治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

巡業の日程整理

2012-09-18 07:28:14 | 日記
おはようございます。
前エントリでayakaさんにご指摘いただいたとおり、巡業の日程に一部間違いがありました。
(すでに訂正済みです)

整理するとこうなります。

10月13日 広島でちゅん平さんと浅見
10月21日 京都でニキさんと浅見
10月24日 茅ヶ崎でニキさんと浅見

その他26日鎌倉に行きます(浅見単独)。でもこれは公募するかどうか確認中です。

よろしくお願いいたします。

それぞれの事情

2012-09-17 06:07:11 | 日記
最近美容院に行っても茶髪を勧められなくなってきてありがたい。
世の中的にブームが終わったのか
美容院の人の方針が変わったのか、わからないし興味もない。

私は黒い髪が好きなのだ。

でも人が茶髪にしているのは別に気にならない。
「茶髪やめなよ」なんてお節介はも言わない。
それぞれ好きな色の髪にすればいいと思う。

私自身は「自分は自分、他人は他人」という区別がしっかりしている人なので
自分が何か意見を述べるとき、他人に押しつけているつもりもないし
勝手に押しつけられたと感じる他人が「誤解する人がいるから」等のわけのわからない理由によって
(だって誤解する人の心配までどうして第三者がするのかわからないし。つまり本当は「誤解する人」のせいじゃなく「自分が不快だから」っていうのが理由なんだろうと思っている)
言論統制されることを、大変に侵襲的に感じる。
おそらく猿烏賊騒動って、これだと思う。

私は20代の頃から、女性嫌いになったのだが
女性同士のつきあいが面倒くさくなったのも、これだと思う。

逆に言うと、それがない女性同士のつきあいは面倒くさくないし
相手が男性であろうと「勝手に侵襲的に感じる」人が相手だと面倒くさいよね。
発達障害の世界はその点、トランスジェンダーな感じ。従来の「男性は細かいこと気にせずどーんとしていて心の広い存在」という私の思い込みを崩してくれるキャラに事欠かない世界のようだ。

新刊の御注文のメッセージと一緒に
「浅見さんが本を作ってくれてよかった」というメッセージをいただき
本当にありがたいことだと思いますが

私はいつでも「この世界向かないのではないか」
と思っているし、逆に

「いつでも出て行くつもりでやっている」
のは確かなんですよね。

少なくとも
「みんな茶髪だから茶髪」というメンタリティはない人なので

「最近発達障害の本を読んでも似たような内容ばかり。その点花風社の本は他には載っていない情報が多くて楽しみ」というお声をお聞きすると

「まあ自然だろうな」と思います。

みんなが茶髪のとき、一回も茶髪にしなかった人なのです。私は。

☆☆☆☆☆☆☆☆

ストレート勝ち越しですね。

まあそれ以上に、この場所は本当に楽しみに見ています。

場所前に朝稽古の見学に行った稀勢母仲間のブログ
私もご一緒しようと思ってたんだけど、「提言」を作っていて時間的に無理でした。

先場所の終わり頃、「今後どういう立ち合いをするんだろう」と心配になりましたが
それは素人の私たちより、ご本人の脳みそが答えを出すこと。
神田橋先生の本、長沼先生の本を作った私としては
脳が自発的に答えを出す、っていうのとても納得できます。
自分もそう。
夜ぎゅうぎゅうに考えて寝ると、次の朝、脳みそは答えを用意しているでしょう。

でも答えに至るには試行錯誤がとても必要で
先場所はそういう場所だったんだなと思ったんです。

で、この稀勢母仲間の報告を聞き
三日目くらいまで観察していて

「これは、たしかに稀勢の里最強になるかもしれない」と思いました。

まだ上位陣にどこまで通じるか検証できていないし(特に白鵬・日馬)

