広く浅く

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校内の家?/138周年

2012-06-16 23:34:07 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部の住宅街にて。
「売家」
とある中古住宅が売りに出されていた。これだけなら、よくある光景。

でも、そのロケーションがとても変わっているのです。(この隣のお宅も含めて)
なんと、家が道路(公道)に面していないのです!
かといって、私設の道路や通路があるわけでもない。
じゃあ、どうやって家に出入りするのか?


学校の敷地を通って出入りするのです!
言い換えれば、このお宅は学校の敷地に向かって(=玄関が学校を向いて)建っているのです!!

正確には、学校敷地内の通路を、住宅への通路として使わせてもらっているといった感じ。校地と住宅の間には、芝生や生垣があるが、住宅の玄関前はそれが途切れていて道がついている。
※家自体は学校敷地外に建っているので、この記事のタイトルのように「校内の家」なわけではない
校舎と民家
学校と住宅の敷地どうしが隣り合っているというケースは多い。その中で、住宅の正面が学校側を向いているケースがあったとしても、間には校地とは区別された通路などがあるのが普通だろう。
でも、ここはまさに“学校の中”を通らないとたどり着けない家。(したがって、「売家」の表示があってもそれを目にする大人は限られている)
なお、このお宅の裏側には背中合わせに別の住宅がすき間なく建っているので、そちら側から道路へ出入りすることは不可能。

校地の角には人が通れる幅の小さな通用門がある。そこからすぐが、この住宅。正門は少し離れた場所にあるので、このお宅に用がある人は通用門を使うようだ。
左側まっすぐに民家がある
ただし、この通用門を通って登下校する子どももいるので、通路だけでなく門も学校と兼用ということになる。(民家と学校の玄関は方向が違うので、民家に出入りする人と学校の子どもの動線はいちおう区別されている)
また、車でこのお宅に訪問することは、物理的には学校正門から出入りして校地に駐車するか、通用門周辺に路上駐車すれば可能。でも、学校の授業・業務への影響や駐車禁止の狭い路地であることを考慮すれば、原則不可能だろう。


秋田市立の学校では、新しい学校ではフェンスなどで校地が明確に囲われた学校もあるが、古くからの学校ではそうとは限らない。
また、休日は門にロープが張られたり、用のない人の立ち入りを禁じる立て札があるところもあるが、比較的寛容なところもある。
保安面での問題があるし、一方で「地域に開かれた学校」が求められてもいて、さらに同じ秋田市内とはいえ立地や地域性の違いもあるだろうから、ケースバイケースなんだろう。少なくともこの学校の場合、一切の立ち入りを禁じてしまうことはできない。
この状況は、地域と学校がうまく共存していることの証かもしれない。


そんな学校は、市立保戸野(ほどの)小学校。
それにしても、どういう経緯でこんな風変わりな配置になったのだろう。学校が先にできたのか、民家が先なのか?
保戸野小の歴史を紐解くと、開校当初は別の場所にあり、現在地に移転したのは1888(明治21)年6月12日。秋田市の市制施行が1889年なので、その前年。今から124年も前のこと。

当時は「南秋田郡保戸野村」だったはずで、農村地帯と市街地の中間くらいの場所だったかもしれない。少なくとも、今のように住宅は密集していなかっただろう。
とすると、民家のほうが後からできたのではないだろうか。
あまり考えずに適当に分譲していたら道に接続しない宅地が余ってしまったとか、あるいは昔はもっと大らかで最初から校地を通路として使う前提だったとか、そんなことかもしれない。
【2013年12月22日追記】保戸野小の敷地には、以前は「愛宕神社」があったそうで、1922年に近くの諏訪神社に合祀されて「諏訪愛宕神社」となっている。したがって、1888年から1922年までの34年間は神社と小学校が同居していたと考えられる。この辺りも関係してくるかもしれない。


