電化製品を壊れるまで使う人は少ないと思います。特に今の時代は修理してまで使うことは少ないですね。もっとも修理屋さんもすっかり見かけなくなりました。昔の我が家にはラジオ付電気蓄音機がありました。中を覗くと真空管が赤い光を出していました。ときどき壊れ、音が出なくなるとラジオ屋さんが修理に来ました。半田コテで線を繋いだり、切れた真空管を交換していました。切れた真空管も大切に持ち帰っていました。私はそれが欲しくて欲しくて、たまらなかったのですが、きっと再利用できたのでしょうね。
ところで、妻は台所用品の販売員をしています。昔はどこの家でもあった『おろし金』・・・・羽子板のような形をして、表面にトゲトゲが出た大根などをすりおろす物です。その古いままの姿の製品が、おろし器では一番高いそうです。半分以下の金額で電動おろし器が買えるそうです。ある時、とっても高齢なお婆さんが、おろし金を持って来店され「このおろし金、目立てしたいのだけど、お幾らかかるかしら?。」と聞かれたそうです。お婆さん持参のおろし金の刻印は取引のある京都のお店でした。修理代金はたいてい、製品価格の半分程度だそうです。おろし金は修理すれば、さらに一代物だそうです。おばあさんはとても嬉しそうに「お願いするわ。まっさらにして嫁に残します。」だって。妻は「高い物もあのように使ってもらったら安いわね~。」と嬉しそうに言ってました。
昔、団地の奥様や、ぷー太郎君(今は就職)などが、金曜日の夜、チャット場に集合してバカ話をしていました。一番盛り上がった話題が「一番長く使ってる物」でした。
私がそのときに出品した『コンタクト洗浄用ザル』を、本日割ってしまいました。(涙ス)19歳から使っていました。次兄の嫁さまがくださった代物、45年物です。熟成してます。プラスチックでも黒かびが出ますので、漂白してタワシでゴシゴシしたら、ピシッと割れました。まだヒビ段階ですので、代替品が見つかるまで使うつもりです。
二番目は小学生の頃に使った30cm物差です。下手なロゴ文字で、小六と名前が書いてあります。次兄の娘が見つけて使っていたそうです。義姉が次兄と離婚した後、姪が高校生の頃だったかなぁ・・・食事をしたときだったと思いますが、姪が持ってきてくれました。その物差捨てられず、いまだに鉛筆立てにあります。今では反ってしまって使えません。眺めると不思議な気持ちになります。
ところで、妻は台所用品の販売員をしています。昔はどこの家でもあった『おろし金』・・・・羽子板のような形をして、表面にトゲトゲが出た大根などをすりおろす物です。その古いままの姿の製品が、おろし器では一番高いそうです。半分以下の金額で電動おろし器が買えるそうです。ある時、とっても高齢なお婆さんが、おろし金を持って来店され「このおろし金、目立てしたいのだけど、お幾らかかるかしら?。」と聞かれたそうです。お婆さん持参のおろし金の刻印は取引のある京都のお店でした。修理代金はたいてい、製品価格の半分程度だそうです。おろし金は修理すれば、さらに一代物だそうです。おばあさんはとても嬉しそうに「お願いするわ。まっさらにして嫁に残します。」だって。妻は「高い物もあのように使ってもらったら安いわね~。」と嬉しそうに言ってました。
昔、団地の奥様や、ぷー太郎君(今は就職)などが、金曜日の夜、チャット場に集合してバカ話をしていました。一番盛り上がった話題が「一番長く使ってる物」でした。
私がそのときに出品した『コンタクト洗浄用ザル』を、本日割ってしまいました。(涙ス)19歳から使っていました。次兄の嫁さまがくださった代物、45年物です。熟成してます。プラスチックでも黒かびが出ますので、漂白してタワシでゴシゴシしたら、ピシッと割れました。まだヒビ段階ですので、代替品が見つかるまで使うつもりです。
二番目は小学生の頃に使った30cm物差です。下手なロゴ文字で、小六と名前が書いてあります。次兄の娘が見つけて使っていたそうです。義姉が次兄と離婚した後、姪が高校生の頃だったかなぁ・・・食事をしたときだったと思いますが、姪が持ってきてくれました。その物差捨てられず、いまだに鉛筆立てにあります。今では反ってしまって使えません。眺めると不思議な気持ちになります。