三大関が休場していて試せないのが残念ですが

おそらく数場所のうちに綱取りは間違いない、と

そう思うに至りました。

一横綱六大関の時代から

二~三横綱の時代に一気になるかもしれないですね。

というか

試行錯誤って避けて通れないんだな
そして答えってその中から出るもんなんだな

そう思わせてくれる最近の稀勢関です。

残り七日間、精一杯応援しましょう。
今場所は仕事でなかなか足を運べませんが
千秋楽は行きますよ。






え~と、それと私の巡業ですが
もう一件あります。ニキさんと一緒。
10月21日京都です。この日はニキさんの単独講演もあります。
ニキさんの単独講演の次に、私がとても短い単独講演をやらせていただきます。
主催者の方が「自閉っ子のための道徳入門」を気に入ってくださったらしく
あの本について話す時間をいただきました。ありがたいことでございます。

その後対談です。珍しく質疑応答までやります。
アドリブはニキさんしないので、事前の準備が必要ですが。

まあ、わくわくするイベントなのですけど。
京都って、わりと広い範囲からお越しになりやすい場所かと。

その告知を連休明けにMLで流します。

新刊のご案内も一緒に行きますが
御注文いただいた方には返答メールをお送りしていますので
返答メールが来ている方の御注文はすでに通っていますのでご安心ください。

まだお申し込みでない方は

「自閉っ子は二次障害を乗り越えられます」ということを証明するため
ちゅん平さんが人生かけて書いた本。

ぜひお読みくださいませ。



「不審な行動」と「迷惑行為」は違う

2012-09-14 09:10:24 | 日記


昨日、「自閉っ子のための道徳入門」を読んだ方から「参考になりました」というメッセージをいただいて
そこに「不審な行動をさせないのも予防ですね。奈良の件もありますし」的なことが書いてあったのでこのブログを書くことを思いつきました。
以前から考えていたことなのですけど。

私個人にしてみると
自閉症の人の「奇妙な行動」っていうのはまったく気になりません。
ぴょんぴょんはねてたりひらひらしていたり奇声を上げていたりですね。

それが気にならない理由は三つほどあって
一つは私が別に聴覚過敏とかじゃないこと。おそらく子どもの泣き声とかにも寛大な方だと思います。いやがる人はいやがるよね。私の聴覚はそれほど過敏じゃない上に、注意をそらせる人なので、あまり気になりません。

もう一つは都会人なこと。他人の奇妙な行動はスルーする習慣が身についています。

もう一つは自閉症を多少知っていること。だから駅のホームではねて奇声を上げている自閉っ子をみんなが遠巻きにしているとき、私はそばにいたりします。なぜかというと、すいてるから。
みんなが遠巻きにする理由は、危害を加えられるのではないか、みたいな恐怖なのだと思いますが、私は多少事情を知っている分、そういう危険は感じない。彼が見てるのは電車だけですよ、とか心の中で思いながらはねている自閉っ子を見守っています。

先日お勉強会に出かけたときにも、一番多そうな警察沙汰って、被害加害よりもむしろ
「不審な行動→職務質問→不適切な対応→公務執行妨害とかで逮捕」
かも、と思ったのですが
そういうパターンを避けるためには、司法の側に知ってもらうことは大事で、講師の方たち一生懸命説明していらっしゃいました。実際こういう啓発運動が効果があって、そういう事態に至ったとき所持品検査で手帳が出てきて、なるほど、と思って関係機関に連絡取って無事・・・ということはあるそうです。

だからこういう啓発活動は大事。

でもこれと奈良の事件は異質だと思うんです。

違い。
それは、そこには被害者がいるかどうか。

これに無頓着で、一律に「理解がない!」とクレームつけているギョーカイ人を見ると
「ああ、健常者には人権がないと考えているんだな」と思ってしまえるの。
ギョーカイの特徴はね、私の事件のときもそうだったけど
健常者が被害にあっていても被害者とは認めないところなんですよ。

