田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

現金主義

2017年12月26日 | 日記
 青色申告の私は現金主義による所得計算をしています。事業といっても私一人の仕事、扱う金額もサラリーマンの年収以下。現金主義だと、手持のお金を容易に知ることができ安心です。食うに困ることがないように蓄えはありましたが、蓄えを崩すようになると、仕事がいつまで続けられるかの目安がたちました。ギリギリでしたが、世間一般の定年の年齢まで仕事を持続できました。

 この程度の安心はいかにも現代的じゃないと思いますが、ローンとか借金を避けてきた私です。しかし近頃はクレジットカードでの買い物をします。語源は「短期借入れ契約」とか「信用販売」のことだから、借金での買い物と対して違いません。しかし起業となりますと、マイナスからの出発は、よほどの先見性が無い限り危険なことに変わりありません。
 
 先日クレジットカードのICメモリが壊れ、再発行の手続き中、IDカードを強く勧められました。送られてきたカードを昨日初めてマクドナルドで使いました。聞いていたように、スマホをかざすと同じように支払いできました。チャージの必要が無く、クレジットカードのようにレジで手渡す必要もありません。紛失さえしなければ、少額の買い物にはとても便利です。
 
 最近、中国のスマホ決済が良いかのような記事を読みますが、レジも読取機も無い露店で、QLコードをスマホで読み取って、支払う金額を入力すれば済む支払いが安全なのか疑問です。お店側の設備の必要が無く、偽札の多い中国の苦肉の策なのではないでしょうか。
 
 マクドナルドなら、現金、クレジットカード、マックカード、IDカード、スマホ支払い(まだ見たことがない)と支払い方法を選ぶことが出来る日本が遅れていると言われる理由が分かりません。もう少し勉強が必要なオイラです。

電話番って?楽しい?

2017年12月25日 | 日記
 電話の文化は変わった。重要な電話は携帯で人から人へ直接つながる時代になった。悪いことではない。電話交換機とか交換手は死語だろう。
 
 確かに大企業の代表電話は全国からかかるだろうし、カスタマーセンターが独立していることは当たり前だ。代表電話に着信すれば、音声によって振り分けられ、目的の部署に導かれるだろう。そこにアルバイトを配置しても悪くはないが、面倒な意見をひとまず排除しようとする魂胆が見え隠れしている。
 
 先日某新聞社の選挙アンケート調査の横着さに腹が立った。新聞社が行うアンケートだが、実際の調査は24時間の電話代行サービスの下請け業務だ。その電話代行サービスの横着とは気付かず、てっきり新聞社の人間と思い込んだ私だった。
 
 事情を知って新聞社の担当窓口を聞き出した。電話をかけて苦情を言えば、コメツキバッタのごとく謝リ、最終的には『私、アルバイトですので・・』アルバイト君を叱っても仕方がない。担当責任者の名を聞き出し、苦情のあらましと不快な理由をしたためたメールを流した。
 
 メールの返信は、新聞屋にあるまじき悪文だったが、それはさておきアンケートの正当性の屁理屈を押し付けられた。文末に、二度とこのようなアンケート電話がかからないように手続きするので、私の電話番号を知らせて欲しい旨の電話番号が記されていた。電話をすれば「はぁ、何でしょう?」とノーテンキな返答。オイラの用件が伝わっていない。もしかしたら・・「君ってアルバイト?」と聞いたら「はいアルバイトです」って。
 
 働き方改革が叫ばれているけど、改革する働き方とは、残業せず、パワハラ・セクハラが無く、最低賃金を守った時間給を得ることなのかなぁ?。私は違うと思う。
 
 命を縮めるような悪労働環境は、きっと上司のパワハラがあったり、個人の行き過ぎた虚栄心が身の丈以上の仕事を抱え込んでしまうからじゃないかな?。会社の小さな歯車であっても、社員の皆が、一つ一つの歯車の大切さを知っている会社で働くことは、辛くても楽しいことだ。そのような会社はたくさんあると思う。だってオイラはそうだった。

元気出しなよ!

2017年12月24日 | 日記
 大学の後輩、職場の後輩であるKさん(私より4歳年下)からクリスマスプレゼントが届いた。手紙が入っていたが、隙間なくギッチリ書き込まれた文字は昔のままの見慣れた字だが、心が弱っているように感じた。それとなく元気づけられる写真絵手紙を書いた。
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 クリスマスプレゼントありがとうございました。孫達も大喜びすると思います。これからはお気を使わないでください。便りがうれしい、私68歳、妻66歳です。孫は一姫二太郎の二人、姫は○っちゃん、先月で三歳、息子はShowこの春に生まれました。
 
 私達の長女、○子は子宝に恵まれませんでした。貴女が会社を辞め、私の住むアパートを訪ねてくれた頃、三、四歳でした。確か童謡のレコードや絵本を頂きました。そんな娘が四十路を過ぎ、ネット塾の添削講師で引きこもっています。私の出不精が遺伝しました。

 ところで娘は貴女と同じ□□高校、夏の制服に憧れ入学したらブラウスだったと、たいそう怒ってました。その後G大学へ進学、望んだ教師にはなれず受験塾講師を経て現在に至っています。

 息子は「姉ちゃんが国立なら俺だって」と一浪の後T大学、二度ほど転職し、今は落ち着いた様子の二児のお父さん。娘はI市、息子はN市○区に居を構えています。近くなのに、合うのは年に一度か二度。私達は孫に会いたいのですが、合えば会ったで可愛いから、つい遊びすぎてしまいます。いわゆる孫疲れを発症するのです。
 
 孫のつぶらな目で「ジイ遊ぼ」なんて言われたら、翌日の腰の痛みなどついつい考えず、二日後の筋肉痛に後悔、ヒイヒイです。今度の大晦日一泊するらしいので、体力を温存している二人です。

 妻は旅行好きです。出不精の私、近頃は小旅行には付き合うようにしています。ことし6月、平泉中尊寺二泊三日の温泉旅行に行きました。梅雨時の旅行、雨は覚悟していましたが、新幹線に4時間も閉じ込められました。鳴子温泉には8時過ぎの到着。でもそれが一番の思い出です。

 9月、日帰り旅行。昔写真を撮った場所で写真を撮るのが、あらたに始めた二人の遊びですが、40数年前の場所が見つけられません。見学した日下部邸では、受付に写真を見せても場所が分からず、あきらめて帰ろうと立ち寄ったトイレの前で発見。おもわず日下部の女将さん、お嫁さんらしき人にも報告、お茶をご馳走になりました。

 思い出と言えば、昔からのアルバムの断捨離を決意。写真を捨てるのは偲びなく、断捨離まえにパソコンに取り込みました。特に顔が写っている写真を選び、風景写真は断捨離。数枚をスキャナで読み取り、パソコンに納めました。今のところ、一部をクラウドに保存、子供たちが見たければ・・・と。
 
 思い出は大切ですが、子供たちの重荷にならないようにと処理した私達です。所々の写真は、できたてホヤホヤのアルバムデータです。妻以外初めての公開です。懐かしんでね~。

 思い出といえば、私は68歳になって知ったG市の駄菓子です。マンションの階上のお婆さんが「私ゃこれが好きでね、珍しくもないが」って下さいました。私と妻は知らなくって珍しかった。先日までヘルプ依頼のアルバイトで復職していた妻が「送ってあげよ、地下に売ってる。早く手紙書きなよ」とのことでした。では、ご家族様によろしくお伝え下さい。お元気でね。

落ち葉の始末

2017年12月23日 | 日記
 17日は団地の外掃除、今年最後の外掃除でした。そこで気になる注意があったそうです。団地にはケヤキの巨木が十数本あります。落葉樹ですから、夏の日陰、冬の日照と私達は恩恵を享受していますが、落ち葉をとても嫌う人もいます。私のように1階でケヤキの下に庭がある戸などは、落ち葉に埋もれてしまいます。私は落ち葉で敷き詰められた歩道が好きですが、滑りやすく高齢者には危険です。それは十分理解しています。アベニューは並木道、だったら落ち葉の舞い散る・・・も悪くないと思ってしまいます。
 
 落ち葉を嫌う人は庭のない階上の人が多いです。嫌う理由は「見苦しい」「掃除をしない」とか。私は単なるいびりだと思っていました。さて気になる注意とは、『個人の庭の落ち葉を捨てる時は、団地外掃除の前日に出すこと』って・・一ヶ月に一度しか出せない。一体誰がそんなことを言い出しの?。
 
 どうも市役所のごみ収集員が、落ち葉を回収するのを嫌がるらしいが、市は堆肥を作るのに助成金をだしている。だったら落ち葉回収をしても良さそうだと思うし、市内でも有名なケヤキ大通りの落ち葉はどうしてるのだろう?。考えだしたらきりがない。、市役所に聞いても「落ち葉は生ゴミ」と言うに決まってる。まぁ、ゴミを集める人は少しでも少ないほうが良い。だから少しだけわがままを言うのだ。しかたがないねぇ。そのうち言ったことも忘れてしまう我が団地です。

無断キャンセル

2017年12月22日 | 日記
 無断キャンセルが多いらしい。店は困るだろう。昔の話だけど、サラリーマンも慣れた頃に宴会幹事や社員旅行の幹事を仰せつかった。当時の会社の多く、宴会は会社負担。取引先の忘年会に招待されれば、それなりの祝儀を出すのが常識、祝儀は会社持ち。出ればその仕事関係で接待を受けることにもなる。二次会三次会でお酒以外の接待もあった時代だ。下戸で新婚のオイラは困った。
 
 招待客が多い忘年会、社員は面白みが無かった。忘年会は日頃疎遠な総務のお姉さん、お局様、お嬢様たちと話す絶好の機会だった。もちろん二次会に誘うのも良かった。だからかもしれないが忘年会の会場決めは大変だった。会社の仕事上の付き合いもあるだろうし、会場が大きいと複数の忘年会があり、会いたくない人、合わせたくない人のバッティングが無いとも言えない。若い人は二次会が楽しみだろう。近場に安い店があるだろうか・・。幹事の腕の見せ所だった。不思議と社内恋愛の多くは寿退社だった。
 
 今は不評だが、忘年会は和室が中心だった。料理は懐石、味にうるさいお局様もいた。もちろん上座や下座の席順も重要だった。下戸の私は良かったが、幹事は飲めないか、酔わないかのどちらかだった。
 
 予約は大切、手練手管な女将と席料を決めねばならぬし、女将は社内の重役と顔見知りが多く、好かれれば良いが嫌われれば最悪。これを乗りこなしてこそ、晴れて幹事になれたのだ。近頃はこんなことも代行サービスがあるのだろうな・・・どちらが良いのか分からない。
 
 ま苦労の多い幹事だったが、終えればご苦労さんの会で慰労されたし、女将さんと仲良くなれれば、安サラリーでは絶対に上がれぬお座敷も上げてもらえたものだ。
 
 ここで絶対にしてはならぬことは、キャンセルと参加人数だった。大きな宴会だと、少々頭数が違っても飲めるし食える。赤の他人が紛れ込んでいたなど聞いたことがあったが、店は何らかの方法で数えている。当日の朝「○○名よろしくおねがいします」とか「申し訳ありません。○名追加です」などと連絡していた。そして、店や女将の信用を得れば、相当無理な注文も聞いてもらえた。昔の話でした。おしまい。