田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

粗大ゴミ

2013年10月21日 | 日記
 9時を過ぎた。ゴミセンターにTELするが話し中だ・・。今日は粗大ゴミの持ち込み予定。持ち込めば収集を願うより半額で済む、持ち込みを利用している。持ち込み料金の分からぬ物もある。布団は100円、羽毛布団はいくら?、同じだろうか?。
 やっとつながる。中年過ぎの女性の声。今までの電話対応は好印象の女性が多かったが、今日の女性は高圧的だ。ま、役所の吏員だから仕方がない。何を入れても良い袋は200円、高圧女性は「片手で持てる重さ。」と条件をつける。「無理すれば片手で持てるが、袋は破れる。」と思いながらも『はいはい』と答える。車の後部座席を折りたたみ積み込んだ。心配したが、まだ余裕はあった。一番重いのはフロッピーディスクを入れた袋だった。

 市内三ヶ所ある処理場、いつものA処理場へ行く。本来のこのシステムは、粗大ゴミを自宅の前やゴミステーションに出すのだ、料金は券を最寄のスーパーなどで購入し、粗大ゴミに貼っておけば回収してくれる。持ち込みは予約が必要、手間はかかるが半額なのである。
 処理場は山の中にある。トンネルを抜け、曲がりくねった道を走り、道路に大きく『→粗大ゴミ』と書かれた表示に沿って走る。最後の急斜面を上がれば屋根付ヤードがある。市の係員が一台につき一人付く。といっても、たいていは一台しか持ち込み者はいないのだが、今日は珍しくもう一台いた。「バックオーライ、オーライ、ハイストップ。え~っと、はい田神様、今日は布団が主ですね。」電話予約が届いているみたいだ。
 妻が荷物を持ってカゴ車に乗せようとすると、若い愛想のよい男の子が「あ、お母さん、僕やりますから見ててくださって結構です。」だってさ。オイラが重い重いフロッピで一杯の袋を両手で持ってヘロヘロしてるのにさ。「お父さん、オイラがやるって言わないのかい?。」と若い男子をからかえば「エヘッ、スンマセン」」だってさ。明るい市役所吏員だ。気分が良かった。
 「お帰りはこちらへ、お気をつけて。」ダッシュで案内してくれる。こちらもつい急いでしまう。そんなに急ぐこともないのに。粗大ゴミ持込無事終了。
 帰り道、婆さまの施設に洗濯物を届ける。お昼ごはん1時間前だったが、テーブルに座らされていた。歩くのがやっとの人や、車椅子の人が多い、全員を目に付く場所にいさせたほうが介護しやすいのだろう。みなさん静かに座って、食事を待っていらっしゃった。婆さまは「ここが落ち着く。」と一番端のテーブルに一人でいた。「午後は仕事だから午前に来た。忙しいので早く帰る。」と言うと、嬉しそうに「そうだな、仕事が第一だ。そんなに来なくても良い。」と言ってくれた。


2013年10月20日 | 日記
 私は縁起はかつぎません。物事にはすべて道理があると考え、理解不能な事象を神秘体験で片付けてしまうのを好みません。じゃあ新聞の占いなど読みもしないかと言えば、たまにですが読みます。書いてあることの良いことだけを選んで、無邪気に喜んでいれば良いと思います。
 さて虹を見るとなぜか幸せを感じますね。縁起なのですが、それでも見ることが出来たからラッキーとか、運が向いてきたとか、良いことが起こりそうに感じます。
 いまだに続く福島原子力発電所の事故を思うと気分が滅入ります。原子力発電に関しては、積極的に意見を言うことはありませんでした。発言の場所が無いことと、発言するにはあまりに無知だからです。小出先生の話を聞くにつれ、人間が操るにはあまりにエネルギーが大きすぎることを知りました。ならば扱えるほどのエネルギーに縮小した発電所を作れば良いと、素人の私は思うのですが、そのような物を作ったとしても、経済的に成り立たないらしいです。大量生産で安価な品物を造る理屈がこんなところにも影響してるのです。でしたら、安い物より安全を選ぶべきだと思うようになりました。
 その場しのぎにしか思えない原発の事故対応に、いったい誰がいつ本腰を上げて立ち向かってくれるのでしょう、とても不安になります。そんな日本でありながら、五輪決議は衆参一人の反対があったのみで決まったそうです。反対者は山本議員だったそうです。その良し悪しは別としても、世界中から日本に来てくださる人に、ぜひ福島を見ていただきたいのです。取材の制限をしないで、完全な防護服を貸し出し、ジャーナリストの方々には危険をおかしてでも、事故の実態を世界中に知らせしめてほしいと思います。2020年です。私は「日本があの事故を収束させた。」の見出しが世界中に発信されることを期待します。そのために政府や国会や企業を応援したいのです。

 昨晩福島第一原子力発電所のライブカメラを見ました。レンズのハレーションであることを充分承知ですが、二重の虹が写りこんでいます。虹は縁起物です、私は幸運を期待したいのです。ガンバレ日本!!!。