それはギョーカイの俺ルールなんで、社会には通じないです。

一般的に言うと「不審な行動」と「迷惑行為」の間には大きな違いがあるので
被害者がいるかただ不審なだけかはまったく違う話なので
そこを考えてほしいんですよね~。

☆☆☆☆☆

序盤戦に一度は行きたかった国技館。
なぜ行けないままかというと、「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」のゲラチェックがかなりきついからです。

デリケートな本なので、何重にもチェックを入れていて
普段はゲラをほとんど赤くしない私が、真っ赤にしている状態です。

チェックしてもらって言われるのは
「意外と冷静に書いている」っていうこと。むしろもっとはっきりと書いたほうがいい、という箇所をばんばん指摘されています。奥歯にものの挟まったような言い方(当社比)が多い、と。
まわりくどい文を、ストレートになおしています。で、ゲラが真っ赤。

量刑。
私は「障害者割引はなかった」という表現を使いましたが
まあ実際には「重かった」というのが実情です。
びっくりしました。

悪質性を重く見られたのだと思います。
それと、反省の色がなかった。

ここがね。私も司法の奥深さを見たところです。
というのは、私は一度も出廷していませんが、出廷していた人によると
「それ、反省の言葉ですね」ととらえられる言葉を本人は口にしている。

それを司法は「反省」と受け取らないのですね。
ギョーカイの人がこれを読むか読まないかわかりませんが
「この言葉を司法は反省ととらない」っていうことは知っておいたほうがいいですよ。
再犯のおそれがあると思っての重い量刑だと思います。

私が再犯のおそれをどう見積もっているかどうかは中に書いてあります。

お申し込みはこちらへ。





就労対策は治安対策

2012-09-13 11:45:10 | 日記
秋葉原無差別殺傷事件の被告人に高裁でも死刑判決が出ましたね。
まあ当たり前でしょうが。

私は彼の書いた「解」という本を休暇に持っていって途中まで読みました。
強烈な俺ルールの人で、だからこそ無関係な対象を被害者に選んでしまう事件を起こした人だけど
なんかASDの人の持っている俺ルールとは異質なものを感じましたね。

逆に彼の掲示板に乗り込んで荒らし、追い詰め、間接的に事件の遠因を作ったストーカーみたいな人物
こっちにアスペっぽさを感じました。
勝手に(攻撃されてもいないのに)嫌いな人間を決めて、その人から目を背けられないのね。

私はめったに(どんなおもしろくない本でも)本を途中でやめることはないのだけれど
これは今いったん読むのをやめてるのは
耐えられなくなったからです。

本人サイドからの持ち込みで、手をつけないという条件で出した本のようなので
原稿が整理されていない、というのもあるんですけど
やはり独自のワールドに、ついていけないというか、気持ち悪くなって読み進めないんですね。
まあそのうち頑張って読了します。

事件当時巷間さかんに言われていた非正規雇用どうのこうのはどこまで関係あるんだろう。

わかんないです。

でも、ASDの場合

就労対策、っていうのは、治安対策でもあると私は思ってますよ。
ニキさんの言うとおり「閑居して不善をなす」でしょ。
「続自閉っ子」でも岩永先生が十一先生などの研究を引いて説明していらっしゃいますね。

怒る人いるのは織り込み済みで明言しますわ。
「就労対策は治安対策」ってね。
人間暇だとろくなことしないですよ。自閉っ子はとくにそう。疑問をお持ちの方は「続自閉っ子」をどうぞ。

なんで明言するかというとね
「誤解する人がいるから言ってはいけない」というギョーカイの風潮が
「知らしむべからず、依らしむべし」になっていることに気づいたからですよ。

ある意味、支援者の「上から目線」なんですよね。
「誤解する人がいるからこういう言い方を控えてくれ」みたいな言論統制。
メディアに対する事件のときの働きかけもそうでしょ。

