たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

相反する物語

2016-03-06 10:47:59 | 西日本の神社

<竈山神社 かまやまじんじゃ>

 

長髄彦(ながすねひこ)と争う中で、

大きな傷を負った五瀬命(いつせのみこと)は、

「私は、日神の子孫であるにも拘わらず、

太陽(東)を向いて敵と戦ってしまった。

これは天道に逆らう行為である。

今度は敵の背後から西に向かって攻めよう」と決断し、

神武軍は紀伊半島をぐるっと回りこんで、

熊野からヤマトに乗り込むことを決めたのだとか。

 

一方、名草では「神武軍は戦いに敗れたため、

仕方なく熊野ルートに変更した」という話が伝わります。

どちらが正しい説かはわかりませんが、

「6月23日、軍、名草邑(むら)に至る。

則ち名草戸畔という者を誅す」

という史書の短い一節だけ取り上げても、

これだけの相反する背景が隠されているのですね。

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