昨日、「自閉っ子のための道徳入門」を読んだ方から「参考になりました」というメッセージをいただいて
そこに「不審な行動をさせないのも予防ですね。奈良の件もありますし」的なことが書いてあったのでこのブログを書くことを思いつきました。
以前から考えていたことなのですけど。
私個人にしてみると
自閉症の人の「奇妙な行動」っていうのはまったく気になりません。
ぴょんぴょんはねてたりひらひらしていたり奇声を上げていたりですね。
それが気にならない理由は三つほどあって
一つは私が別に聴覚過敏とかじゃないこと。おそらく子どもの泣き声とかにも寛大な方だと思います。いやがる人はいやがるよね。私の聴覚はそれほど過敏じゃない上に、注意をそらせる人なので、あまり気になりません。
もう一つは都会人なこと。他人の奇妙な行動はスルーする習慣が身についています。
もう一つは自閉症を多少知っていること。だから駅のホームではねて奇声を上げている自閉っ子をみんなが遠巻きにしているとき、私はそばにいたりします。なぜかというと、すいてるから。
みんなが遠巻きにする理由は、危害を加えられるのではないか、みたいな恐怖なのだと思いますが、私は多少事情を知っている分、そういう危険は感じない。彼が見てるのは電車だけですよ、とか心の中で思いながらはねている自閉っ子を見守っています。
先日お勉強会に出かけたときにも、一番多そうな警察沙汰って、被害加害よりもむしろ
「不審な行動→職務質問→不適切な対応→公務執行妨害とかで逮捕」
かも、と思ったのですが
そういうパターンを避けるためには、司法の側に知ってもらうことは大事で、講師の方たち一生懸命説明していらっしゃいました。実際こういう啓発運動が効果があって、そういう事態に至ったとき所持品検査で手帳が出てきて、なるほど、と思って関係機関に連絡取って無事・・・ということはあるそうです。
だからこういう啓発活動は大事。
でもこれと奈良の事件は異質だと思うんです。
違い。
それは、そこには被害者がいるかどうか。
これに無頓着で、一律に「理解がない!」とクレームつけているギョーカイ人を見ると
「ああ、健常者には人権がないと考えているんだな」と思ってしまえるの。
ギョーカイの特徴はね、私の事件のときもそうだったけど
健常者が被害にあっていても被害者とは認めないところなんですよ。
それはギョーカイの俺ルールなんで、社会には通じないです。
一般的に言うと「不審な行動」と「迷惑行為」の間には大きな違いがあるので
被害者がいるかただ不審なだけかはまったく違う話なので
そこを考えてほしいんですよね~。
☆☆☆☆☆
序盤戦に一度は行きたかった国技館。
なぜ行けないままかというと、「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」のゲラチェックがかなりきついからです。
デリケートな本なので、何重にもチェックを入れていて
普段はゲラをほとんど赤くしない私が、真っ赤にしている状態です。
チェックしてもらって言われるのは
「意外と冷静に書いている」っていうこと。むしろもっとはっきりと書いたほうがいい、という箇所をばんばん指摘されています。奥歯にものの挟まったような言い方(当社比)が多い、と。
まわりくどい文を、ストレートになおしています。で、ゲラが真っ赤。
量刑。
私は「障害者割引はなかった」という表現を使いましたが
まあ実際には「重かった」というのが実情です。
びっくりしました。
悪質性を重く見られたのだと思います。
それと、反省の色がなかった。
ここがね。私も司法の奥深さを見たところです。
というのは、私は一度も出廷していませんが、出廷していた人によると
「それ、反省の言葉ですね」ととらえられる言葉を本人は口にしている。
それを司法は「反省」と受け取らないのですね。
ギョーカイの人がこれを読むか読まないかわかりませんが
「この言葉を司法は反省ととらない」っていうことは知っておいたほうがいいですよ。
再犯のおそれがあると思っての重い量刑だと思います。
私が再犯のおそれをどう見積もっているかどうかは中に書いてあります。
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