要するにバカにしているんですよ、保護者をも。
中には現実を受け止めて、きちんと活かせる人たちもいるのに。
結構多いのに。
支援者より社会性があり、現実を見る力がある人だっているのに。ていうか多いのに。

出した方がいい情報なのに。
隠すんですよね。

「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」のご注文をくださる方のメッセージを読んで気づくことですが
これを読んで犯罪防止について考えたい、みたいなメッセージをくださる方に限って
全然そういう心配がなさそうなお子さんであり親御さんなんですよね。

それも本文に書いてあります。
豊川の十七歳の事件が起きたとき、ギョーカイの先生方が言論統制に走っている一方で
「わかるわ~」って言ってるお母さんがいらして
でもそこのおうちのお子さんは本当にかわいらしい自閉っ子で(現に今立派な青年になっていて)
こういう風に「わかるわ~」っておっしゃる人ほどきちんと規範教えてるんだよな~って思ったんですよ。
別にアスペルガーだからじゃなくて
自分の子どもだから。
そういうおうちほど「犯罪と障害の関連」ってフェアに見るんです。それに比べて、ギョーカイの先生たち、真っ正面から見ないですね。
そして一般社会の「知る権利」には関心なし。何しろ健常者には人権がないし!
だから恥ずかしげもなく言論統制するんですよ。

このこと、ここで何度も書いてますけど
反論ほしいところなんですけどね。
「自分たちは健常者に人権を認めてる」って抗議、誰からも来ません。
その逆は来るんだけど。
「そう。浅見さんの指摘通りです。健常者はガマンすればいいとギョーカイは思っています」って。
かなりギョーカイい近い線から。自嘲気味に。
いやはや。

なんかおかしいよね。

と思ってたらビンゴ!のメッセージが。

「ギョーカイが被害者の人権を考えないのは理解に苦しみます。
自分たちの力不足を社会の理解のなさのせいにすり替えてる感じです」

そうそうそう! そうなの。それが言いたかったの!

社会にクレームつける前に、やることやろうよ。
社会にクレームつけるなとは言わないけどさ。
まずはちゅん平のような回復例を「ありふれたもの」にして
不法行為している当事者がいたら、死んだふりはやめてほしいですね。

直接手を下さなくてもね
暇にまかせて誰かに執着しているだけでもね、間接的にトリガー引いちゃうことだってある。
人と人はよくも悪くもつながっている以上、そういうことがあるんだからね。

その一方で優れたところがあるのなら(これはたぶん嘘じゃないんでしょうから)

アインシュタインでエジソンなら、どんどん一般就労できる子を育ててほしいもんです。
いつまでもお味噌扱いみたいな就労支援ばっかりしてないで。
そして障害者枠は、本当に必要な人に回してもらいたいもんですね。

発送まであと十日はありますので
お申し込みはどうぞこちらへ。

☆☆☆☆




一般就労

2012-09-12 12:54:35 | 日記
続々新刊のご注文いただいています。

ご注文のメールに添えられたメッセージにインスパイアされたことを書きますね。

まず、シューカツ。
なかなか現実は厳しい。

このブログでは何度も、ちゅん平が「一般就労」したことに触れていますが
障害者としてシューカツしていたちゅん平がなぜ一般就労したかについては触れたことなかったかもね。

それは本に書いてあります。



私は一般就労、よかったんじゃないかと思います(ちゅん平の場合)。

そしてちゅん平以外の例もいっぱい見て、数年前と考えが違ってきました。
「必ずしも障害者就労がベストとは言えない」と今は思っています。
どういう人が一般就労のほうがよさそうだとか
そういうことをこっちの本に書いてます。



体力がそれなりにあって知的障害のない人が、障害者就労にこだわる意味ってどこにあるの?
もちろん特性にもよるでしょうけど。
特性といえば、ちゅん平だって相当強いよ。ただ強いところもあったんだと思うけど。

