<出石神社 いずしじんじゃ>
以前のブログの中で、アメノヒボコと
伊和大神との国占めについて記事にした際、
「生贄を持ち込んだ部族(アメノヒボコ)と、
生贄を嫌う部族(伊和大神)との争いだった
のではないか?」という仮説を立てました。
一方で、いくつかの伝承を踏まえますと、
どうもアメノヒボコという人物(神)は、
「生贄という習俗を嫌っていた」
という可能性も捨て切れないのですね。
もし仮に、アメノヒボコが「牛殺祭祀」
に否定的な立場を取っていたとするなら、
恐らく、日本に渡来した理由の中には、
これらの生贄風習から逃れる、
あるいはこれらの風習を日本から
淘汰する狙いがあったはずです。
アメノヒボコが来日した際、
「天皇への謁見」を申し出たときの態度も、
アメノヒボコが単に自らの都合ではなく、
「天皇側からのコンタクト」があった上で、
日本を訪れたことを匂わせますし、
生贄の習俗を持つといわれる金屋子神の一派が、
播磨国から出雲国へと移り住んだ背景が、
どことなくアメノヒボコらの来訪と
連動するようにも感じられます。
もしかすると、アメノヒボコという存在は、
日本の各地に蔓延し始めた「生贄祭祀」を阻止すべく、
日本側から招かれた人物だったのでしょうか……。