治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

私は失敗作品

2017-06-07 09:14:57 | 日記
先日渥美半島に行ったとき、ご案内くださったAさんは凸凹関係者なのでそういう話を合間にされます。そうするとうちの母がドヤ顔で子育て論をぶちます。凸凹関係者が一番嫌うところです。とりあえず推定定型発達者しか育てたことのない人がドヤ顔で語る子育て論。でも経緯を見ていて本当に悪気はないんだなと思いました。ただ現場を知らないだけなのです。でもAさんは気を悪くされるかもしれない。というわけで早急に母を黙らせる必要があり、私は一発で黙らせる言葉を放ちました。

「ママは子育て失敗したんだから黙ってて」

威力を発揮しました。
そして自分でおかしくなりました。母が子育て失敗した、っていうことは私はどこに出しても恥ずかしくない失敗作品です。わはははははは。

そうすると母は失敗していないとか言い張るのです。いいや失敗した、と言い返します。本当はどうでもいいのです。私の目的は、巷のおばさんおばあさんが悪気なく(というかむしろ好意で)語る子育て論をその場で即座に終結させることだったのですから。本当は母が成功したかどうかはどうでもいいことです。結果として幸せな大人が一人できあがり、日々仕事に遊びに励んでいて、「推定定型の子を育てたおばあさんがドヤ顔で子育て論を語ると傷つく人がいる」と察するだけのセオリーオブマインドとそれを一発で終わらせる言語体力を駆使して社会をわたっているというその事実だけです。

帰ってきて夫にその話をしたら、「でもよく自分で子育て失敗したっていってるよね」と言ってました。製造物責任者としてできそこないを引き取ってくれた相手にはいろいろ負い目があるらしく、「失敗した」と言いわけというかお詫びというかをするらしい。なるほどね~。あれも教えたこれも教えてたけど全然覚えなかったと文句言ってるもんねよく。

要するに私は失敗作品であり、でも「私は失敗作品だ、だめなんだ」と嘆くこともなく、「失敗しやがって」と親を怨むこともなく、自己肯定感は健全に機能しているようです。あえて言うと「へへへへ。こういう大人になるとは思ってもみなかったでしょ?」みたいな「出し抜いた感」があるかな。

そういうこともあると皆さん、肩から力が抜けるんじゃないですかね。