<国立歴史民俗博物館>
いつの時代も、「共存」を主として
発展してきた日本という国は、
元から暮らしていた日本固有のDNAを持つ人々と、
外からやってきた様々なタイプのDNAを持つ人々とが、
融合しながら形作られてきた国柄ともいえます。
恐らく、それは縄文時代の晩期に、
弥生人と呼ばれる人たちが流入した際も同じであり、
決して好戦的な弥生人が温和な縄文人を
駆逐したわけではなく、両者はお互いに
持ちつ持たれつの関係を維持しながら、
ゆるやかに融合して行ったと
考えるほうが自然なのでしょう。
アジアの近隣大国が、「ほぼ同じDNAを持つ人々」
で占められている現実を見れば、
「多様な遺伝子型」を有する日本という国は、
いわば「血の浄化」とでも呼ぶべき、
不幸な出来事に見舞われなかった証にもなるはずです。
もしかすると、日本にやってきた人々は、
行き場を失って日本に逃れてきたというよりも、
「ある意思を持って」日本を目指した
可能性が高いのかもしれません。