していたのだった。他の秋田の店では見たことがない。
オマケだから定番で安いピーナッツでも来るかと思ったが、珍しい品でラッキー。

不二家ネクターといえば桃を連想するが、そのリンゴ版もあり、そのクリームをランチパックに挟んだもの。若干緑色がかったとろりとしたクリームが入っていて、味は、リンゴの味はしっかりするけれど、ちょっと甘すぎるかな。

右は、定番の組み合わせのイチゴジャムとホイップだけど、福岡のあまおう使用。
ジャムたっぷりで果肉も見える
イチゴの味がおいしかった。

ダブルクリーム 141kcal
こちらは熊本から。3月の新商品。
「阿蘇小国ジャージー牛乳入りクリームと大阿蘇牛乳入りクリームをサンドしました。」とのことで、「2種類の牛乳を使っている」から「ダブル」クリームというわけか。
とろりとしたクリームたっぷりでおいしかった。

うれしの茶クリーム&小倉 139kcal
これも3月の新商品で、佐賀から。
「佐賀県産うれしの茶0.9%入りの緑茶クリームと小倉あんをサンドしました。」※うれしの=嬉野
今まで、ランチパックやフレッシュランチで、お茶クリーム+あんこという組み合わせは何度かあったので、大して変わらないだろうと期待していなかった。でも、
お茶のクリームが違う
今までのお茶クリームは、滑らかでなく固形っぽい感じがしたが、これは滑らかなクリーム。
あんこやパン生地とうまく絡んで、相性がよかった。

長崎県産みかんジャム&ホイップ 143kcal/柚子クリーム&ホイップ 162kcal
南国九州といえば、柑橘類でしょう。
今回のセットには2つあって、長崎のミカンと大分のユズ。どちらも3月から発売。
ユズのほうには、商品名に「大分」が含まれていないが、「大分県産柚子(ゆず)の果汁0.6%入りクリームとホイップクリームをサンドしました。」と説明がある。
ミカンジャムとユズクリーム
ミカンはジャム(ママレード?)、ユズはクリームにしたものが使われ、どちらもホイップクリームと組み合わせている。
ミカンやユズの味はそれぞれ感じたけれど、ユズはクリームだけに若干しつこい感じがした。ミカンジャムのほうが、柑橘類らしいさわやかな味がして好き。
ユズもジャムにしたらいいかもしれない。

なお、今回のセットには含まれていないが、熊本の「晩白柚ジャム&ホイップ」という製品も出ている。

最後は宮崎。
マンゴークリーム&ホイップ 141kcal
これも3月から。「宮崎県産マンゴーのピューレ1.2%入りクリームとホイップクリームをサンドしました。」
今まで、2度ほどマンゴーとホイップのランチパックを食べたけれど、どれもおいしかった。
昨年のものは、全国発売されており、宮崎県産マンゴピューレ1.4%入りだった。今年は発売地域限定で、割合が0.2ポイント減ったことになる。
マンゴークリームたっぷり
でも、相変わらずフルーティでおいしかった。

セットには、九州で唯一鹿児島県のものがなかったが、「鹿児島県産黒豚メンチカツ」というのが全国発売されている(秋田でも売られているはず)。
沖縄県では、山崎製パンの製品自体が流通していないためか、沖縄のものを扱ったランチパックはないようだ。

いつもと違う、遠方のランチパックを楽しむことができました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

似た校舎

2012-03-06 23:50:43 | 秋田のいろいろ
秋田市内のとある2つの建物を見る度に、それぞれに対して「どこかで似た建物を見たことがあるな」と感じていたが結びつかず、モヤモヤしていた。
先日、それがつながった。
この建物と

この建物
よく似てるでしょ?

正体は秋田市立秋田西中学校と秋田市保戸野(ほどの)保育所。

建物の大きさは違うが、どちらも窓の間の柱の部分(縦方向)と壁面最上部(横方向)が若干出っ張っていて、そこは壁面と異なる色を使っていて“縁取り”されたようなデザインで、その色使いも同じ。

ただし、保育所のほうは、縁取りの内側の角が丸くなっている。
保戸野保育所

調べてみると、秋田西中は1981年に校舎改築工事が完成、保戸野保育所は臨海へ移転した秋田市交通局跡地に1981年に開所(旭北保育所を移転・改称)しているので、ほぼ同時期に設計・建設されたようだ。
なお、秋田市の市立保育所は、将来的にすべて民間移管することになっており、保戸野保育所は2014年4月に移管されることになっている。建物は無償譲渡されるそうだ。※その後、2017年に解体された

保戸野保育所は保育所にしてはちょっと地味な色合いの気もしなくはないが、西中と同じデザインであること自体は別に悪くはない。設計の手間とか資材の手配・費用を簡略化する狙いだったのだろうか。



ところで、公立学校の校舎の色使いには、自治体によって「好み」があるのかもしれない。
秋田市の場合、(平成以降はそうでもないが)昭和に造られた校舎は、
1.2色で塗り分ける、2.ベージュ系の色を多用する、3.グレーや寒色系は使わない といった傾向がある。
 (再掲)富士市立富士見台小学校
富士市の1976年築の小学校では、明るいグレーの単色で塗っていたが、秋田市のこの時期の校舎にはないパターンだと思う。

さらにいろいろ考えたり見たりすると、秋田西中と形状がほぼ同じで、色使いが異なる建物が、秋田市立学校の校舎に複数存在することが分かった。
いくつか挙げてみる。
まずは再度、秋田西中。

一瞬、西中かと思いそうなのが、
色の濃さが違う
これは大住小学校(1980年)。西中に比べて本体部分の色が“枠”部分よりも濃い。
※以下、カッコ内は校舎ができたと思われる年。各学校の沿革にある「改築工事竣工」の年や開校年から判断したものであり、実際にはそれより数年前に建物ができていた可能性もあります。