血圧が・・・・・

2013年10月19日 | 日記
 6月に届いた検診表、メタボ検診に行ってきました。検診は10月まで有効です。春に尿酸値が高くなり薬を飲み正常値、Drから「半年後に血液検査をするように。」と言われていました。メタボ検査項目に尿酸値があります。
私は病院には出来るだけ行きたくありません。痛いのには弱いです。それと白衣恐怖症らしい。いままでに血圧が正しく測れたことは一度もありません。
 昔、先輩の父上が手術となり、血液の提供を依頼されました。検査採血のさいもかなり緊張しました。看護婦さんが近づいてくると、心臓がバクバクしました。血液に異常なしで合格し、手術前に社の先輩ニ、三人連れ立って、血液提供に行きました。先輩の一人が忙しいとやらで、一番に採血を申し込んだのですが、採血後に貧血で倒れてしまいました。それを目撃してしまい、心臓は早鐘のように高鳴りました。逃げようは無く、ムチムチの白衣を着た美人看護婦さんに手を握られ、失神しそうでした。緊張のあまりの脇汗を看護婦さんに発見され「あれぇ~?もう一度血圧測ろうか?。・・・・え~っ!こんなに高いのぉ!先生に診てもらいますぅ~。」で、オイラはもうパニック。Drは「ふん、怖がってるだけでしょ、痛くないですよぉ~。」で、採血は無事終了しました。いちばん貧血を起こしそうなオイラだったので、ソファーでゆっくりさせてもらいました。先輩のお母さんや、姉さまからお礼を言われ「何か飲み物を買ってきますが、何がよろしいですか。」と問われ、私はトマトジュースを頼みました。ソファーでそれを飲んでいたら、先輩達がギョッとして見てました。血液を抜いたので、補填にはトマトジュースが一番のような気がしたのですが、悪趣味でした。同僚の父親の手術は無事終了、とても長生きをされました。
 それ以来、健康診断ではいつも血圧でひかかります。かかり付けのDrが血圧を測っても高く出ます。二度三度目に値は下がります。Drは「高いままだったら薬を飲んだほうが良いけど、この程度なら、薬はまだだね。」
 さてメタボ検診で、看護婦さんが計ったら「え~っ・・・もう一度計りますね。」これを聞いただけで、早まっていた動悸がさらに早まる。「あ、心臓がドキドキしてます。」検診場には患者さんがチラホラだったので「実はぁ、白衣恐怖症なんです。」と白状しました。三度目でも160の高血圧でした。しょんぼりして帰宅。
 意を決して、2年前の妻からのプレゼントの血圧計を取り出し(見ただけで心臓がトキトキ)電池を入れて、測定しました。最初はオイラもビックリの高値・・・・・二回目で148-91でした。何度も計ったら、140前後、90前後でした。看護婦さんが「手首式は少し高めに出るようですよ。」と教えてくれました。メタボ検診の結果は1ヵ月後だそうです。そのときもう一度測定してもらおう。白衣恐怖衣装を克服したい六兎です。おしまい。


ルドゥーの絵を見て思うこと

2013年10月18日 | 宗教その他
 ルドゥーは、風車だったか、もしくは城の塔に閉じこもって、このような絵を描いていたと聞きました。たくさんの絵を見たのではありませんが、モチーフに球が多いように思いました。球と云えば、高校時代を思い出します。『心配ある事情』は球の表面積だったなぁ。体積は『身の上心配あるの惨状』ともに『心配』が入ってます。
 さてさて、私が思うことを書きます。とてつもない大きくて、重い球体があったとします。球は形の特徴で、支持する面に一点でしか接しません。その一点に全ての重さが集中します。重量を支える一点で割る、すなわち0(ゼロ)で割りますから、支持面には無限大の重さが載ります。支持面はどんなに丈夫でも凹みます。凹めば面積が生まれますので、支持できるようになり安定します。
 それで私が思うことは、とてつもなく大きて重い球体は社会全体であったり、一国の経済であったり、一つの宗教と考えてしまうのです。安定しているかのように見える球体もギリギリの面積で支持されています。人の力で簡単に動き始めます。人が3人4人と多くなれば動きに加速度が生まれます。動いている球体を人が次々に押したり引いたりすれば、どんどん早く動くようになります。球は一点で支持面に接していますので、動く方向は押された方へ動くでしょう。押し合う力が、互いに打ち消し合えば動きません。
 周りに人が群がり、とにかく動かそうとして押しても、力は打ち消しあって動きません。今の社会の構造はこのように動かないのでしょう。そんな風に思うのです。
 球は特別な形です。周囲から押し込めるような力が働くシャボン玉と、中心から引っ張られて球になる太陽のような物体を考えると、社会を構成している球は、どちらに似ているかを考えてしまいます。近頃は、球を構成する力が交互に働いている球もあると考えるようになりました。社会は複雑そうで、実はとても単純な力の作用だと思うようになりました。


思うことがある

2013年10月17日 | 宗教その他
 国の政治にしろ、経済にしろ、宗教にしろ、いろいろの考えで動いている。良いか悪いか私には解らぬ。定まった方向へ行くかと思えば、止まったり、戻ったりしている。経済など噂一つで、貨幣の価値が上下し、私達は一喜一憂している。どんなことで政治が変わるかと考えれば、政治家のちょっとした言で支持率がアップダウン、多くはダウンだ。普段の会話なら聞き逃すほどのことである。将来の夢があっても、夢を批判し壊す族が見え隠れしている。こんなことで良いのか、とても疑問だ。




ルドゥーの絵を見ていてふと思った。