「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

とあるオフの過ごし方

2010-10-30 23:27:52 | 国際防災協力
しっかりと風呂につかり、
質の良いベッドで眠るならば、
眠りの質はずいぶん違うようだ。
しっかりと寝た、という感があっての朝を迎えられる。

シャワーを浴び、コーヒーを入れ、
クラッカーにクリームチーズをぬったものを食べながら、
パソコンを立ち上げ、メールやら原稿書きやら。

家賃を支払いに行く。

家具付き、水道代、インターネット代込み、
ベッドルーム3つ(うち1つは書斎として利用)、
ベランダ3か所(うち2か所はイスとテーブルを置ける広さ)、
トイレ+シャワールームが3つ(うち1つにバスタブが入れてある)、
納戸×2つ、メイド部屋(物干し部屋として使われている)、
リビングダイニングだけで50平米は超えていようというもの。
これで月1500米ドル。

平均月収が300ドルなり400ドルの国。
自分がどういう立場にいるのか、
いやでも考えさせられる。

まぁ、その分、やるべきことをやれ、という話。
どこかの小説にもあるが「給料分は働け」ということ。
こちらに来て6週間になる。その間はどうだっただろうか???

数日分のブログの遅れを取り戻し、
たまっていたメールの返信で時間を過ごす。

午後、いつもの週末と同じく、
散歩を兼ねて近くのスーパーへ。

敷地のゲートから、ものの3分というスーパーだが、
この距離とて、夜間に歩いてトラブルに巻き込まれたなら、
「なんでそんな(愚かな)ことをしたの?」と
言われてしまうだろう。
そういう国、そういう「まち」で生活していることを、
嫌でも確認させられる、そんな瞬間でもある。

買い物がパターン化してきたことを感じる。
バナナ、パイナップル、ステーキ肉、トウモロコシ、等々。
そういえば、JICAの派遣前研修で、
行動がパターン化していく流れについて学んだような……。

日本の友人とSkype!で話をしてメールを書き、
ステーキを焼き、トウモロコシを茹で、
そんな感じで時間が過ぎて行く。

昨日に続き、
自宅でロンを飲む。この甘さ、結構はまる。

専門家連絡会と安全対策協議会

2010-10-29 23:15:22 | 国際防災協力

いつものような朝。

活動レポートは、配布には至っていないが、山場は越えた。
英語表現を改めたものに写真を添え、
スタッフTさんに翻訳と編集をお願いする。

恒常的には2週間に1本出せれば御の字、という感じだろう。
しばらくは、この方向で考えたい、と思う。
2枚紙の中に、どれだけのメッセージを込められるか、
それが腕の見せ所であるな、と。

昼食の後、
チーム全員でヒルトン・プリンセスへ。
当地にて、年2回の専門家連絡会。

エルサルバドル国内で活動中の全JICA専門家が集まり、
お互いの活動状況を共有・確認するという場。

現在、エルサルバドルでは、
広域(=複数国対象)のものを含め、
9つのプロジェクトに13人の専門家が携わっている。
旧知の方もいるが、初めてお会いする方ももちろんおられる。
貴重な交流の場であった。

引き続き、安全対策協議会。
専門家に加え、JOCV隊員、
同伴家族なども参加した大掛かりなもの。

何せ、青少年凶悪犯罪組織「マラス」の存在ゆえ、
人口当たりの殺人件数が世界最悪(09年)になってしまったエルサルバドル。
行動原則や行ってはいけない場所(≒マラスの縄張り)の確認など。
夜も安心して出歩ける日本とは、残念ながらこういうところは違う。

安全対策協議会の後半、
専門家チームは別室に移って交通事故対策の講演。
車がないと休日と夜間の行動が制限されるが、
さりとて、
まともにスペイン語が話せない状況で事故に遭遇することを考えると
どうしたものか、と、改めて考えてしまう。

