治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

みんな誰かの大事な子ども

2017-06-22 12:00:02 | 日記




さて、では岩永先生関連トラウマと一緒によみがえってきた良質のフラッシュバックの方のお話。

岡山の講演ではYTが電話してきたときの・有名ギョーカイ人 ・有名ギョーカイ組織 のへたれっぷりを実名抜きでお話ししました。おもしろおかしくね。そしてそのあと、実家にかかってきたときの母の対応が毅然としていたことをお話しし、いかにギョーカイ人に一人の老婆でも持ちうるほどの胆力が欠けているかということを示したわけです。おもしろおかしくね。実際に笑いが起きたし。これはね、ただのギョーカイの悪口じゃないです。ギョーカイがしたり顔で説く「問題行動は無視」が人として本当に正しいかどうかの問いかけです。
あとで記録を見たら『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』は完売でした。全員にではないかもしれないけど、何人かは私の考えに興味をもってくださったのだと思います。

大勢の人の前で語ったからでしょうか。
帰りの新幹線の中で、私初めて気づいたんですね。

あのとき、母は私を守ってくれたのだ、って。

実際客席にいた人によると、私が母の話をしたとき、笑いも起きたけど感動も起きたのがはっきりわかった、と。その方も聴いて感動してくださったそうです。

母は強し。そういう感動です。

当時母はもう後期高齢者で、私は四十代の会社経営者でしたけど、そして心配かけたくないから裁判のことは一切実家に話していなかったけど、変な電話を受け取って母は、私が何かに巻き込まれていることを瞬時に悟ったのでしょうね。そしてはねのけてくれたんです。

瞬時に悟り戦う。それが親なんだと思います。

ありがたいな~と、数年かかって私はその時の親心がわかり、涙が出ました。
するとその直前直後の記憶がよみがえってきました。

母からメールが来ました。変な人から電話がきた、と。
私はすぐに電話しました。母は毅然と対応してくれたことを知りました。
泣きながら説明しました。私が何に巻き込まれているか。
そして夫と二人で裁判を起こしていることを言いました。心配かけたくなかったから黙っていたことも。

私のせいで母まで巻き込んで、情けなくて情けなくて仕方ありませんでした。
加害者とギョーカイを憎みました。
電話を切ってからも私は泣いていました。


すぐに母はコールバックしてきました。
そして落ち着いた声で「泣いていたからもう一度電話をしたのよ」と言いました。
母は怒って電話をしてきたのではありませんでした。私が泣いていたから心配して電話をしてきたのです。
私は現在の進行状況を話しました。
母は「昇吾さんが一緒に戦ってくれるのなら安心ね」と言いました。

そのことを私は思い出したのです。

やはりね
親に勝る人はいないのです。
どんなスキルのある支援者だって
親ほどその子を思う人はいない。
親ほどその子のために戦う人はいないのです。

ましてやギョーカイは、臆病者と卑怯者の巣窟なのです。
自分たちの金づるである自閉症者に萌え、それでいて悪いことをすると偽者扱いし、治ると偽者扱いする往生際の悪い弱虫の群れなのです。


だからね皆さん

支援者が何を言おうと、親としての本能を大事に大事にしてください。
支援者に潰されないでください。
「治ってほしい」という気持ちを支援者は「障害受容ができてない」とか言うかもしれません。
でもそれは、ただのポジショントークです。
自分たちになすすべがないから、当然の親心を押しつぶそうとしているだけです。

「治りますように」と神仏に祈りたければ堂々と祈ってください。
皆さんは親なのですから。
子どもの幸せを願うのは当たり前なのです。

沖縄でまた、本能を大事に大事にしてお子さんを育てあげたこよりさんとお話しする日が楽しみです。




最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
親として私がしたこと (こより)
2017-06-22 12:49:54
私は 子どもたちに 発達凸凹があることに誰よりも早く気づきました。そして、その凸凹を治しておかないと、「親(私)がいないと生きていけない子」になる、という事を直感しました。

そして動物の親が、仔を保護しつつも、徐々に餌の取り方や、危険の回避方法等を教えていくように、私も子どものために「将来親がいなくとも生きていける」を目標に育てました。

今朝掃除をしていて、子どもたちの幼い頃の写真を見つけました。自信なさげに泣きべその顔、まっすぐ立てずに 足首が内反足もどきで 立っている姿などがそこにありました。

他のお子さんとは 明らかに違った姿でしたが、それでもその数年前よりは二人とも確実に修行の成果が現れていたのです。

それから 数年後の写真をみると、また違う進歩が見られ、「ああ、こんな風だったんだなあ」と懐かしく思い出しました。

転んだら駆け寄って「おお よしよし」と抱き起すお母さんが多い中、私は子どもが 転んだことのショックで泣いているのか、痛みか、親を探しているのか、など 反応を見てから それに合った対処をしてきました。

それを「冷たい」と取る人もいましたが、子どもが大したことでなくとも「親や人に頼る」という誤学習をしては困るのは子どもなので、私は「これは大変」という時しか 手を出さずにそれとはきづかさずに修行をさせてきました。

子どもたちに「OOちゃんのママはやさしいよ!」と不満を言われたこともありましたが、「おかあさんは やさしくないからねえ、悪かったね」とかわし、子ども達仏頂面、という事もありました。