肌色? オレンジ色?
これは先日紹介した、東小学校(1977年)の大規模改修されなかった側。
階段と思われる部分の窓が、丸いのが特徴的。(東小学校の改修された側や他の各校の階段は、四角い窓)

黄色? カラシ色?
泉小学校(1979年)。
最近は東小学校の塗り替えられた側や新築校舎などで黄色っぽい校舎も出ているが、昭和の校舎で、かなり濃い黄色を使っているのが珍しい。

改修工事が行われて、同色に塗り直された部分もあった。
開校当初は全体が左側のような鮮やかな色だったのだろう

色は西中にそっくりだけど、どこか違う
港北小学校(1982年)。
壁面の最上部の横方向の縁取りがなくなり、柱の縦方向のみが濃い色になっている。

秋田市では珍しい単色
港北小と同年に建てられた将軍野中学校。
デザインはそっくりだが、塗り分けがされていない。ただし、玄関の屋根が明るい茶色。
外旭川小学校(1980年)も、ほぼ同じだと思う。

今までとは雰囲気が違う
泉中学校(1981年)も、校舎のデザインは同じだが、今までにない配色。明るめの茶色と白の組み合わせで明るい印象。
西中など従来の配色は縦のラインに目が向くが、こちらは横方向の茶色の連続感が際立つ。(窓や校舎自体の大きさのせいもあるかもしれません)
この後に建てられた、明徳小学校や川尻小学校も、赤茶色を使った同じような色使いなので、新しい配色を試験的に採用したのかもしれない。


以上、紹介してきたように、昭和50年代中頃(1977~1982年頃?)に建てられた秋田市立の小中学校は、多くがこのデザインであり、色使いもある程度決まっていたようだ。
これら以前に建てられた校舎は、窓間の柱が大きく出っ張り、屋上の屋根部分が庇のようにせり出していて重厚な印象を受けるものだった。
土崎小学校(1970年)。現存する市立学校の校舎では最古の部類

秋田市では、昭和48年度から54年度(1973~1979年)にかけて、老朽化していた木造校舎を一掃すべく、当時の小学校36校中26校、中学校15校中9校で増改築を行なっている(体育館等校舎本体以外も含む)。児童生徒の増加と郊外の住宅地の開発により、新しい学校も多く造られた。※実際に木造校舎がなくなったのは1988年
おそらく建築技術が向上したり、流行もあったりして、ここで紹介したようなデザインの校舎を大量に建てることになったのだろう。
従来に比べて壁面の凹凸が減って箱のようなデザインとなり、仮に単色だったら物足りない印象を受けると思う。塗り分けたことがアクセントになって、これで正解だったかもしれない。
【7日追記】現時点では、壁面に汚れが目立つ学校もあるのが残念。(古い土崎小学校のほうがきれいだが、これは塗り替えたからだろう)
耐震補強工事がされているから当分は使い続けるつもりなのだろうし、子どもたちが1日の多くを過ごし、大きくなってから子ども時代の思い出と直結する場所でもあるのだから、クリーニングとか塗り替えとかをしたほうがいいようにも感じる。※具体例(大住小)はこの記事後半

この後、昭和50年代後半になると、また違ったデザインになってくる。特に教室の外にベランダが設けられるようになり(1981年の明徳小学校が最初)、それによって校舎外観の雰囲気が変わることになり、色もまた変化していく。建てられる校舎の数は減っていったが、個性的なデザインのものが多い。
土崎南小学校(1985年)。時計塔・ベランダ・色使いなど斬新
画一的だと思われがちな公立学校の鉄筋コンクリート造りの校舎でも、系統立てて見てみると、おもしろいものだ。
続く、かもしれません。

【7日追記】1981年に改正された建築基準法が施工され、耐震基準が強化されていた。
この記事で紹介したデザインの校舎が建設されなくなったのは、ちょうどその頃。旧耐震基準末期のデザインだったことになる。
【4月21日追記】1984年に建てられた、秋田東中学校の北側校舎もこのタイプであることが分かった。新耐震基準になってからも一部では建てられていた。

※秋田市の校舎についての次の記事はこちら
※青森県弘前市の校舎についてはこちらこちら
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田駅キオスク閉店

2012-03-05 23:11:01 | 秋田のいろいろ
駅の「キオスク」のお話。
本来のキオスクとは、ペルシャ語由来のトルコ語で、中東や地中海方面の庭園にある小さい小屋(「東屋」のようなもの)を指す言葉。欧米では、そのような小さな小屋を、路上でものを売るスタンドとして使うそうだ。
そんなことが日本に伝わって変化し、日本で「キオスク」といえば、駅構内にある売店を指すのは有名な話であり、迷うことはない。
さくらももこも「おどるポンポコリン」の2番でそう言っている。

駅のキオスクの起源は国鉄時代にさかのぼる。「財団法人鉄道弘済会」という組織があり、そこが駅の売店を経営していた。
※鉄道弘済会は保育所も運営しており、秋田市手形の「ひまわり保育園」もその1つ。時刻表を出版する「弘済出版社」もかつては系列だったが、現在は離れて交通新聞社となっている。

鉄道弘済会の売店は、1973年に「KIOSK(キヨスク)」という愛称がついた。「キ“オ”スク」でなく「キ“ヨ”スク」としたのは「清く」「気安く」の意味を持たせたためだそうだ。
1987年の国鉄分割民営化(JR発足)時には、キヨスクを運営する部門も、JR旅客各社ごとに鉄道弘済会とJRが出資した会社に分割され、各エリアでそれぞれの道を歩むことになった。
その後、各社とも、鉄道や生活を取り巻く時代の変化に合わせるべく、対面販売の売店の数は少なくなっている。地方の小さな駅(秋田で言えば土崎や新屋など)からは撤退し、大きな駅では別の名前(NEWDAYSやベルマートなど)のコンビニ型店舗に転換している。