校舎は1904(明治37)年、1963(昭和38)年、1998(平成10)年に建て替えられ、現在地では現校舎が4代目。
2代目以前は知らないが、先代の3代目校舎は現校舎とほぼ同じ位置にあった。
ただし、当時は通路が砂利道で、芝生などもなかったように思う。また、メインの普通教室棟は中庭を挟んだ反対側にあり、児童数が減少した昭和末期以降はこちら側の教室を使っていたのは、1つの学年(3クラス程度)だけだった。(他には校長室や給食室があった)
現校舎では教室数が減ってコンパクトになったこともあり、すべての普通教室がこちら側に面しているようだ。


この中古住宅を扱う不動産屋さんのホームページでこの物件が紹介されていて、「子供好きな方におすすめ!きれいな校庭に面してます。」というコピーが付いている。
こういうのを「校庭」と呼ばないと思うし、「校舎に面してます」にしないと正確じゃない気がしますが…

詳細データでは、「築年数:不詳」だそうだが、少なくとも約30年は経過していることになる。
「カースペース:無(新設も不可)」「人の通行は、保戸野小学校の校庭を利用で可能。」「車輌は不可能につき、近隣で駐車場の確保が必要。」とあり、車の利便性が低い立地であることが伝わってくる。
個人的には、市街地に近いし悪い場所ではないと思う。おカネがあったら買ってもいいかも。

【9月7日追記】8月中旬の段階では、まだ「売家」のままだった。【10月8日追記】10月初めの段階でも、まだ「売家」のままだった。【12月22日追記】12月になっても、まだ「売家」で雪に埋もれていた。
【2013年9月23日追記】その後、久しぶりに覗いたら、買い手があったようで、以前と同じ状態で入居している模様。

学校の通路を民家のアクセス経路と共用している例は、他に市立港北小学校でも見られる。こちらは、校舎からは遠いグラウンドの隅であり、一見すると公道。



さて、そんな保戸野小学校は、明日・6月17日が創立記念日。1874(明治7)年創立なので今年で138周年を迎える。
この1874年6月17日というのは「保戸野小学校」としての創立ではなく、前身の「愛宕小学校」の創立日を継承している。1876年(月日不明)に「西廓小学校」と合併し、その時初めて「保戸野小学校」の校名となった。
【17日追記】今年は日曜日と重なったので開校記念日の休校がなくなって(振替休日にはしないだろう)、子供たちは残念なことでしょう。
※保戸野小の校舎についての以前の記事

お祝いに水を差すつもりも、いちゃもんを付けるつもりもないのですが…
僕は、保戸野小こそ、秋田市でいちばん古い小学校だと思っていた。それは、秋田市教育委員会が学校名を列挙する際の順番である「学校番号」が1番であるから。
しかし、実際には、保戸野小学校より古い秋田市立小学校が存在した。

秋田市教育委員会の「教育要覧」には、各学校の「創設年月日」が掲載されている。これが各学校の“公称”開校日だろう。
それを早い順に並べ替えると、土崎小(1874.4.25)、下浜小(1874.5.3)、旭川小(1874.5.25)、そして保戸野小。
したがって、秋田市で(現存する)いちばん古い小学校は土崎小ということになる。

明治7年には、保戸野小(愛宕小)開校後も、日新、太平、川添(旧雄和町)、川尻、上新城、浜田、広面、種平(旧雄和町)、大正寺(旧雄和町)と、続々と小学校が開校している。(ちなみに日新と太平は7月7日開校なので、7・7・7のゾロ目)現在秋田市にある小学校のうち、13もの学校が開校していた。
翌明治8年にも10校が開校しており、つまり現在の秋田市の小学校の半数以上が既にあったことになる。
我が国の小学校制度は1872(明治5)年の学制発布で始まったわけだから、当時の秋田において、その2年後から続々と小学校ができていったとは、意外に早い。


ところで、市立築山(ちくざん)小学校は、以前も触れたように「築地小学校」と「楢山小学校」の2校が統合して開校した。
その創設日は、1883(明治16)年11月1日。これは、2校が統合して築地小【19日訂正】築山小が発足した日のようだ。
また、日新小の7・7・7も新屋学校と表街学校が統合した日を創立日としている。

