沖縄から帰って出社すると、先日呼んでいただいた「岡山自閉症児を育てる会」さんから会報が届いていました。我々の講演会を特集してくださっています。
ありがたいことです。
そのお礼と今後のご注意を兼ねて、メールをお送りしました。
この会報は、数ヶ月後にネット公開されます。
そのときにまた変な輩が来てご迷惑かけるかもしれませんからね。
発達障害を辞めようと思ったことは現地でもお話しましたが
そういう輩の存在、それが私がつねに「発達障害の世界をやめたい」と思いながら仕事をしている理由なのです。
そうメールに書きました。
それに対し
「花風社は発達障害をやめないでくださいね」というメールをいただきました。
多くの人たちが花風社の本に助けられているのだから、と。
あたたかいお言葉です。本を出してよかったなと思います。
「当事者には思い込みの強い人もいます。でもごく一部です」
これはそうだと思います。
けれどもおそらく、私を含めた世間は必ずしも当事者にうんざりするのではないと思うのです。
当事者を取り巻く支援者や保護者。
こういう人たちの中にも「自他の区別がつかない」人が多すぎます。
大学でも企業でも、わっと受け入れては「やっぱり難しい」と引いてしまうところでは
人々が困惑するのは当事者だけではないのです。保護者や支援者に難しい人が多いのです。
「発達障害の親もちょっとおかしいでしょ」
「支援者もちょっとおかしいでしょ」
よくこう言われますよね。
でもそれは器質的な問題ではないと思うのです。
私が会報がネット公開されたあと、心配しているのも
当事者が迷惑メールとかを送ることではないのです、必ずしも。
かつて宮本晋という人(ベム)は
講演の企画をした発達障害者支援センターに「講演とりやめろ」メールを送りました。
有料の、希望者のみの会です。私の話を聞きたくない人は来なくていいのです。
それでも私の講演会が開かれるというだけで許せない。
この人は当事者ではありません。親です。
こういう自他の区別がつかない人が、発達障害の保護者にはしばしば見られます。
しかもそのメールを、事情聴取に行った警察に対し支援センターが任意で提出すると
宮本晋という人は、センターに怒鳴り込んだというのです。
困り切ったセンターの人と私は話をしました。
センターの方は警察に善意の協力をしただけです。文句があったら私に言ってきてくれと宮本晋に伝えてくださいと私はお願いしました。
未だに電話一本かかってきません。この人たちの特徴です。
謝ってくれそうな相手にだけごねるのです。
この事実を宮本晋は仲間内で否定しているようですが
私がここにはっきりと「千葉県発達障害者支援センター」が捜査に善意のご協力を提供してくださったと明記できるのは、それが本当のことだからです。
リテラシーのない猿烏賊たちはそれでもベムのウソを信じるのでしょうね。
支援者の中にも、自他の区別がつかない人はいます。
今年の夏は関東勢も鹿児島に行かれた方が多いようですが
本は全国で売っていますので、沖縄でも神田橋先生の本を読み
鹿児島に行って処方が正しくなり精神症状が取れて
今度ご結婚なさる方がいるそうです。
こういう話を聞くと、本当にうれしくなります。本を出してよかったなと思います。
そしてあのとき、吉川徹の本名をさらすことによって黙らせて本当によかったなと思います。
そのおかげであの本を読む人が増え、多くの人が苦しみから解放されたのですから。
「治療方法はそれぞれが選んでいいのに、なぜ神田橋先生の本にそれほど反対するのか」と問いかけた私に吉川徹は
「花風社が儲かると困る」と言い放ちました。
あきれるほどの器の小ささです。吉川の周囲の人たちは、この器の小ささを恥ずかしく思わないのでしょうか。
嫌いな出版社に儲かってほしくないから、治る人が増えない方がいい。
吉川徹が言ってるのはそういうことです。えっと、一応医師でしたよね?
