<中山神社 なかやまじんじゃ>
昨日、猿田彦について書いている最中
ふと思い出したのが、美作国一の宮
中山神社の一角にある「猿神社」のことでした。
これまでの記事内で、この猿神社に祀られているのは、
「渡来系部族の首長であった猿田彦」か
「オオナムチに討ち取られた猿田彦一族のならず者」
である可能性を示唆しましたが、この仮説に
能登の熊甲祭というお祭りを重ね合わせてみれば、
新たに「猿田彦一族とツヌガアラシト(アメノヒボコ)
一族とのつながり」が浮かび上がってきます。
考えてみますと、天孫降臨の場面で
ニニギ一行の道案内を努めた猿田彦の様子は、
すでに彼らの到着を待ち受けていたような雰囲気でしたし、
日本国内の地理を熟視し、また天孫族と
旧知の間柄であったからこそ、猿田彦が大役を
任されたと考えても不思議ではないのでしょう。
恐らく、猿田彦の一族というのは、
天孫降臨以前に来日し、日本に土着化した
渡来系の国津神であり、後発の渡来神たちを
日本に導く役目があったのかもしれません。
だとすれば、猿田彦神がアメノヒボコら渡来神を、
日本に呼び寄せた理由が気になるところですね。