JR東日本エリアでは、当初「東日本キヨスク」という企業がキヨスクを経営していた。
2006年には、鉄道弘済会が保有していた株式をJR東日本が買い取り、JR東日本の完全子会社となった。
そして、コンビニ型店舗の増加やエキナカ店舗の多様化に伴い、2007年には「JR東日本リテールネット」に社名変更。同時に、駅売店の名称を「キヨスク」から「キオスク」に変更した。
また、東日本では、「KIOSK」のロゴは国鉄時代とは別のものを使っている。
東日本以外の各社は、国鉄時代の「キヨスク」の呼称のままで、ロゴも同一であるのとは、一線を画している。


前置きが長くなったけど、2月末をもって、秋田駅からキオスクが消えた
※ここでいう「キオスク」とは、上記の通りJR東日本リテールネットが運営する、対面販売の売店という意味で、コンビニ型店舗は除きます。

実は、ここ何年か前から、秋田駅にはキオスクが1つしかなかった。
新幹線ホーム(11・12番線)には、キオスクは昔からなく、経営会社が異なる「トラベル秋田」とかいう対面型売店があった。しかし、それはいつの間にかコンビニ型の「NEWDAYSミニ」になっていた。
11番線側。小さく「NEWDAYS」の看板が出ている
在来線の2番線にはキオスクがあったが、だいぶ前に閉店している。もっと昔は他のホームにもあったような気がする(特急「たざわ」が出ていた5・6番線とか)。

最後のキオスクは、在来線の3・4番線にあった。
「3・4」が水色のサインだけど京浜東北線ではありませんよ
既に
もぬけの殻
商品は撤去されていたが、「KIOSK」の看板だけは残っていた。
東日本では、今はこういうロゴ
ちなみに、
東海キヨスクのロゴはこれ
国鉄時代のキヨスクの文字はこれと同じだったはず。
「K」をモチーフにした金色のロゴが輝いているが、これは国鉄時代もあっただろうか? どういう由緒なんだろう?

秋田駅のキオスク跡には、営業時間の表示が残っており「7:30~15:00」とあった。読み取れなかったが、下に小さく中休みの時間も書いてあった。
朝の通勤・通学客と、3・4番線から発車する列車が多い昼間の時間帯の特急や「リゾートしらかみ」の利用客向けのキオスクだったのだろう。

品揃えは一般的なキオスクで、お菓子や飲み物、新聞などだったと思う。
ペットボトルの飲料が自動販売機より数円安かった(150円が146円とか)ので、何度か買ったことがある。
シャッターの部分は冷蔵ケースだった
ちょっと離れた場所に冷蔵ケースがあり、冷たい飲料はそこから各自取り出して、窓へ持っていって購入する形。
駅弁はなく、おみやげもあまり多くなかったような気がする。Suica決済に対応。
窓が多い
キオスクって吹きさらしなので、秋田の冬は大変そうだ。
このキオスクは、首都圏などのキオスクと比べると、壁が多かったり開閉できる窓があったり、「雪国・寒冷地仕様」になっていたようだ。
 2種類のお知らせ
お客がいるのをあまり見たことがなかったし、在来線の客層や利用実態からしても、廃止はやむを得なかったかなという印象。

2番線のキオスク跡も見てみた。階段を降りた所にある鉄道警察隊の隣。
板で覆われている
白く塗ってあるが「KIOSK」のロゴが浮き上がっている。これは現行の1つ前のロゴ(分割後、JR東日本リテールネットになる前まで?)。
こちらは窓が残る


3・4番線のキオスクの閉店により、秋田駅からキオスクがなくなったわけだが、それだけでなく、秋田駅の在来線改札内から駅弁売場と自動販売機を除く物販施設がなくなったことにもなる。(そば屋は数年前に閉店【2017年3月9日追記】最後のそば屋閉店は、新幹線ホームの店舗で2009年6月とのこと。その後、2017年3月に改札の外に復活する形になった)
首都圏などでは「エキナカ」がもてはやされる一方、元祖エキナカとも言えるキオスクが、仮にも地方の拠点駅である秋田駅からなくなってしまったとは、皮肉なもの。

また、秋田県内(あるいはJR東日本秋田支社管内)から、改札口の中やホーム上にあるキオスクがなくなったことにもなると思われる。【7日訂正】大曲駅の新幹線ホームに、まだキオスクが残っていました。(東日本リテールネット公式サイトの店舗検索で確認)
※羽後本荘、東能代、田沢湖などにはキオスクがあるが、これらは改札の外(待合室など)にある。

秋田駅から立ち食いそばがなくなる時は、魁が記事にしていたが、キオスクがなくなることは記事にもならず、ひっそりと幕を下ろした。
秋田駅にキオスクがあったことを記憶にとどめておきたい

改めて、秋田駅でJRに乗る場合に利用できる売店類を挙げておく。(営業時間等に注意。もちろん、他に駅ビル・トピコや周辺の商店もあります)
新幹線改札内:ホーム上のNEWDAYSミニ
在来線改札内:NREの駅弁売店(中央改札入ってすぐ)、関根屋の駅弁売店(トピコ改札口)、関根屋の立ち売り
改札外:中央改札向かい(観光案内所隣)のNEWDAYS、中央改札脇のNEWDAYSミニ(駅弁の種類が豊富)
在来線特急では車内販売がない列車もあるので、改札を入る前に買い物を済ませた方がいいかもしれない。