「愛情=手助け」ではないと思うので、よそのお宅がどうであれ、私は私流でするしかできなかったし、今は「当てにならないダメなお袋」を息子たちは肥やしにして越えてくれました。

せめて「人並に」をめざさず「よそはよそ、うちはうち」を貫けてよかったと思います。

返信する
ホントに! (ミネ)
2017-06-22 12:59:17
子どもが診断されて暫くは、わたしも必死に本(花風社以外)を読み
「治りません」「叱ってはいけません」
…と親が落ち込む言葉のシャワーを浴びせ続けられました。

動物(人間も哺乳動物)が本来持っているはずの本能的な勘。
というのか、それ以前に身体が勝手に動き、言葉を発する様な事を
ことごとく否定されて、がんじがらめな上に子どもの将来は?
明るい見通しもお手本もなく不安だらけでした。

就学前にはどこの小学校に入れるのか?というところから、
不安材料が山積ですが、誰も明確な答えは持っていない。

でも、子どもは確実に成長しているし、睡眠障害とか感覚過敏とか
多動が治って(笑)、随分とラクになってきました。

そこに「治ります!」という言葉(笑)

最初は「治りません!」の呪縛から簡単に抜け出せずにいましたが、
10年目の藤家さんの発達ぶりと、その後に読んだ花風社の本から
栗本先生の所に行こう!と親子で小田原に行きました。

そのご縁で今では定期的に個別でお世話になりつつ、
「気持ちがいい」というのがどういうことか?身を以て知りました。

金魚体操が大好きな我が子。眠れないと自分で目を温めています。
(わたしが考えた小豆アイテム)

周りが何と言おうと、子どもは社会で有用な働き手になって欲しいし
本人もそれを目指して頑張っていますから、親としては当然、
「頑張れ!」って言いますよ。本能に正直に!(笑)

これからも花風社の本を楽しみにしています✨
返信する
感謝 (河北(息子))
2017-06-22 23:10:41
 こんばんは、河北です。
 こちらにコメントするのは久しぶりですね。お変わりありませんか?
 出来ることが増えるとやりたいこともそれこそ芋づる式のように増え、最近ではブログを拝見するのを忘れてしまう日がありましたが、先ほどふと思い出して拝見したら心が温まるお話があったのでコメントさせていただきました。

 今でもそうだと思いますが、私は昔からいろいろと面倒な子だったのだろうと思います。今では母と「こんなこともあったけど、こうやってしてたらちゃんと良くなって今楽しく過ごしてるよね」という内容の話を私も母も笑いながらできますが、私が本当に辛かったつい四年前までは母はそれはもう鬼のようにいろいろな選択肢や置かれている状況を時にはほぼ直感、時には熟考して取捨選択し次々と私に示してくれました。間違いだと思ったことは何度も何度もちゃんと訂正してくれました。誤学習が本当に強かったので、1・2年ほどまえにやっと修正できたものもあるほどです。母も本当に辛かったのだと思います。
 ですが、今母とそういうことを話していると必ず母は「辛いこともたくさんあったけど、どうにかしてあげたかったから」と言ってくれるのです。それを聞くたびに私は「このお母さんのもとに生まれられてよかった」と思います。ここまで一生懸命になってくれない(自分の障害を満たすために子供を使うような)親だったなら、今の私はおらずとうの昔に檻の中か病院の奥か地面の下にいたと思います。日頃面と向かって言うことはそういう話をしているときくらいですが、母にはいつも感謝しています。いろいろな意味で「守ってくれた」んだなぁ、と。
 そして、これからは私の方が力も強く身長も高くなっていき出来ることなども増え、守られる側と守る側が逆転していくのだと思います。そうなったときに、ちゃんと自分が母(もちろん父も)を守れるようになりたいと今は思っています。

 長文でしかも自分の話ばかりになってしまいまして、すみません。

 ちゃんとした大人になれるよう、努力ですね。

 失礼しました。
返信する
涙が出そうでした。 (Shihoko)
2017-06-24 11:29:29
私の長男は、ディスレクシアでした。
でした、と書くからには、今は、そうではないということです。
現在小学校6年生の長男は、漢字テストで100点に近い点数を、普通にとってきます。
3年生まで、カタカナの読み書きもまともに出来なかった彼とは、もはや別人のようです。
けれど、これまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。
まだ原始反射等についての知識が無かった頃、単調で辛いトレーニングや、手当たり次第に試した諸々の療育や学習方法で、ストレスのあまり抜毛し始め、全部のトレーニングを中断したこともありました。
読み書きが不自由なく出来るようになることを願うのは、親のエゴなのではと、何度も何度も、自問しました。
それでも、長男の望む道(今のところ料理人)には、読み書きが出来ないことがどれ程のハンデになるかと思えば、ディスレクシアを克服させることを、親の私が諦める訳にはいきませんでした。
ギョーカイから、どんなに“ありのままで”“がんばらせるな”と、警告され続けても。
そもそも、本人に、諦める気が無かったのですから。

思えば、諦めの悪さを、こんなにおおっぴらに肯定されたと思ったのは、初めてかもしれません。
涙が出そうでした。
意地を張りつづけて、良かった(笑)

今日も長男は、高校進学を当面の目標に、“普通の教材”で、勉強しています。
返信する