田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

市民感覚 阻害の恐れ

2014年07月25日 | 日記
 最高裁が裁判員裁判の判決を覆した。裁判員裁判が行われるようになった経緯は何だったのか、もう一度考えなければならない。

 今回のように、幼児が関わる裁判員裁判の判決は、求刑と同じ量刑の判決が多い。裁判員すなわち庶民は、幼児が関わる刑罰に厳罰化を求めていると考えるべきである。命の重さに違いがあってはならぬが、老人の死と幼児の死を同一に見られぬは私だけではなかろう。もっとも、裁判員が扱う事件全てがそうではなかろうが。

 今回最高裁で重すぎると判断された事件は幼児への虐待死事件だった。一般市民感覚の観点から今回の事件を考えると、見ず知らずの子であっても、愛する我が子に置き換えての判決と思えて仕方がない。世の中の大多数を占める忙しいお父さんでさえも、我が子には少なからず関わり、喜び、悲しみ、泣いて笑って子育をしてきた人達である。お母さんは言うまでもなく、お腹を痛めて産んだ子の成長の喜びは、お父さんの何倍もであろう。

 世の中で最も過酷な職務に就き、職業柄充分な娯楽が持てない最高裁の判事さん達に、果たして十分な子育て経験があるのだろうか。刑罰の公平化は大切な問題であろうが、あまりの平均化が一般社会から見れば、とうてい考えられない刑罰になってきたことが、裁判員裁判の導入の一つの理由であったはずだ。今回、判事全員一致で合意したとある。この方達の名前は記憶しておかねばならないと、私は思った。