田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

エルサレム事件

2017年12月08日 | 日記
 ネットの記事を読むとき、記者が書こうとする人物の称号で、記者の政治的な立ち位置が判ってしまう。首相に批判的な記者は『安倍氏』と呼ぶことが多い。ひところ盛んだった国会前のデモ隊のシュプレヒコールを省けば、さすがに呼び捨ては少ない。
 
 しかし、アメリカ大統領のトランプさん、就任一年になろうとしているが、多くの記事は『トランプ氏』と大統領と職名が付けられていない。私もなぜかトランプ氏とかトランプさんと書いている。就任当時から、ただなんとなく大統領と認めたくなかったかもしれない。理由を聞かれたら「なんだか、乱暴者みたいだから」なのだが、今回のエルサレム事件がそれを物語っている。
 
 一つの宗教を頑なに信ずる者に、その信教を犯すような事が起これば、必死に抵抗するだろう。我が家の宗教である神道、私は頑なに信じているわけではないが、神社の鳥居に立ち小便している者を見つけたら110番するに違いない。仏式のお葬式では、しのび手であろうが手は打たない。数珠は持たねど、仏式に沿った焼香をする。決して日和見ではなく大人の付き合いなのだ。
 
 宗教のない共産国家である隣の大国は、小島であっても核心的利益を主張し、決して手放すようなことはない。どちらの国であろうが、領土として国有化を宣言すれば大ごとになる。仮に地主の名義が個人から、東京都になったとしたら、これほどまでに大事にはならなかった気がする。さすがの元都知事も、灯台を建てる論議はしただろう。『寄付頂いちゃったから、灯台か防波堤を造らにゃならぬ』『環境調査で良いんじゃね?』『海上保安庁の巡視艇で良いんじゃね?』等など、いわゆる大人の対応をしたであろう。
 
 エルサレムも、今まで大人の対応でノラリクラリと平和を保ってきた。トランプさんが、アメリカ議会の古い決議をいまさら追認すると公言したのは、そろそろ己の立場に不安を感ずるようになったのではなかろうか?。残念だが、そこんところを隣の小国に見透かされているような気がしてならない私なのだ。