***** 子年の展望 No.56 *****
様々な「国難」に際し崇神天皇が取った行動は、
代々宮中でお祀りしてきた「天照太御神」
「倭大国魂神」「大物主神」の祭祀を、
自らの手から離しそれぞれの祭祀者に任せることでした。
これが吉(災厄の収束)と出た部分もあれば、
凶(自らの寿命)と出た部分もあったわけですが、
いずれにせよメインテーマであった「疫病の蔓延」は、
「祭祀の在り方」を見直すことにより、
沈静化した様子が見て取れるのです。
ちなみに、これらの出来事の「現場」となったのが、
三輪山をご神体とする大和国一の宮、
大神神社(おおみわじんじゃ)でして、
4月、12月の上卯日に執行される大神祭は、
大物主神から名指しされた「大田田根子」を、
神社の神主としてお迎えした故事が
起源だと言われております。
また、4月18日の「鎮花祭」は
別名「薬まつり」とも呼ばれ、
大物主神の荒魂をお祀りする狭井神社
との二社で行われる「疫病除け」の祭典です。
大神神社の摂社には、「三枝祭」という
疫病鎮めのお祭りで有名な
率川神社(いさがわじんじゃ)もありますから、
大神神社がいかに「疫病」を意識して
創建された社であるのかがわかるでしょう。