広く浅く

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旧AD閉鎖?

2012-03-10 23:22:37 | 秋田のいろいろ
今日の秋田魁新報経済面(サイトにも掲載)によれば、秋田市大町二丁目の「イーホテルショッピングモール」のほとんどが、夏までに閉鎖されるとのこと。

当ブログでは何度も取り上げているが「イーホテルショッピングモール」の名称は秋田市民にまったく定着していない。
しかも魁の記事では、大町地区の商業施設についての解説で、向かいの秋田ニューシティにも触れていて、ややこしい。そこで、まずは大町地区(大町二丁目)の向かい合う2つの商業施設についてまとめてみる。
まず、僕が物心ついた1980年代前半の大町地区の地図。
上が東・秋田駅方向

次に、向かいのニューシティも含めた、名称や核テナントの変遷(Wikipedia等より)。
数字は西暦年。縦方向が時間軸で、上が過去

現在イーホテルショッピングモールがある場所は、以前は「本金(ほんきん)」という地元百貨店と「秋田名店街」という屋内タイプの商店街だった。
名店街は今のイーホテルショッピングモールのように東西に通り抜けられた。本金と名店街は建物は別だったがつながっていたそうだ。
秋田市広報課「秋田市写真館」より。在りし日の本金(奥)と名店街
本金は(西武でなく)西友と提携して「本金西武」となり、1984年に秋田駅前に「ほんきん西武」として移転。それが現在の西武秋田店。
名店街は1985年に閉店して、本金とともに解体された。
「秋田市写真館」より。閉店セール中の名店街の中(秋田市写真館には昭和61年とあるが60年ではないだろうか)
写真の通り、名店街は一部吹き抜けの2階建てになっていた。僕は1階はよく行ったが、飲食店などがある2階は数えるほどしか上がったことがなかった。

その跡地に1987年にビルができた。計画段階(?)では「新大町ビル」という名だったらしいが、結局「秋田大町第一生命ビルディング」という名が正式名称になった。
ビルは、11階建ての「秋田ワシントンホテル」と地下1~地上3階のショッピングモール「ファッションアベニューAD」からなるものだった。

ファッションアベニューADはその名の通り、ファッション系の店が多く、名店街と比べると庶民的でない感じがした。名店街にあった店の多くが撤退して、ADに残った店はあまりないらしい。

とはいえ、特に大きな変化がなく、20年が経過した2007年に変化があった。
ワシントンホテルが撤退し、「株式会社グローカル・ホテルグループ」の「イーホテル秋田」となった。同時に、ファッションアベニューADの経営権も同社が取得。
ここから、変化が激しくなる。

「中華街」作るという構想が出たが、それは立ち消え。
2009年には、向かいのニューシティに入っていた地元食品スーパー「ヤマト」が、AD地階に移転して来た。同時に、ファッションアベニューADの名前が「イーホテルショッピングモール」に変更された。
当時の記事でも書いたけれど、ファッションビルにスーパーが入ること自体ムリがあると思ったし、しかも唐突にショッピングモールの名前をろくな周知もせずに変更して、その理由付けもこじつけがましかった。しかもいつまで経ってもビル壁面の表示やホームページは「AD」のまま。

そして、2010年にヤマトが倒産し、地階はほとんどが空いたまま。
同じ年、向かいの秋田ニューシティも閉鎖・解体された。
「秋田市写真館」より。ニューシティ(左)と本金・名店街

 (再掲)現在のほぼ同じ場所
現在、イーホテルショッピングモールの経営はグローカル・ホテルなわけだが、所有者は別で「第一生命保険相互会社、株式会社藤木」となっている(公式サイトより)。「藤木」は地元の民芸品店でこのビルに店があるが、ビルの所有権はあっても、モール全体ではあくまでテナントの1つであって運営権はないということなのだろう。
イーホテルショッピングモールには、近年新たに辻兵の店や秋田観光コンベンション協会が入居したり、コミュニティFMのスタジオができたりしてはいるが、全体としてはテナントは減っていく中での、今回の閉鎖報道だった。

魁によれば、
「「グローカルホテルグループ」(東京、松本義弘社長)が、夏までに一部を除きモールを閉鎖するとテナントに伝えたことが9日、分かった。」
「「イーホテル秋田」(391室)はこれまで通り営業を続ける。」
「閉鎖対象はビルの地下1階~地上3階。現在、洋服店や喫茶店など約20店が入居しているが、商業用スペースの半分ほどが空いている。閉鎖後の利用法は未定。1階にある秋田観光コンベンション協会とビル所有権者が経営する工芸品店は業務、営業を続ける。」
近年「家賃収入が減少」して、「モールだけで年間約2400万円の赤字に陥っている。」「モールを閉鎖すれば(ホテル部分の)維持費を削減できる」
「社長は、年間約3500万円の固定資産税の軽減措置を市に求めて」いて、そうじゃなければ「冷房費がかさむ夏までにモールは閉鎖せざるを得ない」そうだ。
テナントも唐突な話で戸惑っているという。

記事の「1階にある秋田観光コンベンション協会とビル所有権者が経営する工芸品店は業務、営業を続ける。」の部分。
「ビル所有権者が経営する工芸品店」だから「藤木」ということになる。藤木とコンベンション協会は、どちらも1階の西側(ニューシティ跡地側)。東側のテナントは全部閉店だろうか。
現在は、定休日でも昼間は通路部分だけが開放されていて(店舗部分はシャッターが下りている)、通り抜けられるのだが、閉鎖後は東西の通り抜けはどうなるだろう。
地階の老舗コーヒー販売店・喫茶店「ブラジル」も閉店するのだろうか(ブラジルは駅前のフォンテ地階にも販売店はある)。モールとはつながっていないホテル側の1階に入っている、ファミリーマートの秋田事務所みたいなの(店舗ではなくオフィス)は、残るだろうか。

雪がだいぶ融けたニューシティ跡地からイーホテルショッピングモールを見る
個人的には、ヤマトが入ってADでなくなった頃から、このショッピングモールの方向性がなくなったように感じ、迷走しているように感じていた。衰退著しい秋田市中心市街地でもあり、正直、長続きしなさそうに思っていたから、この報道を見てもさほど驚かなかった。
そして、新聞記事で社長などが言っているような、市を頼るというのは筋違いだと思う。
中華街構想はあまりに突飛だったし、ヤマトの倒産が打撃だっただろうけど、その後、経営努力というか積極的な動きがあったのだろうか。傍からの勝手な見方だけど、守りに入りすぎていたように見えていた。こうなる前に、もっと何かできなかったのだろうか。


日赤病院跡地の再開発が完成しようとしているが、旭川の対岸の産業会館跡地、向かいの秋田ニューシティ跡地とともに、秋田市中心市街地の先行きはさらに見えなくなった。

ちなみに、市民に名前が定着していないイーホテルショッピングモールだが、僕の周辺では、高齢者でも「エーデー」と呼んでいて、「名店街」と呼ぶ人は少ない。
ある程度はADの名が浸透していたのと、「フォンテ」などと違ってアルファベットの最初のほうの2文字を並べただけだから、覚えやすかったのだろうか。
【11日追記】イーホテルショッピングモールを指して「本金」という人も少ない。これは、本金が駅前に移転した「ほんきん西武」→西武秋田店と混同されるおそれがあるのと、かつて本金だった部分は現在のホテル側なので、モールとは若干位置的なずれがあるからかもしれない。
なお、駅前の西武秋田店のことを「本金」とか「ほんきん西武」と呼ぶ人は、今なおたまにいる。

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コメント (2)
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