ところで、
このホームのキヨスク
上の写真は、静岡市の清水駅。
清水駅は、ホームが1本(1面2線)しかない駅だが、乗車人員は1万1千人程度で秋田駅とほぼ同じ。
ホームには東海キヨスク経営のキヨスクがある。秋田駅3・4番線のよりはやや小さい感じだが、なかなか繁盛していた模様。
清水駅には、改札の外に東海キヨスクのコンビニ型小型店舗「ベルマート」があり、秋田駅のNEWDAYSミニに相当する。

清水駅には、東海キヨスク経営の店舗が2つあるわけだが、ほんとうの「キヨスク」があるのは、改札の中、すなわち駅の中。つまり、
♪いつだって(チャッチャッ)迷わない
「キヨスクは駅の中」
そんなの有名ぃ~

清水生まれのさくらももこが作った歌の世界が、清水駅に具現されている。

※その後、清水駅ホームのキヨスクは、2013年3月15日をもって閉店した。2014年2月の時点では、建物も撤去されていた。


※秋田駅キオスクの続きはこの記事の末尾の追記
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続報・訂正・補足

2012-03-04 23:43:46 | 秋田のいろいろ
●「○○を××しています」コレクション
当ブログで何度も紹介している、道路工事現場などにある「ご迷惑をおかけします。○○を××しています」という看板。※この記事など
表現は各施工業者に任されているらしく、同じ所が発注した同じ工事でも、業者が違うと言い回しが違う。

この書き方をする意図は、専門用語があって一般人には分かりにくい工事内容を平易にして、かつ柔らかく親しみやすい表現にすることだと思う。 例:「歩道融雪装置設置工事」→「歩道の雪を融かす装置を設置する工事をしています」
しかし、実情は、多くの場合、専門用語はそのままで「の」「を」「してます」をつけて文章にしているだけのものが多いように感じる。 例:「歩道融雪装置設置工事」→「歩道融雪装置の設置工事を行なっています」
これでは、長ったらしいだけで、分かりやすいとはいえない。

秋田市内で見られた、歩道の融雪装置の新設または更新工事の看板をまとめてみた。発注者は秋田県または秋田市。
まずは以前の再掲分。
 
「歩道の融雪工事を行っています」/「歩道融雪のための工事をしています」

 
「雪を溶かす歩道を作っています」/「歩道の融雪設備整備工事を行っております」

これは新作。
「古くなった歩道融雪設備を新しくする工事をしております」
うーん。いろいろですな。
※さらに別のものはこの記事中ほど

融雪設備ではないけれど、こんな看板を見つけた。
「みなさんの利用しやすい公園をつくっています。」
なんじゃこりゃ?
公共施設であり公園なんだから、「みなさんの利用しやすい」のが当然じゃないか。
公園のバリアフリー化工事なら、それでもいいかもしれないが、これは公園を新しく作る工事なんだから、ちょっと違うのでは?

写真でも分かるが、これは「千秋公園外堀ポケットパーク整備工事」。
木内の向かい、広小路と「穴門の堀」沿いに小さな公園を作る工事。以前は何度か工事の経過をアップしていたが、震災後に張られた芝から基準値を超える放射線量が検出されていた。※前回の記事は昨年9月12日でした。

その後、問題の芝は剥がされて、後はどうなっていたか気にかけていなかったが、また新たに整備工事が始まったようだ。
手前が芝生が張られていた斜面
上の写真奥に写っている、屋根付きベンチが新たに設けられた。
すぐ隣に建物(スケシロさんの事務所)があって、あんまりいい位置じゃなさそうにも思うが…

実は「みなさんの利用しやすい…」の看板が立っている場所もすごい。
広小路から
芝生が張られていた斜面の裏側の石垣の上の真ん中に、でーんと鎮座しているのだ。
見上げるようにして眺めることになり、昔のお触書を掲出した「高札場」みたいだ。

※続きはこちら

●銀色信号機
先週木曜日にお伝えした、ゆうちょ銀行秋田支店前に新しく設置された、銀色の信号機。
たしか前回見た時は、仲小路に入る側の信号機は、従来の茶色いままだったが、いつの間にかそれも新しくなっていた。
路面にはブロックが敷かれた
上の写真の通り、新しい電柱の根本側には、まだシートが巻かれているし、後ろ(写真右)には、茶色い従来の信号柱が残っている。
古い柱からの配線が新しいほうに伸びていたりして、まだ暫定的な感じ。

この向かい側は、車両用信号機・信号柱とも撤去され、新しいものは未設置。歩道の工事はまだ続きそうな雰囲気。
一方通行の関係上、この信号機を必要とする車両はきわめて少ないが、ずっと設置しないのか、あるいは歩道工事がもっと進んでから設置するのだろうか。

上の写真の信号機を裏側から
LED街路灯の色合いと統一されているのが分かる。

以前、ここの歩行者用信号機の待ち時間が短縮されたことに触れていた。
通りかかった年配のご夫婦の奥さまのほうが「待ち時間が短くなった。前は(待ち時間を示すLEDのコマが)ちんたらちんたら落ちて(=カウントダウンして)たのに」と話していた。好評のようだ。

●中学校の数を訂正します
給食共同調理場の記事学校名の命名の記事で、「雄和・河辺地区を除いた秋田市内に、秋田市立の中学校は21校ある」としていたのは誤りで、正しくは20校でした。訂正します。
原因は、昨年度末で閉校(飯島中学校へ統合)した上新城中学校をカウントしてしまったため。
言い訳になりますが、参考にした秋田市教育委員会の学校一覧のホームページが更新されていなかったので、上新城中の閉校に気づかずそのまま数えてしまったものです。