少なくともちゅん平の体験談を読む限り
障害者就労の現場には「死んだふり」が蔓延しているみたいだな。
そことの戦い方が見事でしたよ、ちゅん平。

障害者就労にこだわらなければ、少なくとも一個死んだふりをクリアできます。
それにちゅん平、早々に昇給するらしい。さすが一般就労。

☆☆☆

新刊の詳細・お申し込みはこちらへ。

同時発売までの流れ

2012-09-10 09:53:35 | 日記
昨日は、神田橋研究会での先生のお話を聞いて突然わいてきた「大大大博士祭りへの怒り」をなんとかしようと、振り返っていました。
今回の同時発売までの流れ。
こんな感じ。

裁判を抱えることになった(2009年)

発達障害の世界にうんざり

せめて、ちゅん平の回復を置き土産にしようと、「自閉っ子的心身安定生活!」を作っていた。(2009年夏)

愛甲さんから連絡。「神田橋先生の本を作りませんか?」
そんな大御所の本を・・・と躊躇するが「神田橋先生のもとにいくと治る。30年引きこもっていた人がシューカツを始める」という話を聞き、興味を持つ。
当時自閉症者の認知のゆがみから言いがかりをつけられ法的被害にあっていた私としては、治るのなら治ってほしかった。(2009年夏)

2010年1月に対談することが決まる。その準備に入る(2009年秋頃)。

「ぼく、アスペルガーかもしれない。」になることになる企画が持ち込まれる。(2009年秋)

社会に理解してもらうだけではなく当事者が修行をする。働ける大人になるための特別支援教育というコンセプトを見て、「これは出さなければならない」という思いに駆られ、大地君親子に会いに北海道に飛ぶ(2009年10月)。そして「自閉症って恥ずかしいの?」の会話を聞き、出版を決意する。

「ぼく、アスペルガーかもしれない。」発行

藤居、私が感動して出版を決意した「自閉症って恥ずかしいの?」の会話に卑屈根性を発揮し勝手にキレる。(第一次猿烏賊騒動)

2010年1月、長崎にて神田橋先生、岩永先生、愛甲さん、ちゅん平との対談を終える。

編集作業に入りながらブログにて宣伝を始める。

大大大博士祭り(第二次猿烏賊騒動)

2010年5月「発達障害は治りますか?」発刊。よく売れる。

よく売れたためか、その後も猿烏賊たちによる「なんちゃって海老踊り」が続く。
その間、読者の方々からたくさんのうれしい報告。

それでも猿烏賊たちは騒ぎ続ける。神田橋先生の本の読者の中から、我が子のあまりの発達の芳しさに嫉妬した親の会の仲間によって自宅・車等の器物損壊の被害を受け、警察に介入してもらったという話を聞く。
よりによってその器物損壊親が人を介して私と知り合いになりたいと寄ってくる(なぜか友達になりたかったらしい。それと自分のやったことが私ばれてないと思ったらしい)。
再び発達障害の世界にうんざりし、「発達障害は治りますか?」を置き土産にこの世界を去ろうと考えたが、感覚統合学会が札幌なので行ってしまう。

神田橋先生のおっしゃってた「脳の機能をもう少し細かくとらえる人を」という宿題にこたえる人(なんとニキさんのお友だちの長沼先生)を見つけてしまい、その場で本の企画をオファーして帰ってくる。(2010年秋)

「僕たちは発達しているよ」発刊。ベムこと宮本晋、自閉症協会の掲示板で大暴れ。ひんしゅくを買う(第三次猿烏賊騒動)。

「自閉っ子と未来への希望 一緒に働いてわかった本当の可能性」発刊。「自閉症についてわかってもらおう時代」から「わかってもらうことの限界」に気づいて方針転換した経緯を説明。(2011年1月)

ベムこと宮本晋、千葉県発達障害者支援センターに迷惑メールを送り、折しも捜査に入っていた警視庁知能犯係にメールを押収される。けれども仲間内では嘘の言い逃れ(第四次猿烏賊騒動)。