お財布事情からすれば、ドライバーを雇うことも可能。
さてどうしたものか……。
答えはまだ出ない。

会議の後、ホテルの差し向かいにある中華料理の店で、
専門家全員がそろっての懇親会。
地方より首都に集まって下さった方々も含めて、
わいわいがやがやと意見交換など。

縁は奇なもの、か……。
いろいろな場面でニアミスがあるものだなぁ、と、
妙に感心したりしてしまった。

かなり飲んだつもりだったが、
自宅に戻り、ロンのオンザロックを1杯。
さらに、スカイプで、
土曜日の午後を迎えた日本に何本かの電話。

バスタブはあるが、
電気温水器の容量が小さいせいか、
ある程度の量から先はお湯がぬるくなってしまう。
というので、コンロで追加のお湯も沸かしつつ、
湯船につかる。

こんなところは、
日本人だなぁ……。

活動レポートを作成し、肉を食べ、そして考える

2010-10-28 23:51:39 | 国際防災協力
前日に引き続き、
出張報告、というか、活動レポート書き。

まず英文で原稿を書き、
それをプロジェクトスタッフで英語も使えるTさんに訳してもらう。
で、そのスペイン語に訳されたものを、
SリーダーとKさんに見てもらい、
コメントをいただいた上で再修正、
という流れとなる。

出来上がった下書きにコメントをもらうなかで、
幾つかのことを考えさせられた。

少なくとも、
1国際機関6ヶ国25自治体49コミュニティを
対象とするプロジェクトである。
関係者は、その範囲をどこまで入れるかにもよるが、
50名、100名という単位となる。
対する日本人専門家は3人。

となれば、
関係者との意識共有や方向性の提示は、
いやでも文書に頼らざるを得ない。

だが、長々と文章を書いたのでは、
誰も読んでくれない。
せいぜい2ページ。出来れば写真付き。
その辺りが現実的ではないか、という。

さらに。
カイゼン提案は日本では当たり前になされるが、
それをされるとメンツを潰された、という反応があるとのこと。
しかも、それが全員に共有されるとなると、
より一層の反発を生み、意識共有や方向性提示など、
どこかへ吹っ飛んでしまうのではないか、と。

そのような点を考慮して、

Recommendationはひたすら褒める、
「○○して下さい」ではなく、「次は○○を一緒にやりましょう」と書く、
「○○を用意して下さい」ではなく、「次は○○について議論したい」と書く、

等々。

これらが正しい方法なのかは、
率直に言って、まだよくわからない。
人によってやり方は異なるだろうし、
相手によっても対応は変えなくてはならないだろう。

でも、とりあえずの基本線はこんな感じの、
おめでとうといい、敬意を表すといい、感謝するといい、
一緒にやりましょうといい、○○を議論させて下さいといい、
そんなところで行ってみようか、と思うようになった。

PR不足のプロジェクトゆえ、
昨日の「カエルキャラバン」について、
原稿をまとめ、写真を整理して、
まずはプロジェクト内で共有。

週イチペースでの情報発信を心がけたい。
もっとも、まずは、
JICAのページなり、
外務省の「ODAみえる化サイト」の中に、
プロジェクトのサイトを立ち上げてもらうのが先、ではあるが。
(それにしても、どこを見ても、
決して上手いとは言えないなぁ……)

Kさんとの議論やら、
活動レポートを介してのプロジェクト運営方針について、
頭を整理したくなる。

で、仕事があがり自宅に戻ってからタクシーを呼び、
サンサルバドルに2軒ある、かのニカラグア牛のレストラン、
「ロスランチョス」のマスコタの店へ。

ヒレ肉のステーキにかぶりつき、赤ワイン(ハーフボトル)を飲みつつ、
ノートにいろいろと書き込みをする。

なぜこんなことにも気づいていなかったのか、とか、
なぜこんなことがやれていなかったのか、とか、
まぁ、出てくる出てくる……。

走りながら考えざるを得ないのが世の中だが、
それでも、明日からの時間の使い方は、
多少は変えられそうであった。

10月27日 追記 Y先生によるスペイン語の授業が始まる

2010-10-27 23:45:32 | 国際防災協力
オフィスで経理を手伝ってくれているYさんは
エルサルバドルのご出身。

ご主人が日本人で、日本での生活経験もあり、
スペイン語=日本語の通訳もできるような才人。
青年海外協力隊員やJICA職員、大使館職員へのスペイン語講習も
担当されているという方でもある。