●新屋の町
秋田銀行新屋支店移転関連で補足。
現在の新屋支店の近所にあった秋田市西部公民館の場所には、1968年8月までは秋田市新屋支所があったことが分かった。秋田市に合併(1941年)する前は新屋町役場であったそうだ。
支所が日吉神社向かい(現在の新屋交番)に移転して、跡地に公民館が建ち、その公民館も市民サービスセンターに吸収されて更地になったのが現状。
【4月3日追記】新屋町役場の前は、1879(明治12)年から1925(大正14)年まで日新小学校の校舎があったことが分かった。こちらの記事
日新小学校→新屋町役場~秋田市新屋支所→西部公民館→更地 と変遷していることになる。

したがって、かつては元町・表町が新屋地区の中心であり、各公的機関が集中していたことになるが、それが徐々に新屋駅前近辺に移転していっていることになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興津のイベント

2012-03-03 21:16:18 | 旅行記
※旅行記の前回の記事はこちら
静岡市の西端【2023年4月8日訂正】静岡市の東端が「清水区」。かつての清水市。
由比町・蒲原町が合併(清水区に編入)する5年ほど前まで、清水市の西端【2023年4月8日訂正】清水市の東端だったのが「興津(おきつ)」地区。
さった峠と港町清水(江尻)の間にある旧東海道の宿場町の面影を残す町。かつては「清見潟」という景勝地、避寒地でもあったそうだが、埋め立てられて現在はない。1961年に清水市に合併している。JRで清水駅から1駅のところに興津駅がある。

興津駅の裏手に、国のカンキツ類の試験研究機関があり、以前何度か外から覗いたことがあった。※2008年秋2009年春
ミカン好き、そしてカンキツ類が育たない寒い土地に住む者として、とても魅力的な場所。

その試験場が年に1度、2月に1日だけ一般公開されることを知った。それを見るのが、今回の旅行の大きな目的だった。


試験研究機関の正式名称は長ったらしくて「独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点」。
現在の名称・体制になったのは2006年から。独立行政法人化(農水省管轄)されたのは2001年で、それ以前は農林水産省直轄の「果樹試験場カンキツ部(の興津支場?)」だった。
現在は独立行政法人全体の本部も、果樹研究所の本所もつくば市にあり、興津は出先機関扱い。
しかし、興津の試験研究機関としての歴史は古く、開設は1902(明治35年)6月(農商務省農事試験場園芸部)までさかのぼり、この時点を果樹研究所の創設としている。
現在流通しているカンキツ類の中には、ミカンの「興津早生」やミカンとオレンジの雑種の「清見」など興津で作られたものもあるし、さらにそれらが親となった品種(デコポン、せとかなど)も多い。
果樹試験場の他の試験地は、移転している所も多い(「ふじ」を作ったリンゴ部門は青森県藤崎町→盛岡市)が、興津は同じ場所で一貫して我が国の果樹栽培に貢献し続けていると言えよう。

長ったらしい独立行政法人の名称は「農研機構」と略するのが公式に認められているようだ(公式サイトのロゴがそうなっている)。
「果樹研究所カンキツ研究興津拠点」の名前は、少なくとも地元の方々などは旧称から「試験場」などと呼ばれていると思われ、正式名称を言っても通用しないかもしれない。以下、記事中では「試験場」とします。

余談だけど、農研機構の組織は、秋田県大仙市にもある。
元は国の「東北農業試験場」で、現在は「東北農業研究センター」。略称「東北農研」。(以前は別の独立行政法人で、2006年に農研機構に統合)
大曲のは「大仙研究拠点」といい、平成の大合併で誕生した市名を冠している。
一方、元は違う組織とはいえ、興津のほうは昭和の大合併のままの名称で、ちぐはぐ。
なお、大仙研究拠点は米や大豆を研究していて、例年8月下旬の土曜日に公開される。



興津の試験場の公開日には、例年、「興津宿寒ざくらまつり」というイベントも同時開催される。過去数年の開催日を調べてみると、2月の第1か第2土曜日。

今年はいつかと、昨年末あたりからいろいろネットで調べてみたが、簡単には分からなかった。
正月明け頃、Yahooなどのイベント告知サイト(個人などが情報をアップするもの)に、試験場公開が2月5日であるという情報が出た。
また、JR東海のウォーキングイベント「さわやかウォーキング」(JR東日本の「駅からハイキング」に相当)でも、2月5日に興津周辺のイベントが告知された。

ところが、その2月5日は日曜日。
過去に日曜日に開催されたことはないようだし、主催者発表ではないのでにわかには信じられなかった。

その後、1月10日過ぎに、農研機構果樹研究所のサイトに2月5日に公開される告知が出て、確実なものとなった。

その後、静岡市清水区役所のサイトや静岡新聞・静岡放送共同のイベント情報サイトや、寒ざくらまつりの主催者の静岡市清水商工会のサイトなどに告知が出た。
しかし、どちらか片方のイベントにしか言及していなかったり、静岡市役所(本庁)のサイトの市全体のイベント情報には掲載されなかったりと、知らない人が正確な情報を収集するのは難しかったと思われる。
それに、名称も長ったらしい施設名や「カンキツ」「興津”宿”」「寒”ざくら”」など、混同されやすい表記を使っていて、検索しづらい。
秋田市の「あらや大川散歩道雪まつり」の告知と似た状況に感じてしまった。
地元の皆さん向けで、毎年恒例のイベントなので、大々的に告知しなくてもいいのかもしれないが、やり方次第で新たなお客さんも来るはずだと思いますが。


