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最近の小学校校舎

2012-05-03 23:46:58 | 秋田のいろいろ
秋田市立学校の校舎シリーズ。今までの記事は昭和の校舎が多かったので、今回は新しい校舎を紹介します。
※例によって雄和・河辺地域については除かせてもらいます。

秋田市では、1961(昭和36)年の土崎中学校を皮切りに鉄筋コンクリート造の校舎が建設された。
当初は、木造校舎に対して「永久校舎」と呼ばれていたようだが、鉄筋コンクリート造(RC造)だけでなく鉄骨造(S造)の校舎も一部存在したようだ。(現在は、体育館などは別として、校舎本体がS造の学校はないはず前回取り上げた南中と東中の一部校舎はS造だった)

秋田市立の学校から木造校舎がなくなったのは、1991(平成3)年。最後の木造校舎は上新城中学校(2010年度末で閉校)だった。(ちなみにその1つ前は1989年の下北手中、さらに1つ前が1988年の高清水小)。
ちょうど30年かかって、「永久校舎化」が達成されたことになる。

その頃には、初期の永久校舎が老朽化してきたようで、1992年には土崎中、太平中、城南中などから建て替えが始まった。
“永久”校舎というわりには、30年で再度改築されて永久じゃなかったことになるが、当時の建設技術や耐震性能を考えると、致し方なかったのだろう。
市街地では、ドーナツ化と少子化で空き教室が増えて校舎を持て余していた所もあるだろうから、効率化の狙いもあったかもしれない。

それでは、21世紀の現在もなお、続々と鉄筋コンクリート校舎が建てられているかといえば、そうではない。
ここ10年ほどで、大々的な改築が行われたのは、小中合わせて5校ほど。

代わりに、耐震性を高める大規模改修が行われた。
例えば、1970年前後に建てられた、旭南小、土崎小、築山小などは耐震補強をした上で、築40年を越えて今も現役。
これは、耐震改修が必要な学校の数が多すぎて、全面改築では費用的に厳しいという秋田市側の事情があるのかもしれないし、あるいは1968年の十勝沖地震の被害を踏まえて1971年に耐震基準(建築基準法施行令)が改正されたので、以降に建てられた校舎は改修工事をするだけで充分だったのかもしれない。(逆に言えば、改築された校舎は耐震性能がかなり低かったのかもしれない)


今回は、ここ20年ほどの間に建てられた、4つの小学校の校舎を比べてみる。
紹介する以外では、浜田小と河辺の岩見三内小が最近改築されている。紹介する4小学校は秋田市立の小学校全体で3番目~6番目に新しい校舎となる。
(この間に中学校は秋田北中、山王中、御所野学院中、桜中が改築または新規開校している)

小学校では最後の木造だった高清水小が1988年に改築された後は、1990年に寺内小、1991年に御所野小がそれぞれ開校しただけで、改築された既存の小学校はなし。
小学校としての初めての永久校舎の改築となったのは、1993年の旭北(きょくほく)小学校。
「スカイプール」こと屋上プールがある。外壁の汚れが目立つのが残念

翌1994年には、牛島小学校。
こちらはきれいな外壁
旭北小と牛島小の先代校舎はどちらも1965年前後に建てられた。
旭北小の先代校舎はかすかに記憶にあるが、だいぶ古臭い印象で、市街地には珍しく2階建てだった。牛島小の先代校舎も、写真を見ると旭北小によく似た2階建て。
どうも、鉄筋コンクリート造りでなく鉄骨造だったようで、そのために比較的早期に改築されたのかもしれない。

その後しばらくは校舎建設がなく、桜中が開校した1998(平成10)年に保戸野(ほどの)小学校が改築された。

保戸野小の先代校舎は1963年頃築で鉄筋コンクリート造3階建てだった。RC造のためか、先の2校よりは長い35年ほど使われたことになる。

その後、1999年に御所野学院中ができた後、21世紀に入ると改築される学校はなかった。
2003年に久しぶりに改築されたのが、勝平(かつひら)小学校。
やや逆光です
1970年開校の勝平小は、これが2代目校舎。先代校舎は鉄骨造2階建てだったらしく、33年間使用。


以上4校の校舎はどれも立派で、時代にふさわしいけれど、古い秋田市立学校の校舎に慣れ親しんだ者としては、別の町の学校のような印象さえしてしまう。
それはともかく、比べてみると、似ているような点もあれば、違う点もあるのに気付く。