東日本大震災(2011年3月11日)

「活かそう! 発達障害脳」発刊(2011年6月)。

横浜ラポールにて岩永先生講演会。(2011年7月)

「僕は、社会(みんな)の中で生きる。」発刊。おうちと学校での具体的な修行の数々について詳しい。それと同時に、この中で同じ自閉症児の親にバッシングされたこと、それに対する反論を大地君は書いた。(2011年11月)

YT起訴。(2011年12月)

「もっと笑顔が見たいから 発達デコボコな子どものための感覚運動アプローチ」発刊(2012年3月)。

この辺から発達障害に対する意欲がよみがえってくる。
まずは、YTの件を受けて「いいこと」と「悪いこと」の区別を早くからつける療育が大事だと考え
それを実行している知り合いがたくさんいることに気づき
「自閉っ子のための道徳入門」発刊。(2012年6月)

生まれて初めて自閉症協会全国大会に参加。
これまでの違和感の元を知る。

「自閉症の人に努力させてはいけない」という風潮があるのに気づき
一方で、別に体育会系ではないニキさんが自然に自分なりの工夫をしている様子を広めようと
「自閉っ子のための努力と手抜き入門」発刊(2012年8月)。

「自閉っ子のための努力と手抜き入門」のP216のど真ん中にニキさんが書いてくれた言葉を読んで
(自閉症協会の全国大会でギョーカイの雰囲気を垣間見たこともあり、ニキさんの言葉に心から納得し)
YTの件で余計な怒りがなくなる。

裁判の途中から、司法と福祉、自閉症の関係を告訴人というインサイドの立場で見て、考えるところが多かった。
これは知らせておかないと、と思っていた。
そのことをまとめ始める。

この間もずーっと、ちゅん平さんから回復→シューカツ→一般就労→その後の課題
の原稿が送られ続けてきた。
それをまとめ本にして、講演会で初売り。(2012年8月)。

○「ありふれた話」にしなければいけないちゅん平の回復。
○「できればもう二度と起きないほうがいい」自閉症者相手の裁判。
この二つの記録を同時発売しようと決める(今ここ)。

新刊、詳細はこちらへ。



そしてまあ、おとといの神田橋研究会があって

「間違ったことやってこなかったな」と改めて思っています。
今朝もご注文と一緒に「神田橋先生の本を読んで人生が動きだした」というメッセージをいただいたところです。



ひどい目にあったのはなぜ?

2012-09-09 22:11:18 | 日記
昨日は神田橋研究会にお邪魔しました。
この会は、臨床家のお勉強会なので、基本的に場違いなのですが
何しろ東京で先生のお話が聞けるいい機会だし
勉強になることも多いので、時間があえば参加しています。

だいたい奇数月なのですけど。

昨日の目的は何よりも
「30歳からの社会人デビュー」を先生に手渡しできればなあ、と。
数百人の参加者ですが、どうにか直接お渡しできました。
先生はとても楽しみにしてくださっていたようです。
もうこの本が出るということを宣伝してくださっているようです。

お勉強会そのものも、とても勉強になりました。
発達障害の話もたくさん出て。
臨床家の方たちの質問に基づいて進行していくんですけど
おそらく質問した方たちも優秀だったのだと思います。

で、勉強会の最後に思いがけないお知らせ。

おそらく発達障害の世界にも朗報でしょう。

とてもうれしかった。
でも終わったあと愛甲さんと話したときには
私はこう言いました。

「今私が感じるのは、大大大博士祭りへの、吉川徹への怒りです」と。

なんであんな目にあわないといけなかったんだろう。

吉川はじめとして、猿烏賊の人たちが集団イジメに走っている間も
確かな手応えを感じた人たちは、検証作業に励んでいたんですね。
ギョーカイメジャーでも。

ギョーカイメジャーという言葉を私が使うとき
それは決して褒め言葉ではありませんが
権利擁護より、治療を優先させているギョーカイメジャーも、そういえばいらっしゃいますね。