さて、当日。清水駅前のホテルに泊まっていたが、薄曇りで富士山は霞んで輪郭が見える程度。

試験場公開も寒ざくらまつりも、9時から15時30分まで。早いほうがいいだろうと9時半前には興津駅に到着。
興津駅3番線から東京方向。線路のすぐ左のフェンスの向こうが試験場の敷地
興津駅の北側に試験場があるが、駅出口はない。南側の出口を出て踏切を渡らないとならない。

駅前の100メートルほど先を国道1号線が走っていて、さらにその100メートル先が1号線の静清バイパスと海。海に近いけれど埋め立てられたりバイパスがあったりして、きれいな海が望めるわけではない。

「果樹試験場」は駅を出て左へ
果樹試験場までの道のりは知っている。なんとなくまだ早いような気がして、先に寒ざくらまつりの会場へ。
会場は「興津生涯学習交流館 東側広場」だそうだが、そっち方面はよく分からない。
駅からまっすぐ進めば「寒桜まつり会場」(「桜」表記はスペースの都合でしょう)
海へ向かって進み1号線を渡ると、バイパスの手前で細い道と交わる。
この道は以前通ったことがあったが、そこを右へ曲がれ(清水駅方向へ)という。
こんな住宅地の一角みたいなところでおまつりをやるのかといぶかしく思いながら400メートル。
ヤシの木が並ぶ公園(手前の「園」文字、四角の中に「エン」と縦に書いている!)
公園の隣に広場があり、
大行列!
ところで、静岡で早咲きの桜といえば、伊豆の川津桜が有名だけど、興津と早咲きの桜には、こんな関係がある。
日本から贈られてワシントンのポトマック河畔に桜が植えられたのは有名な話。ちょうど100年前の1912年のこと。
その桜(の一部?)は、興津の試験場で育成されたのだそうだ。
その時、アメリカへ送られずに余った苗木が、試験場内に植えられた。つまり、ポトマック河畔の桜の「兄弟」が興津にあるということになる。

品種名としては「薄寒桜」(寒桜としては花色が薄い)で、これを指して「興津寒ざくら」などと呼んでいるようだ。
現在は、興津地域の各所に同じ桜が植えられており、まつりの会場にも植えられているのだが、今年はまだつぼみだった。

そんなわけで興津と寒ざくらの歴史は古いけれど、「興津宿寒ざくらまつり」は今年で15回目で、まだ新しいイベントのようだ。
上記の通り、寒ざくらまつりを主催するのは「静岡市清水商工会」。
静岡市には「静岡商工会議所」があるが、興津地区は管轄外で別に商工会がある。(なお、蒲原や由比にも別に商工会がある)秋田市でも、雄和や河辺は商工会管轄なのでそれと似たような状況。

上の写真の行列はおしること餅の無料配布のようだった。
ほかにも、テントが並んで地元のお菓子などが販売されたり、ステージで郷土芸能などが披露され、とても賑わっていた。
花はまだ咲いてないから「花より団子」なわけで、そうでなくても花見より地元振興イベントの意味合いが強そうだったが、とにかく朝早くからこれだけ人が集まるのにびっくり。
JRのウォーキングのゴール地点にもなっていたようだが、由比駅での出発受け付けが8時半からなので、この時点ではまだ到着した人はいないはず。この後、さらに賑わったことだろう。

会場隣にきれいな建物があった。寒ざくらまつり関係者の控え室やトイレとして使われていたようだ。
静岡市興津生涯学習交流館
2004年にできたもので、清水興津図書館を併設。
覗いた感じとしては、秋田市の西部と北部の市民サービスセンターに似ていた。(行政窓口機能はないのかな)
「津波ひなんビル」
「津波発生時は2~3階に避難してください」とあるが、これは2階建てで、3階は塔みたいな部分だけなんじゃ?
それよりも、秋田市北部市民サービスセンターもまったく同じことなのだが、ここは海からとても近い場所。万一、大きな津波が来たら、2階だろうが3階だろうが、本当に大丈夫なの? と不安に感じてしまう。

「日本のまん中に おきつ がいた イメージキャラクター“あゆむ”」
検索してもよく分からないが、興津のキャラクターらしい。
興津川では、東日本でいちばん早く鮎漁が解禁になるそうなので、その関係だろうか。

あまりに人が多いのと、今、お菓子などを買っても荷物になるので、早々に退散。
細い道を通らなくても、交流館からまっすぐ国道1号線に出ることもでき、興津駅までの距離は同じ。
国道沿いのお店などでも出店やイベントをやっていたし、細い道は歩道がないのに車がけっこう通っていたので、国道を通ったほうがいいかもしれない。
なお、国道を興津駅と反対方向に進めば、マックスバリュ、清見寺、清見潟公園などがある。国道は清水駅からの路線バスが通る。

興津駅に戻って、試験場へ。
一般公開の出入り口は2か所あったようだ。興津駅のすぐ裏の正門と200メートル北東の角の門。
どちらも門のそばに踏切があるが、道幅は狭く、特に北東側は車が多く通る。
この日は、一般公開とJRのウォーキングに対応するため、踏切に誘導スタッフが何人も張り付いていた。警備員の服装の人はJRからの派遣だろうか。オレンジ色の「果樹研究所」のジャンパーを着た人もいて、試験場としてもかなり気合が入った行事のようだ。
駅からすぐのJAのスーパー「ふれっぴー」の角を曲がった踏切
踏切の先が試験場の門で、まっすぐ並木が続いている。背後には山。

踏切を渡って、試験場内へ足を踏み入れる。門にもオレンジジャンパーのスタッフがいて迎えてくれた。
並木道を進む
この木は、「モミジバスズカケ」。街路樹の「プラタナス」としておなじみの木。
プラタナスというのは、スズカケノキ科スズカケノキ属の植物の総称であり、固有の種名ではないそうだ。(「クリスマスローズ」と同じか)
日本でプラタナスと呼ばれる木はこの「モミジバスズカケ」が多い。モミジバスズカケは、スズカケノキ(ヨーロッパ種)とアメリカスズカケノキ(アメリカ種)の雑種。

