たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

複雑な攻防

2019-06-19 09:25:39 | 鉄の神々2

<伊和神社 いわじんじゃ>

 

一説に、オオナムチともアシハラシコヲ

とも称される「伊和大神(いわのおおかみ)」は、

もともと「三輪大神(みわのおおかみ)」

だったという話があります。

実は、宍禾郡には三輪氏の移住形跡があり、

垂仁天皇の時代にアメノヒボコが入国した際、

三輪氏の祖先・大伴主と倭氏の祖先・長尾市

という大和の有力者たちが、アメノヒボコを

出迎えるために宍禾郡に派遣されたのだそうです。

 

伊和村も古くは「神酒(みわ)村」

と記したという説もありますし、

伊和大神とオオナムチ(三輪大神)

とが同一視された背景には、

同じ「素麺の里」である三輪山から来た人々、

そして彼らが奉斎していた

オオナムチの影響が潜んでいるのでしょう。

 

また、佐用都比売神社の伝承にもあるように、

伊和大神が出雲出身であるという説を踏まえれば、

伊和神社で祭祀されていたのは、

出雲の伊和大神と三輪山のオオナムチという、

「二柱の外来の国津神」だったとも言い換えられます。

すでにご紹介した通り、宍粟市は

「金屋子神」と濃厚なつながりを持ち、

また「アメノヒボコ」の影もチラつく場所ですから、

多くの「国津神」と「渡来神」がこの地に関わり、

複雑な攻防が繰り広げられていたことは

間違いないのかもしれません。

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