萩さんの話ネタ2

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日曜日・・・雑記

2016-12-25 01:00:00 | 日記

クリスマス。こんな記事をご紹介します。

記事(2016年12月23日 tenki.jp)によると

クリスマスツリーのいちばん上に輝く、ひときわ大きな星のオーナメント。これは、「キリストの誕生を知らせた星」の象徴とされています。

 新約聖書によると、キリストがベツレヘムで誕生した直後に、東の国で今まで誰も見たことがないような明るく輝く星が西方の空に見えました。この不思議な星の出現により救い主が降誕したことを悟った博士(占星術師)たちは、幼子イエスに会うために、星に導かれてベツレヘムへの旅をはじめるのです。これが、聖書の有名な一節で多くの絵画にも表現されている「東方の三博士の礼拝」です。

 三博士を導いたこの星は、「ベツレヘムの星」または「クリスマスの星」とも呼ばれ、現代においてなお天文学者の間で研究の対象となっていますが、どの星を指すのか、実在する星なのか、詳細を特定するには至っていません。謎とロマンを秘めた「ベツレヘムの星」。聖書の記述を紐解きながら、その星の正体を探ってみましょう。

 キリストの誕生を知らせたという「ベツレヘムの星」の記述は、『新約聖書』の「マタイによる福音書」第2章にあります。

 イスラエルを治めていたヘロデ王は、いつも自分の地位をうかがうものがあらわれはしないかと怖れていました。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て言いました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でお告げの星を見たので、はるばる拝みに来たのです」

 ヘロデ王は恐れ惑い、国の祭司や学者たちを集めて、キリストはどこで生まれたのかと問いただしました。そして、それがベツレヘムであること突き止めます。三博士には、「私も行って拝むから、ベツレヘムに行って幼子のことを知らせるように」と伝え送り出します。3人がベツレヘムを出発すると、星が彼らを導きます。そして、ついに幼子のいる馬小屋の上にその星はぴたりと止まったのです。

 彼らは母マリアとともにおられる幼子にひれ伏して拝みました。そして、黄金、乳香、没薬(もつやく)の3点を贈り物として捧げます。黄金はキリストの王権への敬意、乳香はキリストの神性への敬意を象徴し、没薬は高価な薬で死体の保存に使われていたことから、キリストの死の予兆であるとされています。

 マタイによる福音書には、「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、人数は明記されていませんが、この贈り物の数から「3人」とするのが定着しました。礼拝を終えた博士たちは、「ヘロデ王のもとへ帰るな」という夢のお告げがあったため、王のもとを避けて別の道を通って東方へと帰っていきました。

 東方とは、バビロン(古代メソポタミアの首都)と考えられ、現在のイラクにあたる地域になります。また、7世紀頃から三博士にはそれぞれ、メルキオール(黄金。王権の象徴、青年の姿の賢者)、バルタザール(乳香。神性の象徴、壮年の姿の賢者)、カスパール(没薬。将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者)といった名が当てられ、より象徴的な存在として絵画などに表現されるようになったのです。

 イエスの誕生を知らせた星の正体ついては諸説あり、現代においてもさまざまな見解が存在します。惑星同士の接近や会合、超新星、流星、彗星、変光星などあらゆる事例が提示されていますが、この話の歴史的な正確さそのものに疑問を呈する声も。

 そのような逆境のなかでも、インパクトと説得力、そしてロマンある「三大・ベツレヘムの星」をご紹介します。

 ★ジョットによる「ハレー彗星説」
 ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃〜1337年1月8日)はイタリアの画家、建築家。「東方三博士の礼拝」を題材にした最も有名な絵画のひとつは、1305年頃にジョットによって描かれたイタリアのスクロヴェーニ礼拝堂所蔵の作品です。夜空に大きく描かれた長い尾を引く赤い星は、ハレー彗星と見られています。この強烈なインパクトを放つベツレヘムの星は、ジョットが1301年に実際に見たハレー彗星をもとに描かれたそうです。

 ハレー彗星は約76年周期で地球に接近するため、誰も見たことがない明るい星という点は当てはまりそうです。しかも、三博士を導くために動いたという星は、彗星のイメージにぴったり。しかし、キリストが誕生したと推測されるのが紀元前4年頃なのに対し、ハレー彗星が出現した記録があるのは紀元前12年。惜しい気がしますが、残念ながら可能性は低そうです。

 1986年にハレー彗星の観測用に打ち上げられた探査機「ジョット」はこの絵画にちなんで命名されました。ハレー彗星は約76年周期で地球に接近するため、次回の出現は、45年後の2061年夏の予定。楽しみにがんばりましょう!

 ★ケプラーによる「木星と土星の3連会合説」
 ケプラーの法則で有名なドイツの天文学者、ヨハネス・ケプラー(1571年12月27日 〜1630年11月15日)は、紀元前7年に起きた木星と土星の3連会合、ふたつの惑星が合体して大きな星に見えるほどの大接近を3回繰り返したのがベツレヘムの星の正体であると結論付けています。

 天文学者ならではの緻密な計算から導き出した、説得力のあるふたつの惑星の3連会合ですが、最近の研究ではそれほどの明るさではなかったこと、バビロンの古代暦の記述では惑星の会合を特別視するような事実はなく、キリスト誕生につながる神秘的な現象とは認識されていなかったことが明らかに。

 ★アシモフによる「9種類の諸説」
 アメリカの作家、生化学者のアイザック・アシモフ(1920年1月2日 〜1992年4月6日)は、科学エッセイ『東方の星』においてベツレヘムの星に関する9種類の解釈を提示しています。

 1.天与の霊感なしには理解できない神秘的な何か
 2.マタイ伝の筆者による創作
 3.三博士たちにしか見えない何か
 4.春分点がおひつじ座からうお座に移ったこと(初期のキリスト教において、魚は救世主を指す暗号であった)
 5.ハレー彗星
 6.超新星
 7.金星
 8.明るい流星
 9.紀元前3年および紀元前2年に、しし座のレグルスの近くで起こった木星と金星の会合(ライオンはユダ族のシンボルであった)

 アシモフ自身の懐疑的な姿勢が見え隠れするのは、気のせいでしょうか。特に1から3までの説は、力が抜けて軽妙ですらあります。

 バビロンからやってきた三博士は、占星術師だったといわれています。そして、占星術はこのバビロンが発祥の地なのです。ケプラーは、天文学者・数学者であると同時に占星術師でもあったそうです。彼らにしか見えない神秘的な何か、本当に存在したかもしれない「ベツレヘムの星」は、今も私たちのこころを捉える魅力があることはたしかです。

 クリスマスツリーのいちばん上で輝く大きな星は、今日も明るくあたたかく数多の人々を照らしています。』


コメント (1)
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