試験場のモミジバスズカケは1902年に植えられたもので、試験場の開設当時を知っていることになるが、それだけでなく日本で最初に植えられたプラタナス
日本で植えられているプラタナスは、すべてここの木の子孫とのこと。
また、東大のイチョウ、北大のポプラと共に、明治時代に作られた「日本三大並木」だそう。


並木の先には、建物があり、その前が受付。
といっても、簡単な案内地図を渡されただけ。
順路に従って、2階建ての研修棟という建物に入る。小さい建物で、通路が狭い。見学者がけっこう多くて、やや混雑。
研修棟では、技術相談コーナーで農家らしき方が熱心に説明を受けていたり、研究内容のパネル展示などもあったけれど、噂に聞いていて楽しみにしており、かつ実際見て圧巻だったのが、「カンキツの展示」。
「珍しいカンキツ、新しいカンキツをじっくりご覧下さい。」とのことで、
 (再掲)
大きな机の上に一面にカンキツ類の果実が散りばめられて(ぶちまけられて?)いた!
これには、老若男女誰もが目を奪われていた。
しかも、
「持って、傷つけて香りをかいでね」
なんと手を触れたり香りを確かめることも可能。
ただし、研究用の果実であり、食べたり持ち出したりはできません。

並べられたカンキツ類は大きさも形も色もさまざま。リンゴではここまで個性的ではない。
何といっても色がきれい。
光沢のある暖色が目に鮮やかで、暖かくて明るい気分になる
いつの頃からか、こんな色合いを総称して「ビタミンカラー」というらしい。これを見て、そう呼ぶのもなるほどなと、感覚としては納得。
β-クリプトキサンチンを始めとするカロテノイド系色素によるものであり、種によって組成や量が異なることによるものなわけであるが、植物の進化の不思議さを感じる。

大きさもさまざま。
ピンポン玉くらいから、ヘルメットみたいなのまで
巨大なのは、ザボン(ブンタン)の一種らしい。
2.8キロ!

形もさまざま。
洋梨みたいないびつな形だったりゴツゴツだったり

でっかくてゴツゴツなのは、
「シシユズ(獅子柚子)」。ユズと同じように使えるらしい
上の写真右下に写っている、シュウマイみたいな筋の入った形の黄色のは「キクダイダイ(菊橙)」という種だと思われる。次回、紹介するかもしれません。

一部だけだけど種名を書いたシールが貼られていたし、試験場のスタッフがそばにいて聞けば説明してくれていた。

「紅まどか」
果樹研究所のもう1つの研究拠点である、長崎県にある口之津の試験場で20年ほど前に作られたブンタンの品種。重さは1キロ弱くらいとのこと。
ピンクグレープフルーツほどではないけど果肉が少し赤いから「紅まどか」なんでしょうね。白いところ(中果皮、アルベド)がずいぶん分厚い。
【4日追記】果樹研究所の公式サイトの「一押し旬の話題」というページで、紅まどかが1日付でアップされていた。
「糖度が高く、苦みが少ないので、食味は非常に良い」「長崎県でわずかに作られているだけ」「入手できた人は幸運ですね」とのこと。(興津では研究用にごくごくわずかに栽培しているのだと思われる)

こちらは、
はかりに乗っていた巨大なのと同じもの(たぶん)
これも果肉が赤くて、やや中果皮が厚い。で、種がすごく多い。
どんな味がするんだろう?

お言葉に甘えて表面を傷つけて香りをかいでみた。
どれもカンキツ類のいい香りはするのだが、たくさんかいでいると、よく分からなくなってしまった。

次回は、屋外の様子を紹介します。※次の記事は、旅行記ではなく動物・植物カテゴリーです。
※旅行記カテゴリーとしての続きはこちら
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩冬の風景/新信号機

2012-03-01 23:57:58 | 秋田の季節・風景
今日から3月。
2月中旬以降の秋田市は、寒さが弱まり(特に日中)、雪はほとんど積もらず、日に日に春が近づいているのを感じさせる。
昨日・今日は晴天で、朝は氷点下でも昼はプラス6度台まで気温が上がった。乾燥注意報が出されるほどで、春のような陽気。積雪は今日の夕方で20センチまで減ったが、平年値の倍あり、今年の雪の多さを物語っている。

道路の雪は、車道は大部分が消えて路面が出ているので、朝晩の凍結にさえ注意すれば問題なし。
一方、歩道と小路のうち、日当たりの悪い場所は、ツルツルテカテカ凸凹で、とても通行しづらい。
秋田市中心部の様子。
竿燈大通り(日銀の脇)
竿燈大通りは歩道も車道も乾いている。路肩の除雪されてできた雪山は、小さくなって汚れが目立つようになった。ある意味、晩冬・初春の風物詩。
日本銀行秋田支店前の大町東地下道が閉鎖されて、その中からホースが出て排水されているのは、今日現在変化なし。

ダイエー秋田店が入っていた「秋田ニューシティ」が解体され、駐車場とイベント会場になっている場所。
かつてミスタードーナツやダイエーの搬入口があった西側(茶町通り側)半分が、辻不動産の月ぎめ駐車場。
だいぶ埋まって平日は20~30台ほどは車が入っているが、まだ空き区画のほうが多い。
辻不動産のホームページの駐車場物件のところにも掲載されておらず、あまり積極的に募集していないようだ。いつまでも駐車場にしておくつもりではないのだろう。
じゃあ、何になるの?
昨年6月の話では、今年夏にスポーツ関係施設ができるとかいうことだったが…
 (再掲)夏の北西角ミスド跡

