<三内丸山遺跡>
以前「能登の縄文人」に関する記事でも書いたように、
弥生という新時代の到来を予感した縄文晩期の人々は、
「新たな文化を受け入れるか」それとも
「縄文古来のやり方を守るか」という
難しい選択を迫られ、同じ集落民の間でも
意見が割れることも多かったと思われます。
結果的に「融合」という日本人らしいやり方で、
大きな人的犠牲を伴う衝突は避けたものの、
縄文人の心の中には、言葉にできない
「葛藤」が残ったことは確かです。
私自身「縄文」に真正面から向き合う前は、
「縄文は野蛮」という昭和時代の風潮から入り、
「縄文はすごい」という平成時代の空気に流され、
最終的に縄文の良い面も悪い面も含めた上で、
冷静に縄文時代を俯瞰するようになりました。
ゆえに、縄文ブームが巻き起こっている今、
「縄文礼賛」の部分はあえて控えめにして、
縄文時代を終わらせた「負の面」について
目を向けようと考えております。もしかすると、
「縄文時代の終焉」の理由を知ることこそが、
「縄文人からのメッセージ」を受け取るための
最重要課題になるのかもしれません。