田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

科学と宗教

2014年07月28日 | 宗教その他
 昔々、一冊の文庫本『科学と宗教との闘争 (1968年) (岩波新書)A.D.ホワイト』を読み、理系に学ぶオイラのバイブルだった、と言えばブラックで面白いかもしれないが、真実理系に学ぶ私の応援歌のようなものだった。

 
 昨晩NHKで放送された「調査報告STAP細胞 不正の深層」の録画を昼食中に見た。一昨日には、NHKスタッフと小保方さんの取材トラブルなどが報道されていたので、いっそう注目を浴びていた。近頃では、小保方さんに不正が集中している意見が多い中、番組を見て、小保方さんには失礼だが、理研の研究者と比べると小保方さんは小娘に見えてしまう。笹井先生が論文指導をなさったらしいが、彼女が彼の指示に逆らうなどできるはずはない。何としてでも、指示された資料を出すことに全力を注ぐだろう。それが不正であってでもだ。国から十数億の補助を受けている理研は利権の集まりなのだろう。その中枢にいる人の意見は絶対である。

 だからといって小保方さんに否が無いとは言えない。やはり論文は『■■だから○○である』の書き方なのだろう。赤の他人の追試験で『試したらそうだった』『私もそうだった』で、正しさが証明されるのだ。いまさらSTAP細胞があるかどうかの検証は必要ない。作製のコツがあるならば、他の科学者に委ねたほうが良い。最初に目をつけた人であろうが、論文がコツで左右されるなら、とんでも科学と同じレベルになってしまう。

 少し話は変わるが、いまだに科学を否定する宗教家は少なくない。「聖書に書いてないから誤り」「聖書に書いてあるから正」と教条的に信者を拘束したり、科学や教育に拒否反応を示し、従わない者を迫害する宗教団体がある。迫害を受けた者は心に傷を負い、迫害した者を一方的に批判する。傍目から見て哀れで醜い。迫害を受けず立場や役職が奪われなかったら、その団体から抜け出さなかったのだろうか。自分が己の意志で退けばそれで良いのではないか。迫害が及ぶのはその宗教団体の中に限ったことであり、居残る信者は迫害とは思っていないのだ。このさき迷信がはびこらねば、自ら入信するのは少ないだろう。浅くてよいから、広く自然科学、社会、倫理を学べばおのずから判断できよう。

 さてさて、その文庫本に話を戻すと、私を宗教に勧誘しようと、毎週仕事場を訪れていたN青年に、この本をプレゼントした。後で聞けば、その宗教は禁書が多く、許されぬ本は読むことができなかったそうだ。私が読んで欲しかったのは、最後の部分で、(若干記憶違いがあるが)博士が「思い通りの結果が得られず、使った時間が無駄だった思う脱力感の私の後ろで、神が私を支えてくれているのを感じた。神とはそのようなものであった」そこだけで良いから理解して欲しかったのだ。宗教は自分の為じゃなく、自分以外の者に対して必要なのだ。