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関取衆が羽織をまとう中、若い衆のひとりとして、単衣の浴衣でパーティに出席していたかつての高安さんの姿を見ていた者としては
関取になり、三役になり、どんどん立派になり、大関に昇進するなんて本当に感慨無量です。
口上は西に向かう新幹線の中で見ました。
正々堂々、は実に高安関らしい言葉ですし
精進する、のも間違いないし、おそらく兄弟子へのリスペクトが入っているだろうし
それでも「正々堂々」と「精進」は本来は座りの悪い組み合わせかもしれないと思います。
「正々堂々」のあとは「闘う」とか、「立ち向かう」とか、相手がいる動詞の方が座りがいいですね。
ところがギョーカイ内では、「正々堂々と精進する」というのは宣言するに足るフレーズですね。
昨日私はクローズドな場所で問いかけたんですけど
「頑張ると二次障害になる」というギョーカイの伝説ね。
あれと裏腹に、私は頑張って二次障害になった人を見たことがありません。
むしろ頑張るなと言われ、制限された生を押し付けられて、二次障害になっている人の多さに気づきます。
なぜこのような言説がいきわたるのかについては色々ご意見がありました。
・生命力を信じきれていない
・そういう人自身が頑張ったことがないのだろう
・無理をさせると弱くなるという弱者としての人間観
いずれもあてはまる人もあてはまらない人もいることでしょうね。
親の側は頑張った経験があって、でもわが子に頑張らせるのが怖いとき
・ギョーカイの洗脳
・愛着障害
がひそんでいるような気がします。
ギョーカイの洗脳はひとつひとつ洗い直す必要がありますが
中でも
・社会の理解があると生きやすくなる
・頑張らせてはいけない
あたりは根源ですね。
しかもこれは、ある大物ギョーカイ人がご自分の子育て方針を広めただけ、っていう気がしないでもありません。それと「できるだけしんどいことはしたくない」という親や支援者に蔓延している省エネモードがまた、絶妙なマリアージュを起こしたのでしょうね。
そこのおうちがどうなったかは、まあ知っている人は知っているでしょう。
いずれにせよ、お父さんが大物じゃないと破たんする生き方でしたね、というだけ申し上げておきましょう。
でもみんな素直なんでしょうね。
それを信じましたね。
だから発達障害関係の修行系はあえて言わないといけないんですよね。
「正々堂々と精進する」って。
高度な見張り合い社会である発達障害関係者の間では
精進するって非難されるからね。
あ~変な社会だ。
頑張ることがストレートに高評価される。
しかもそこでは勝ち方にも品格が重視される。
そのわかりやすさがまた、私が好角家を続けている理由のひとつかもしれません。
そしてこれが
ある種の人にはわかりにくく、新たなルサンチマンを醸成するのでしょうね。