<奉納山公園>
『出雲国風土記』の冒頭を飾る「国引き神話」は、
一説に縄文時代の地形変遷(縄文海進)、
そして火山噴火による陸地の増大を表した
話ではないかと言われております。
ただし、『出雲国風土記』が完成したのは
奈良時代ですから、国引き神話が
「縄文時代の地形変化を示した」との説には、
少々無理が生じるものです。
そこで、もうひとつの見解として、
「出雲にやってきた渡来部族」のルートを
示したのではないかという仮説が、
取り沙汰されているのでした。
例えば、最初に引き寄せた
「栲衾志羅紀」は朝鮮半島東部の新羅。
2番目に引き寄せた
「北門の佐伎(さき)の国」は
島根県隠岐郡の海士町崎周辺。
3番目に引き寄せた
「北門の良浪(よなみ)の国」は
ウラジオストック。
最後に引き寄せた
「高志(北陸)の都都の三崎」は
能登半島の珠洲……等々。
いずれの解釈にも諸説あることから、
何とも言えない部分はあるのですが、
奈良時代の出雲の人々が、
ごく近年の出雲の様子だけでなく、
先祖代々の言い伝えを風土記に
反映したと考えれば、
縄文時代から弥生時代にかけての
出雲の遍歴が、内容に影響を及ぼした
可能性も否定できないのでしょう。