治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
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褒められるのが嫌いな理由

2017-06-06 08:50:12 | 日記
昨日読者の方からメールをいただき長年の謎が解けました。
いや、そのメールは今回の記事とあまり、というか少ししか関係がないんですけどね。

私は今まで、自分が「褒められるのが嫌い」な人間だと思っていました。
なのにギョーカイではほめろほめろというので、それも違和感でした。
朝青龍関が酔っ払いに「横綱、頑張ってください」と言われて腹を立てて殴った気持ちがわかりました。
ところが自分がお相撲さんに会うと、ついつい頑張ってくださいと言ってしまうのはなぜだろうと不思議でした。
お相撲さんたちはギョーカイと違って頑張るのが仕事ですから、「これ以上頑張れというのか」なんて逆切れすることはないから安心なのかなあと思っていました。

一方で褒められてうれしいこともあります。
神田橋先生に「いい本ができたねえ」と言われると素直にうれしい。
だから相手にリスペクトがあるかないかの違いだと思っていました。

でもそうではありませんでした。
昨日メールくださった方は愛甲さんの言葉を熟読していて、「自閉っ子のための友だち入門」や「愛着障害は治りますか?」の中で愛甲さんが「言葉のひびき」について語っているのに注目していました。
つまり、褒められても、それが真意からなのか一種のテクニックからなのか、敏感な自閉っ子は瞬時にわかるというのです。

たしかにそうだなあ、と思いました。
ギョーカイ流「ほめて育てる」でうまく育たないのは、芯からほめているか一種のテクニック(つまり方策として)ほめているかを見抜いてしまう人も多いからなのでしょう。
そして私もそういうカンはいい方です。

私が嫌いな褒められ方というのは、社交辞令の褒められ方なんだろうなあと思いました。
そしてこの続きが私ならではの思考プロセスだと思うのですが

社交辞令で褒められる→褒める方は目先の平和を優先させ真実をないがしろにしている(本当は褒めるほどのことではないと思っているand/or褒めたくない)→ということは褒めるのは恐怖心からである→恐怖心からほめる人は臆病者→恐怖麻痺反射だったり愛着障害だったり卑怯者だったり→こいつ嫌い

というプロセスを経て、自分を褒める人が嫌いになるのだということがわかりました。

私自身は、目先の平和を全く優先しない人なので、本当に褒める気持ちにならないと褒めません。
そして本気ではないのに褒める人に腹が立つのは、そいつが保身から褒めている→臆病者→こいつきらいという判断が0.0000000001秒くらいで成り立つからだとわかりました。

褒める側に本当に褒める気持ちがあれば、「褒めて育てる」のは有効かもしれません。
でも自分の夫の月給を二時間で稼いでしまう大御所の講演で「ありのままをうけとめなさい。褒めましょう」なんていうご託宣をいただき、今日もあれこれやらかしてくれる子どもをみて、「大先生が言ったから」と唇かみしめながら無理やりほめても、効果はないかもしれませんね。