保戸野小では前身の学校の創立日を創設日としているのに、日新小や築山小は現校名になった日を創設日としており、統一性はない。
例えば、形式上、前身校を存続させて改名したか、前身をいったん廃止して新規開校扱いとしたのか等何らかの違いがあるのかもしれないが、大昔のことだから大らかだったのかもしれない。

ごちゃごちゃ書いたけれど、100年を越す長い歴史においてわずか数年の違いだし、古いからっていいもんでもない。
保戸野小はじめ、明治初期に開校した小学校はどれも「秋田市でいちばん古い小学校の1つ」ということでいいでしょう。



最後に、「学校番号」の順番は「開校した順番」のほか、「所在地が秋田市に編入された順番」も加味されている。
明治7年開校なのに土崎小が10番、下浜小が29番などと後回しになっているのは、そういう理由があるようだ。
※当記事の学校番号は昨年度のもの。昨年度で18番の山谷小が閉校したので、今年度は以下の番号が1つ繰り上がっているはず。

保戸野、明徳、築山、旭北、中通、旭南と、明治時代に開校し、かつ秋田市中心部にある学校が6番まで連なり、7番の牛島小から30番の金足西小まで昭和前半までに秋田市に合併した地域の学校が続く。
以降は、地域に関係なく開校順になり、31番の八橋小(昭和48年開校)から38番の御所野小まで。39番以降が2005年に秋田市に合併した旧河辺町、旧雄和町の順で45番まで。

■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎集合煙突最近の小学校校舎、校内の家?/138周年(この記事)
※次の記事はこちら

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7 コメント

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Unknown (taka)
2012-06-17 16:39:12
2001年の大阪教育大学付属池田小学校の無差別殺傷事件以来、地域に開かれた学校が安全を重視する閉鎖された学校へとなったことは賛否はあろうかと思いますが、私の近辺の小中学校で保戸野小みたいにオープンの状態になっている学校はありません。公道に面していなければ、原則的に家の新築、改築はできないので、学校敷地内に昔からの里道などが存在しているのかもしれません。杓子定規的に言うと変則的な状態を放置している行政の怠慢です。
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なるほど (taic02)
2012-06-17 21:31:51
この並びのお宅は、どこも昭和時代に建てられたはずで、だいぶ古いようです。昔からの馴れ合いみたいなのでそのまま来てしまったのでしょうか。
校舎改築時に通路を区分するとかすればよかったのでしょうね…
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全く違う話題ですが (住民)
2012-06-18 20:16:53
卸町のカネタ跡地に秋田銀行卸町支店が移転新築するようです。コジマ隣にあるよりも場所がわかりやすくなり、良かったです。サンクス隣にATMがありますが、どうなるのでしょうか。
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秋田銀行卸町支店 (taic02)
2012-06-18 22:31:03
7月17日に支店が移転するんですね。北都銀行茨島支店の向かいで住所としては茨島ですか。現在あるのは秋田銀行の「茨島」ATM出張所。
代替として卸センターにATMを新設するそうですし、茨島のほうのATMコーナーは廃止でしょうかね。

それにしても秋田銀行さんは外旭川支店も新しくなったし、支店改築が盛んです。
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むむむ。 (n.waka)
2012-06-19 08:02:35
売り出されてるとなると、気になりますねぇw
子どもを我が母校に…

でも、小学生のうちから、ギリギリ登校のクセがつきそうだし、明らかにたまり場になるよねぇ(^_^;)
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Unknown (アポロG)
2012-06-19 18:25:02
カネタは茨島の加賀谷書店の隣に出店するそうです。求人の張り紙がありました。
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コメントありがとうございます (taic02)
2012-06-19 23:33:24
>n.wakaさん
お手頃価格だと思いますのでぜひ(笑)
中学校は山王になりますけどね。

ここの場合、忘れ物した時とか、大人は選挙の投票が楽そう。
学校にしても職場にしても、近すぎるのは考えものですけどね…

>アポロGさん
ニューライフカネタが、卸町側からイオンタウンへ移転ということですね。
イオンタウンのあの場所もいろいろ店が変わりますね。
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