<気比神宮 けひじんぐう>
延暦10年(791年)9月16日、
桓武天皇により「牛を殺して漢神を祀ること」
を禁止する勅命が出されました。
これらの祭祀は俗に、牛殺祭祀(殺牛祭神)と呼ばれ、
違反した場合は「故殺馬牛罪」という罪に問われたそうです。
対象となった主な地域は、伊勢・尾張・近江・紀伊
・若狭・越前などで、延暦20年(801年)4月8日には、
越前国に対してのみ、再度通達が出されたと聞きますから、
越前国における牛殺祭祀の定着度は他国以上だったのでしょう。
ちなみに、以前の記事内でも、
「ソシモリ」と「牛首」というテーマを取り上げましたが、
白山信仰と「牛」との間には切っても切れない縁があり、
白山信仰のお膝元である越前国をはじめ、
北陸から新潟にかけての「越」のつく国々には、
朝鮮半島からもたらされた「殺牛祭」
が多数残存していたとされます。
また、牛を殺す祭儀は、朝鮮半島だけでなく
中国古代でも盛んに行われており、
祭祀の供物として牛を屠ることは、
神に対する最高の犠牲行為であったのだとか……。
いずれにせよ、中央日本を中心に広がりを
見せていた殺牛祭祀という儀式、
そして「漢神」と名指しした桓武天皇の思惑が、
どのようなものだったのか興味が尽きないところです。