まあ、
たんに代替医療が正規医療に変わっていくその流れをリアルタイムで見ているのかもしれませんが

猿烏賊たちには、二度と
自分より先見の明がある人たちをバカ呼ばわりしてほしくないですね。

愛甲さんは「本当にひどい目にあったわね」と慰めてくれました。
「明日からお相撲始まるから、それで発散してできるといいですね」と。

でもお相撲も楽しめなかったです今日は。
怒りで頭がいっぱいで。

どうしてあんな目にあわないといけなかったんだろう。
私は発達障害の人たち、その周囲の人たちをラクにしたくてあの本を出した。
多くの人々が喜んでくださった。
人生が変わったくらいよくなった人もいた。
なのにどうして吉川徹(当時匿名・卑怯者)や猿烏賊たちは、あんなに集団でイジメにかかったんだろう。
弱虫で、しかも卑怯者。無知。傲慢。

十両が始まっても考えていました。

今日はお相撲楽しめないな、と思った。
これできせのんが負けたら最悪だ。

こういうときには、運動したほうがいいとわかっているけど
夫に「私は今日はジムには行けないと思う」と言いました。
お魚焼いておひたし作るくらいのお料理ならできますが(日常のルーティンにはしがみついたほうがいいよね)
それ以上のものがほしかったら、なんか買ってきてください、と。

でも幕内後半になったら、なんか元気になってきて

稀勢の里が勝ったら、とっても元気になって

そのころ、新刊のMLが流れはじめて、注文がどんどん入ってきて
読者の皆様から、いいお知らせが届いて(ニキさんの本がとてもよかったとか、就職決まったとか)

六時になったら運動する気になって

運動が終わって安売りしていた骨付きラムを買って帰ってきて
焼いてるうちに元気になって野菜料理をいっぱい作って

それを食べたら元気になりました。

その間にもご注文はどんどんいただくし。

さて。

エビデンスは、あとからついてくることもあるようですよ。
今言えるのはこれだけ。

それと新刊のご案内アップしました。

どんどんお申し込みくださいね!



お話各種

2012-09-08 10:06:37 | 日記
さて、もう一件巡業のお知らせです。10月24日に神奈川県茅ヶ崎市。
これはニキさんと一緒ですよ。
啓発のための公開講演会という位置づけなので
お題は「自閉っ子、こういう風にできてます!」。
ベーシックな身体感覚とか世界の切り取り方とかニキさんがしている工夫とか
そういう話になると思います。

公開講演会のおしらせ
○日時  平成24年 10月24日(水)15:30~17:00
○場所  神奈川県立茅ケ崎養護学校  体育館
○内容  テーマ「自閉っ子、こういう風にできてます!」
        講師  ニキ・リンコ氏(作家・翻訳家)
            浅見 淳子氏(花風社 代表取締役社長)
○参加費用  参加者1名につき資料代350円
○定員  300名
○申込締切  10月17日(水)定員に達した場合お断りする場合があります
○申込・問合せ先 神奈川県立茅ケ崎養護学校 研究研修担当 菅沼
           FAX 0467-57-5371

10月13日の広島は、ちゅん平さんと「引きこもりからの脱出」のお話。
お話各種取りそろえていますよ。



広島の講演会は、前回も書いたけど、こちらにお申し込みくださいませ。




近々、花風社のMLにご登録の方にはメールが流れてくるかもしれませんが
新刊二点に加え講演会2+α(この他にもあります)のお知らせというめまぐるしさですみません。

浅見は偶数月にしか巡業しないというのは都市伝説です。
お仕事ですからいつでも行きますよ!