まず、これらの少し前に建てられた寺内小なども含めて共通点は、
・外壁が単色
→昭和末期の茶系統2色や1985年の土崎南小の白い壁に屋根だけエメラルドグリーンとは違う
(再掲)土崎南小
・「塔時計」がある
→Panasonic「電設資材総合カタログ」によれば、塔時計とは「建物の壁面に設置する大時計」のこと。時計塔・時計台の形式でなく、壁に設置されていても名前は「塔時計」。要は建物の壁面を文字盤として使い、壁に直接針が付いている時計。セイコーやシチズンでも「塔時計」の呼称を用いている。
上の写真の通り、塔時計はデザインは違うものの土崎南小で既に採用されている。【この後、2018年に土崎南小の塔時計は撤去された。また、土崎南小以前には、築山小の体育館壁面・グラウンド向きに塔時計が設置されている。】
以上2点は同時期に建築された中学校でも見られるが、以下2点は小学校だけだと思う。
・シンボルタワー的な構造物がある
・外壁にモザイクタイル(?)による壁画がある(寺内小ではレリーフ)

では、そうした違いを学校ごとに。
旭北小。
上のほうの写真で手前角に、展望台みたいな塔が、奥まった北側壁面には塔時計と壁画がある。
塔時計と壁画
時計の文字盤は12・3・6・9だけに数字が入るタイプ。この後の他校よりやや小さいサイズかもしれない。
壁画は暖色系の背景に、ヘンな色の提灯がぶら下がった竿燈を上げる子どもが描かれている。
旭北小は竿燈会場のお膝元であり、学校として竿燈に出ている。


牛島小。
道路に面した校舎北面、玄関の上に横長の大きな壁画がある。
校舎壁面(庇)に校名が表示されるのは、秋田市ではそう多くない
壁画は鳥と人とリボンがデザインされた抽象的なもの。学校のホームページでは「躍動感あふれる子供たちの姿を表したレリーフ」と説明されている。(←「レリーフ」ではないんじゃないでしょうか…)
タイルによるグラデーションがきれいで、北側壁面の有効活用にもなっていそう。
なお、外壁は全体にクリーム色だが、北面の一部だけ青っぽい色が使われている。

校舎の東端では、
残り2アイテムがあるけれど

これは何?
塔っぽいけれど、枠と屋根しかない。バルコニーでもなさそう。火の見櫓なわけはない。
下は、ちょうど普通自動車1台が収まりそうなスペースだけど、何の意味があるんだ? 「塔もどき」?

塔もどきの隣の高い位置に、塔時計がある。「時計塔」か?
いや、塔というより…
板に時計をくっ付けた、「時計塔もどき」? 文字盤は寺内小と同じ、数字のないもの。
校舎の端っこに時計があるっていうのはバランス的にどうなんだろう。時計のためだけに構造物を造ったようで、取ってつけた感がある。
玄関の上とか、せめてすぐ隣の塔もどきと一体化させることはできなかったのだろうか。

それ以前に、牛島小は校舎のすぐ前が道路であり、道の突き当りに学校があるわけではない。したがって、道路に向かって塔時計があっても、ほとんど役に立たない。道路と平行に両面あれば、登校する児童や学校前を通る人の目に入るのだが。


保戸野小。
保戸野小の校舎を南側などから見ると、色合いといいデザインといい、牛島小によく似ている。(保戸野小のほうは角が丸くなっている)
しかし牛島小ではバラバラだった3つのアイテムは、1か所にまとまっている。
正門からまっすぐの玄関の上
塔時計の時計自体は牛島小と同じタイプ。
壁画は旭北小と同じようなサイズ・タッチ。楽器を演奏する子どもと青い鳥とカタツムリ(1匹だけ)とウサギ。あまり保戸野小との関連はなさそう。(旭北小と同じく、保戸野小も竿燈に出ているのだけど)

そして問題は、それが設置されたシンボルタワー的なもの。
とんがり屋根の塔かと思いきや、角度を変えて見ると…
 
これも、牛島小みたいな、平らな板!
3階の屋上に三角形の板を付け、そこに時計を設置して、時計塔っぽく見せているのだ。
牛島小では板であることはあまり目立たなかったが、保戸野小は、大きさや周辺の状況の都合上、正面以外から見ると板であることがまる分かり。

