たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

山の神との縁

2020-11-14 10:15:03 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.76 *****

一般的に、「タタラ製鉄」などに

従事していた古代の産鉄民は、

多様な鉱物が産出する「深い森の山中」で、

暮らしていたというイメージを持たれがちです。

ただし、実際に彼らが住んでいたのは、

山の中ではなく海辺や湿地帯が多かったとのこと。

つまり、紀伊国の名草や阿波国の名方など

大河川の河口近くでは、海の民や農耕民などとともに、

「産鉄民」も生活していたと考えられるのでしょう。

 

まあ、当時の人々の出自等を明確に分類するのは

至難の業ですが、名草という場所や地名が

「スズ鉄」との深い関わりを示すならば、

名草戸畔という人物が単なる半農半漁の海人族ではなく、

製鉄にも通じた「山の民」だった可能性もあるのだと……。

もともと海人族は、鉱物探索の嗅覚に優れた民でもありますし、

名草の近隣には「水銀」の一大産地が控えております。

恐らく、名草戸畔の遺体が、海辺の近くではなく、

内陸の小野田地区や高倉山近辺に祀られた理由も、

「山の神」との縁ゆえなのかもしれません。

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