萩さんの話ネタ2

特に何の特徴もない思い付きの話を徒然と・・・
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金曜日・・・雑記

2017-12-22 01:00:00 | 日記
「忘年会(年忘れ)」
いつ頃から行われていたのでしょうか?
何でも、昔の記録があまり残っていないので分からないようです。
そんな「忘年会」についての記事をご紹介します。
 
記事(2017年12月20日 tenki.jp)によると
 
『◆「無礼講」は危険すぎる宴会!? そして忘年会の起源がわからない理由とは?
 
 「今夜は無礼講だ!」「やった〜!! 気をつかわなくてOKなんだ♪」と、手放しで喜ぶ大人の会社員はいません(たぶん)。無礼講とは「身分の上下に関係なく、礼儀作法なしに催す宴会」のことですが、じっさいは上の者は上であり、無礼な行為などもちろん許されていないのはご承知の通り…つまり、「今夜は無礼講だ!」と聞いたら、脳内ですかさず「でも本気じゃないぞ!!」と補足する必要があるのですね。うっかり羽をのばすとリストラの危険すらある、トラップ(罠)の一種といえるでしょう。真面目な部下にとっては「好感の持てる羽目のはずしかたとは!?」などと、余計なストレスにもなっているようです。『世界大百科事典』によると、無礼講には「平常の社会階梯を一時無視することによって参加者の欲求不満を解消し、結果において既存の社会秩序を維持する役割」があるのだとか…。
 
 貴族がつくった宴会の正式な形式や礼儀作法にこだわらない武士の宴会を、無礼講と呼びました。日本史上もっとも有名な無礼講といえば、鎌倉時代の「正中の変」で後醍醐天皇がひらいた宴会です。軍記物語『太平記』には、その様子が描かれています。
 
 政治を自分の思い通りにできなくて不満がたまっていた後醍醐天皇。いっそのこと幕府を倒しちゃえ!ということで、天皇自ら無礼講を開催。身分を越えたメンバーを集めて密議を重ねるのです。参加者は、上着も烏帽子も脱ぎ捨てて、透け透けの服をまとった美女たちにお酌してもらい、食べては歌い舞う乱痴気パーティー(表向きはカルチャーサークル的な集いを装い、じつは不信者の選別も兼ねていたようです)。ところがある夜、メンバーの一人が奥さんに計画を漏らしたため事前に発覚し、首謀者は処分されてしまったのでした。
 
 無礼講、昔からちょっとリスキーな宴会だったようです!
 
 現代では、無礼講といえば会社の忘年会、というイメージですよね。
 
 もっとも古い忘年会(年忘れ)の記録は、室町時代前半の『看聞(かんもん)日記』という書物。大宴会の盛り上がりがまるで『年忘』のようだ、と記されています。例えに使われるくらいですから、すでにこの頃ポピュラーだったことが伺えますが、それじゃいつから始まったかというと、じつは不明…なぜなら、記録がほとんど残っていないから、なのです。
 
 今おこなわれている年間行事の多くは、もともと宮中や政府によって目的やルールが定められ、公式な記録に残されてきたもの。ところが忘年会は、家族親戚などが一年の労苦をねぎらい合う、ごくごくプライベートな集まりだったというのです。それがなぜか現在、企業などのオフィシャルな場面で定着しているなんて。歴史って本当に面白いですね。』
コメント (3)
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