裏のグラウンド側から見ると、
時計の駆動装置がむき出しで、板の梁(?)には雪が積もっている
NHKで放送されていたアニメ「ぜんまいざむらい」(原案・m&k)に出てきた、「見栄城」を思い出してしまう。(見栄っ張りのお殿様の居城で、立派な天守閣を描いた板を城下に向けて立てていた)

千秋公園裏側、明徳小裏の階段からも見える
明徳小-保戸野小-秋田テレビ本社はほぼ一直線上にあり、秋田テレビ本社の屋上カメラから千秋公園を見ると、明徳小の手前に保戸野小の裏側が見えてしまう。

保戸野小は菊谷小路から1本入った所にあり、菊谷小路から学校の正門~塔もどきがまっすぐに見える。
しかし、正門脇に学校のシンボルツリーである「ニレの木」(別名ニレケヤキと表示があるがちょっと疑問。たぶん標準和名ハルニレ、通称エルムという木だと考えられる)が茂っており、塔時計はほとんど見えない。
葉っぱがなくてもこの状態
無理して学校正面にタワーもどき・塔時計を造らなくてもよかったと思う。むしろ、小さい電気時計が2台設置されているグラウンド側(体育館の壁)にでも塔時計を作ったほうが、役に立ちそう。


最後に勝平小。
昨年度は日新小、桜小に次いで秋田市で3番目に児童数が多い小学校だった。
勝平小は秋田市の他の多くの学校同様、大通りでなく細い道に面している。さらに、校地周辺が傾斜地で正門付近が周りより低い。
校舎2階の高さにつながる部分もある
以前の校舎は知らないし、写真では伝わらないかもしれないが、現在の校舎は全体としてなかなか好印象。
敷地や空間を上手に使っているように感じた。圧迫感を感じず開放的な感じがするにも関わらず、だからといって開けっぴろげすぎず、周りと適度な距離感を保っている。明るくて、周辺の風景とうまく調和しているとも思う。

外壁は秋田市立学校としては珍しい、オレンジ色に近い茶色の単色。そして、オブジェのような塔がある。
1997年にできた県立秋田南高校の2代目校舎に似ているような…
これが秋田南高
比べてみるとそれほどでもないか。色あいも塔のデザインも違う。

勝平小へ戻ります。
タワーを横から
最上部は保戸野小のような板(平板でなく角度が付いている)だが、全体的に見ればもどきでなく正真正銘の「塔/タワー」と言ってもいいだろう。
タワー正面
タワーのてっぺんは、とてもとんがっている。尖端恐怖症の人は怖いかも。
塔時計と壁画はタワー周辺に配置。
壁画はやや凹んだ場所にあるため、正門付近からは下のほうが見えない。もうちょっと位置をなんとかならなかったかな。
時計の文字盤は1から12まで全部数字が入る。この位置だと、グラウンドからも見ることができるし、通行人も見られる。
壁画
壁画は、バラのアーチの手入れをする子ども、青い鳥、風船、そして勝平地区らしく風力発電の風車。


4つの校舎を比べると、最後の勝平小では洗練されていて、先の学校の反省を踏まえているのかなと思えるような点もある。
不思議なのは、壁画。牛島小以外の3校は、モチーフやタッチ(若干、気持ち悪い気もしてしまう)が似ているので、同じ人物によるものだと考えられるが、誰なんだろう。
個人的な意見としては、児童や地域にゆかりのある人の作品ならともかく、そうでもないのなら、壁画は必要ないように思う。


勝平小より後にできた、浜田小(2008年)と岩見三内小(2010年)は見たことがないので知らないし、この2校は郊外部の小規模校なので事情・方針が違うのかもしれないが、浜田小は写真を見る限り、壁画やタワーはなさそう。
秋田市内の中・大規模の小中学校において、大規模な校舎改築が行われることは、この先当分なさそうだが、次はどんなデザインの校舎ができるだろうか。

※1987年の上北手小学校校舎と2018年度の増築について

■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎集合煙突、最近の小学校校舎(この記事)
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※弘前市立学校の最近の校舎はこの記事最初

※秋田県立高校にも、塔もどきができた
コメント (7)
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