たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

銅鐸の埋納

2020-08-18 09:42:29 | 古代の出雲

<荒神谷遺跡>

 

弥生時代に製造された、釣り鐘型の青銅器である

銅鐸(どうたく)は、当初は持ち運びが

できるほどのサイズだったそうですが、

時代を経るにつれ次第に巨大化し、

描かれる絵画や装飾なども

派手になって行ったと聞きます。

そして、弥生時代が終わり古墳時代に入ると、

まるでその痕跡を地上から消し去るかのように、

すべての銅鐸が地中に埋められてしまったのだとか……。

 

ちなみに、銅鐸が見つかるのは、

集落から離れた山の斜面のような所が多く、

祭祀のための特別な処置を施した様子も見られず、

「とりあえず土をかけて埋めた」

ような状態で出土するケースがほとんどだそうです。

これらの話を聞いて思い出したのは「土偶」でした。

 

同じ「祭祀の道具」であっても、明らかに

「何らかの意図を持って」埋められた土偶とは違い、

銅鐸におけるこれらの「埋納法」は

どことなくおざなりのようにも感じられます。

もし仮に、銅鐸の埋め方が想像以上に

「簡易的」だったとするならば、その背後には

どのような理由が隠されていたのでしょうか……。

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