だからね
世間が「発達障害者とはつきあいたくないな」と思う責任は当事者だけにあるのではないのです。
これほど自他の区別のつかない保護者や支援者を見たら
どうしてもこう思うじゃないですか。
「発達障害の親もちょっとおかしいでしょ」
「支援者もちょっとおかしいでしょ」
こういう人たちが
結局は当事者の居場所を削っていってると思いますよ。
そしてこういう自他の区別のつかない親を見ると
人々はギョーカイの信仰に疑問を持つのです。
「原因は親にあるだろう」と思ってしまうのですよ。
これを読んで「浅見は障害者やその親や支援者に関する偏見を振りまいている」
と思ったあなた。
あなたは多分、「世間」から疎まれている方の障害者・親・支援者です。
この「世間」には、あなたと同じ自閉症の親たちも含まれます。
なぜなら頑張っている人たちは、私と同じように
自他の区別がつかない当事者・親・支援者にうんざりしているので
(ひがんだり、よそんちにいらぬちょっかい出す親)
むしろ自分も当事者・親・支援者でありながら
「よく言ってくれた浅見さん」と感じるものだからです。
そしてそういう人たちが、「社会の理解ガー」より発達援助志向が強く
花風社と親和性が高い、というわけです。
☆☆☆☆
ありがたいことです。
そのお礼と今後のご注意を兼ねて、メールをお送りしました。
この会報は、数ヶ月後にネット公開されます。
そのときにまた変な輩が来てご迷惑かけるかもしれませんからね。
発達障害を辞めようと思ったことは現地でもお話しましたが
そういう輩の存在、それが私がつねに「発達障害の世界をやめたい」と思いながら仕事をしている理由なのです。
そうメールに書きました。
それに対し
「花風社は発達障害をやめないでくださいね」というメールをいただきました。
多くの人たちが花風社の本に助けられているのだから、と。
あたたかいお言葉です。本を出してよかったなと思います。
「当事者には思い込みの強い人もいます。でもごく一部です」
これはそうだと思います。
けれどもおそらく、私を含めた世間は必ずしも当事者にうんざりするのではないと思うのです。
当事者を取り巻く支援者や保護者。
こういう人たちの中にも「自他の区別がつかない」人が多すぎます。
大学でも企業でも、わっと受け入れては「やっぱり難しい」と引いてしまうところでは
人々が困惑するのは当事者だけではないのです。保護者や支援者に難しい人が多いのです。
「発達障害の親もちょっとおかしいでしょ」
「支援者もちょっとおかしいでしょ」
よくこう言われますよね。
でもそれは器質的な問題ではないと思うのです。
私が会報がネット公開されたあと、心配しているのも
当事者が迷惑メールとかを送ることではないのです、必ずしも。
かつて宮本晋という人(ベム)は
講演の企画をした発達障害者支援センターに「講演とりやめろ」メールを送りました。
有料の、希望者のみの会です。私の話を聞きたくない人は来なくていいのです。
それでも私の講演会が開かれるというだけで許せない。
この人は当事者ではありません。親です。
こういう自他の区別がつかない人が、発達障害の保護者にはしばしば見られます。
しかもそのメールを、事情聴取に行った警察に対し支援センターが任意で提出すると
宮本晋という人は、センターに怒鳴り込んだというのです。
困り切ったセンターの人と私は話をしました。
センターの方は警察に善意の協力をしただけです。文句があったら私に言ってきてくれと宮本晋に伝えてくださいと私はお願いしました。
未だに電話一本かかってきません。この人たちの特徴です。
謝ってくれそうな相手にだけごねるのです。
この事実を宮本晋は仲間内で否定しているようですが
私がここにはっきりと「千葉県発達障害者支援センター」が捜査に善意のご協力を提供してくださったと明記できるのは、それが本当のことだからです。
リテラシーのない猿烏賊たちはそれでもベムのウソを信じるのでしょうね。
支援者の中にも、自他の区別がつかない人はいます。
今年の夏は関東勢も鹿児島に行かれた方が多いようですが
本は全国で売っていますので、沖縄でも神田橋先生の本を読み
鹿児島に行って処方が正しくなり精神症状が取れて
今度ご結婚なさる方がいるそうです。
こういう話を聞くと、本当にうれしくなります。本を出してよかったなと思います。
そしてあのとき、吉川徹の本名をさらすことによって黙らせて本当によかったなと思います。
そのおかげであの本を読む人が増え、多くの人が苦しみから解放されたのですから。
「治療方法はそれぞれが選んでいいのに、なぜ神田橋先生の本にそれほど反対するのか」と問いかけた私に吉川徹は
「花風社が儲かると困る」と言い放ちました。
あきれるほどの器の小ささです。吉川の周囲の人たちは、この器の小ささを恥ずかしく思わないのでしょうか。
嫌いな出版社に儲かってほしくないから、治る人が増えない方がいい。
吉川徹が言ってるのはそういうことです。えっと、一応医師でしたよね?
だからね
世間が「発達障害者とはつきあいたくないな」と思う責任は当事者だけにあるのではないのです。
これほど自他の区別のつかない保護者や支援者を見たら
どうしてもこう思うじゃないですか。
「発達障害の親もちょっとおかしいでしょ」
「支援者もちょっとおかしいでしょ」
こういう人たちが
結局は当事者の居場所を削っていってると思いますよ。
そしてこういう自他の区別のつかない親を見ると
人々はギョーカイの信仰に疑問を持つのです。
「原因は親にあるだろう」と思ってしまうのですよ。
これを読んで「浅見は障害者やその親や支援者に関する偏見を振りまいている」
と思ったあなた。
あなたは多分、「世間」から疎まれている方の障害者・親・支援者です。
この「世間」には、あなたと同じ自閉症の親たちも含まれます。
なぜなら頑張っている人たちは、私と同じように
自他の区別がつかない当事者・親・支援者にうんざりしているので
(ひがんだり、よそんちにいらぬちょっかい出す親)
むしろ自分も当事者・親・支援者でありながら
「よく言ってくれた浅見さん」と感じるものだからです。
そしてそういう人たちが、「社会の理解ガー」より発達援助志向が強く
花風社と親和性が高い、というわけです。
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