現在
イベント会場側の雪はそのままのようで、駐車場側だけ雪が寄せられ、空き区画である北側に雪山ができている。(現在は南側の日銀寄りに固まって駐車している)
雪山
路面は出ておらず、仮設の柵に番号を記したラミネートした紙をぶら下げて、駐車位置を示しているようだ。

旭川に架かる歩行者専用の「大町公園橋」(先代の名称は「さいわい橋」)。
路面の融雪装置(ロードヒーティング)が故障しているらしく、先日は、雪がもっそり積もって、人1人が通れるほどの幅だけ、除雪されていた。
 (再掲
それが現在は、
広い幅で除雪され、路面が出ていた
大型の車両が入って除雪したのだろう。
除雪車両・人員の手が空いてきて、こういう場所も除雪できるようになったわけか。
※その後の雪の減り方はこちら

でも、まだまだ手が回らない場所も。
中央通りの日陰の歩道
積もった雪が分厚い氷になっている。断面は厚さ15センチくらいある。
北都銀行本店の前なので、銀行側で一部分だけ氷を割って通行スペースを確保してくれている。
他の場所では、全面が氷の部分もあり、滑って怖い。実際に転んでいる人もいた。
中央通りの駅寄り
上の写真の右奥に、巨大な雪山ができている。かまくらが作れそう。

以前も触れた通り、秋田駅・中通周辺では、歩道を掘り返しての融雪装置設置工事などが複数箇所で盛んに行われていて、それがさらに歩行者を歩きづらくさせている。
再開発完成後じゃなく、今こそ循環バスを運行してほしい…

広小路と千秋公園「大手門の堀」
お堀は一面真っ白。


ところで、仲小路と市民市場前の通りが交わる、ゆうちょ銀行秋田支店前の交差点。
ゆうちょ銀行はこの左側。後ろの建物はアトリオン

 (再掲)アングルはやや違うけど、上の写真と同じ場所
おそらく、再開発の完成に合わせたのであろう、融雪装置設置や道路改良工事が行われており、それに伴って信号柱と信号柱が更新された。
従来は、秋田市中心部で一般的な茶色いものだったが、新しいものは、
銀色!
単なるグレーではなく、メタリックグレーというか銀色。秋田市内に設置される信号機では初めての色だ。
岡山市で銀色の信号機を見たが、岡山のよりは少し明るい色合いに感じた。
昨年末に設置された仲小路のLED街路灯の色とほぼ同じ色であり、統一感を持たせたのだと思われる。
現段階では、仲小路側の信号機は茶色いままだったが、新しい信号柱らしきものが立っていたので、こちらも近いうちに更新されるのだろう。

以前、明徳館ビル前の信号機が柱と本体がちぐはぐな色に更新されて、そのセンスを疑ってしまったが、今回の件を踏まえると、あれは仮設であり、再開発完成時までに銀色のものが設置されるのではないだろうか。


銀色の信号機も珍しいが、信号機の機能としても、秋田県では初めてに近いものが採用されている。
この信号機は「信号電材」製。秋田市内の信号機が更新される際、近年はかなりの確率で同社製のものに替えられる。フード(庇)は長いもの。
まずは車両用信号機について。
近年、他のメーカー製信号機では、LEDの粒を大きくし、正面以外の角度から見ても見やすいように改良した「面拡散型」とよばれる製品が出ていて、秋田でも設置されている。
信号電材からはそれに相当する製品は出ていなかったが、最近、やっと出始めたようだ。
信号電材の社長ブログ(http://shingo-d.jugem.jp/)の2月22日付の「192から108へ。。」から引用させてもらうと、
「2011年度下期から販売し始めたLED車両用信号灯器でLEDの素子の数を192個あったものから108個へ削減した製品」
「それによって平均消費電力を24%程削減(9.7VA→7.3VA)」
「更に見え方においては、従来タイプよりさらに向上させた優れものLEDランプユニットである。」
「素子数を44%程削減することで疎らに見えてしまう事の見え方改善の為に内部に特殊集光レンズを設け外側にカットレンズを装着することで今まで全方位に散らばっていた光をドライバー側に見えるように下方に集光させることで光のエネルギーを効率よく活用できることを達成した。」
などとある。

ここに設置された銀色の信号機も、おそらくそのタイプだと思われる。
分かりづらいかもしれませんが
肉眼で見た感じは明らかに従来のと違うし、LEDの数が少ない。
真正面から見ると、他社の面拡散型に似た見え方だが、角度を変えて側面近くから見ると、他社とは少し違う、なんて言うか透明感があるような見え方の気がした。

なお、最近更新された、ドン・キホーテ南の「山王五丁目」交差点の信号機(ボディの色は通常)も同じ製品。


そして歩行者用も目新しい。
待ち時間表示が一体化!
青信号になるまでの時間(=待ち時間)をカウントダウンする装置は、従来は信号機本体の横に、別に待ち時間表示機を設置するタイプであり、この交差点にもそれが設置されていた。(が、老朽化してLEDが一部欠けていた)

最近は、信号機本体に待ち時間表示を内蔵させた「経過時間表示付き」という製品があり、他県ではその採用が増えていて、青森県にもあった
警察庁では、2006年に経過時間表示付き信号機についての指針を各都道府県警に通達しているので、その頃からのことだろう。
※カウントダウンの数(8~10)や表示する位置については複数の仕様があるが、各都道府県内では統一することとしている

秋田県では、導入が遅れていたが、ついに設置されたことになる。
2011年11月製造
従来はなかった、
青信号の残り時間も表示される

※続きはこちら
2023年、秋田市の新たな信号機のボディカラーが登場
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする