田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

相撲あれこれ、愚痴

2017年12月21日 | 日記
 昨日(20日)大相撲理事会、横綱審議委員会のニュースを見ました。「そうだ!その通り」と大いに納得できたのは、横審の『横綱のありかた』の部分です。相撲素人の私も妻も、常々「白鵬は横綱らしくない。格下の力士に張り手で勝って嬉しいのか!」といつも愚痴ってました。
 
 二年ほど前、解説舞の海氏が「横綱(白鵬関)は若干力の衰えが見えます。若手の活躍が期待できます」と話した。それを聞いたらし白鵬関がひどく腹を立てていたと聞きました。舞の海氏がいつも言う『後の先』こそが、横綱相撲のあり方なんでしょう。これができなくなった時こそが、引き際の花道を意識するのが大横綱の宿命なんです。後の先より張り差しは見たくない。
 
 今は亡き横綱千代の富士(九重親方)が現在渦中の貴乃花親方の貴花田時代に敗れました。土俵を割った千代の富士関は勝者を称えるような微笑みを見せました。勝った貴花田と清々しい千代の富士に万雷の拍手でした。千代の富士の引退を誰しもが予想したような清々しさでした。大声で「カッケー!!」と叫びたいほどでした。
 
 多分に相撲興行界は「大いなる嫉妬」のうねりの中にあると思います。強かった力士も、そうでない力士も親方になれば同じであるとばかりに、多数決の論理に振り回されます。偉大な精神性を求める『道』であることは、親方になっても求道すべきだと思います。もちろん平幕で終えた力士も素晴らしい人がいます。
 
 若い貴ノ岩の発言「他の力士や地元高校の関係者らの面前で、一方的に多数回にわたり暴行をうけたので恥ずかしかった」と聞きました。今まで誰も予想もしなかった発言です。このように聞けば、誰もが分かる言い分です。会社人間が自分の家族の前で叱責されたら、恥ずかしさで見が縮むでしょう。また上に立つものは、決して人前で叱らないのが上に立つ者の常識です。
 
 自分の子または家族が、このような暴力や辱めを受けた場合、誰でも家族を守ろうとするはずです。同席していた高校の関係者は、昔の生徒をかばうのが教育者としての最低の努めです。このことは罰を受けるほどではありませんが、仮にも『道』を教育する部活動であったならば、潔く身を引いてこそ『師』であります。横審はそこを意見すべきでした。そして、それを受けるのが教育者であり、昔の武士道のいう『切腹』なのです。