JICAに専門家等向けに語学研修費の支援があるが、
この日の夕方、そのYさん、否、Y先生に、
スペイン語の最初の個人講義を受ける。

自分の短期的記憶力が落ちていることに愕然とする。
教えてもらっているのは、最初だから単純な挨拶から。
でも、それが覚えられない。
ノートに書き、ノートを見ながら、ならば多少は出来る。
でも、話すことなのだから覚えなさい、との教えは、
まことにその通りであって、で、ノートを見ながらを禁じられると、
あっという間に忘れてしまう。

口が覚えていない、ということなのだろう。
原則、週3回の講義だが、出張あり業務ありで、
なかなかそれだけの数は出来ないだろう。
でも、6週間も経つのに、まともな挨拶一つ出来ないようであれば、
それは大問題というもの、だろう。

生活の中で、多少とも耳は慣れてきている。
これを機に、しっかりとスペイン語を話す力をつけなくては、
という話であった。

                          (10月30日アップ)

「カエルキャラバン」とKさんとの話で考えたこと(その3)

2010-10-27 23:34:52 | 国際防災協力
仕事時間?が終わり、
Kさんの車に乗せてもらって家に戻る。

「コンチャのセビーチェ」が無性に食べたくなり、
Kさんを誘い、JICA事務所発行のレストランガイドにある店へ。
(注:何回か出てきたと思うが、日本の赤貝に似ているが血液が真っ黒な貝に、
刻み野菜とレモン汁をかけて食べるもの。もちろん生!)

「旅の坊主」としては、新規開拓のつもりで行ったのだが、
土地勘がないとは何と悲しいことか。
当地到着の翌々日、JICA事務所のN所長が開催してくれた、
歓迎パーティーの場であった。

それはさておき。

午前に引き続き、
アルコール燃料付きで、Kさんとの議論となった。
考えさせられることの極めて多い時間となる。

住民参加型で古タイヤ護岸なり、ソイルセメント堤防が出来たとする。
それによって、年1回は水につかっていたものが、
5年に1回になったとする。
それくらいの寄与なら、
プロジェクトBOSAIの成果として可能だろう。

僕らは、その堤防や護岸がどの程度の強度なのか、イメージが出来る。
1年で壊れるような代物であっては困るが、
10年に1回程度の災害に耐えられるものでは、決してない、と。
しかし、モノが出来れば、
そしてそのモノによって実際の被害が少なくなったならば、
人びとは、そのモノを、無条件に信頼してしまうのではないか、と。

堤防や護岸が出来る前ならば、
それなりにうまいタイミングで逃げ出して、
財産はともかく、生命は失わずに済む、という状況があった。

それが、
ハードへの、無条件かつ限度をしらない期待を生んでしまうなら、
ハードが壊れるまでそこにいて
ハードが壊れたら諸共に生命も身体も財産も失う。
そんなことへ導きやしないか、と。

この指摘、大変深いところを衝いている、と思う。

逃げ慣れていれば、
多少の被害(特に財産の被害)は受けるだろうが、
生命を失わずに済む。

小規模土木工事という名のハード整備により、
多少の被害も受けなくなれば、
逃げ慣れする必要もなくなる分、
いざという時に逃げられるかどうかがかなり怪しくなり、
下手をすると、財産のみならず、生命も失ってしまうのでは、と。

簡単な答えを出せる代物、ではない。
ただ、現場にいて、こういう議論が出来ることを、
幸せに思うのみ。

                        (10月29日アップ)