忙しくしてたら明日から九月場所じゃないか!
割も見てないや。どうせ初日は妙義龍でしょ。
楽な相手じゃないなあ。まあ楽な相手は一人もいませんが。

でも先日、日馬の綱取りの件で申し合いが映って
きせ関の重い圧力にこれは期待できると思った。

考えてみたら千秋楽しか切符持ってないので
どっかで平日にでも行かないと。

その前に今日は神田橋研究会ですよ。
行ってきます。

回復を再現しよう。

2012-09-06 09:09:01 | 日記
さて、今は新刊二冊でしゃかりきになっている私。そして今週末から九月場所です。

十月は巡業です。
その第一弾。
ちゅん平さんと一緒に広島に行きます!
お題は、「藤家寛子×浅見淳子講演会 「自閉っ子、引きこもりからの脱出」

本当に(くどくどいつも言うように)「私が生まれて会った中で、一番弱い人」だったちゅん平さん。
「就労なんか一生無理」と思っていたちゅん平さん。
トラブルもいっぱい。二次障害もいっぱい。
解離性障害まで起こしていたちゅん平さん。

その人が、週五日作業所に通い始めたときには、奇跡のような回復だ、と
腰を抜かしそうにびっくりしました。
それでもういい、と思っていました。

そのころちゅん平さんから「誰かいい人いませんかね?」と言われていたので探していたら
なんと地元で、自分で見つけていました。

今は一般就労して、休日にはデートを楽しんで
遅れてきた青春を謳歌しています。

でも、本当に特別な人じゃないですよ。
横浜の講演を聴いてくださった方はわかると思いますが
とってもとってもスモールステップで、まず体力をつけて
じょじょにじょじょに立ち直ってきたのです。

それを西日本でもご披露する機会ができました。
どうぞお出かけください。

お申し込みはこちらへ。



しばらくお知らせをトップに貼っておきます。
日々の更新はこの下をごらんください。

司法は敵じゃないよ

2012-09-05 07:00:55 | 日記
清々しいものである。
見渡す限り、黒髪の集団。堂々と掲げられた日の丸。
司法の人たちが、障害について勉強する場を見学させていただいた。

普段、障害のある人たちの地域生活を支えている方たちが講師を務める。
一見わからない障害の人が、普通に地域で暮らしている時代であること。
職務質問をしても、不思議な反応が返ってくることもあること。
この人たちは被害者になることもあること。そのケーススタディ。
そして加害者になったとき、地域に円滑に戻ってこられるよう、出所前から支援に入っている方も壇上に上がっていた。

その話がまた清々しくて、私には新鮮だった。
福祉がしっかりしていれば、罪を犯す必要のない人々。
なのに罪を犯し、公判が開かれ、国選弁護人がつく。
執行猶予がついたとしても、健常者には強い抑止力と働く「執行猶予」が、知的障害のある人にはわかりきれないところがある。
そして同じことを繰り返し、合算された懲役に。

これこそ税金の無駄だ、とその方は言っていた。
福祉にもっと力があれば、起こることのない犯罪。
福祉が担うべき役割を、司法に担わせてしまっている、とおっしゃってた。

なんとまあ潔い。
ギョーカイでは聞かれることのない発言だ。

発達障害者が事件を起こすと、まずは社会をののしり、司法を敵視するギョーカイ。
被害者への悼みも表現せず、ひたすら強調するのは「俺たちは関係ねーよ」。
再発防止など、まず誓わない。
当事者に努力を強いるのは差別だといい、ありのままを奨励したまま、ありのままの行動が市民を傷つけ
司法が市民を守る動きをすると、差別だと憤るギョーカイ。
自分たちが力不足だと認めたのなんか見たことない。

同じ福祉関係者でも、発達障害ギョーカイの外には
三つ組みの障害がない支援者がいるようだ。
司法や社会を敵視することなく仕事をしているようだ。
本当に障害のある人の地域生活を支えるのは
こういう清々しい人たちなのだろう。
司法も敵じゃないからね。福祉も司法も社会(みんな)の一部。
本当は協力し合える存在のはずなのに。


勉強になりました。
そしてほっとした。