治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

司法は敵じゃないよ

2012-09-05 07:00:55 | 日記
清々しいものである。
見渡す限り、黒髪の集団。堂々と掲げられた日の丸。
司法の人たちが、障害について勉強する場を見学させていただいた。

普段、障害のある人たちの地域生活を支えている方たちが講師を務める。
一見わからない障害の人が、普通に地域で暮らしている時代であること。
職務質問をしても、不思議な反応が返ってくることもあること。
この人たちは被害者になることもあること。そのケーススタディ。
そして加害者になったとき、地域に円滑に戻ってこられるよう、出所前から支援に入っている方も壇上に上がっていた。

その話がまた清々しくて、私には新鮮だった。
福祉がしっかりしていれば、罪を犯す必要のない人々。
なのに罪を犯し、公判が開かれ、国選弁護人がつく。
執行猶予がついたとしても、健常者には強い抑止力と働く「執行猶予」が、知的障害のある人にはわかりきれないところがある。
そして同じことを繰り返し、合算された懲役に。

これこそ税金の無駄だ、とその方は言っていた。
福祉にもっと力があれば、起こることのない犯罪。
福祉が担うべき役割を、司法に担わせてしまっている、とおっしゃってた。

なんとまあ潔い。
ギョーカイでは聞かれることのない発言だ。

発達障害者が事件を起こすと、まずは社会をののしり、司法を敵視するギョーカイ。
被害者への悼みも表現せず、ひたすら強調するのは「俺たちは関係ねーよ」。
再発防止など、まず誓わない。
当事者に努力を強いるのは差別だといい、ありのままを奨励したまま、ありのままの行動が市民を傷つけ
司法が市民を守る動きをすると、差別だと憤るギョーカイ。
自分たちが力不足だと認めたのなんか見たことない。

同じ福祉関係者でも、発達障害ギョーカイの外には
三つ組みの障害がない支援者がいるようだ。
司法や社会を敵視することなく仕事をしているようだ。
本当に障害のある人の地域生活を支えるのは
こういう清々しい人たちなのだろう。
司法も敵じゃないからね。福祉も司法も社会(みんな)の一部。
本当は協力し合える存在のはずなのに。


勉強になりました。
そしてほっとした。