治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

人権派 百害あって 一利なし

2013-11-26 10:18:31 | 日記

佐藤幹夫著「知的障害と裁き ドキュメント千葉東金事件」を読みました。
著者から出版を知らせる一斉メールをいただき、「おお」と思ってすぐ買いました。

「自閉症裁判」という名著を書いた方です。
レッサーパンダの帽子かぶった障害の若者が若い女性を刃物で殺してしまったあの事件です。
それから「十七歳の自閉症裁判」も読みごたえがありました。これは寝屋川事件。発達障害の診断が出ていた人が母校に押し入って起こした刺殺事件に取材しています。
いずれもこのブログで書評書いているはずですから興味がある人はブログ内検索してみてね。

この著者に対する私のスタンスは「愛読者であるけれども、立場は違う」です。
この本でも「また被害者に思慮がないと言われてしまうかもしれない」みたいな危惧を持ちながら書いていらっしゃるとの告白がありますが、ということはこれまでの著作よりそのあたり気をつけられたのかもしれませんが
相変わらずギョーカイでは別に珍しくない(そしておそらく非常識でもないのでしょう。私は化外の民だから知らないけど)「健常者に人権なし」の思想が著作を貫いていることにはこれまでの著作ととくに変化はありません。

そういう立場の違いがあっても
私は佐藤氏の著作は買います。
とくに千葉東金事件。あれはわけわからない展開をしていたらしいと漏れ聞いていただけに、「何が起きたのだろう、実際のところ」と興味津々で読みました。

最初、弁護側の方針として、犯行事実の否認をするらしい、ときいたときには
「へえ」と思いました。
「やったのはこの人じゃない」と主張すると言うのです。
と思ったら主任弁護人が辞任。
そのあと急に「事実認定→心神耗弱で減刑を求める」に弁護方針が変わったというのです。
明らかに迷走しているなあ、と遠くで聞いていても思ったので
いったい何が起きたか知りたかったのです。

この本を読めば、何が起きたかわかるのですけど
私としては「人権派 百害あって 一利なし」という戯れ歌が浮かんでくるばかりでした。
レッサーパンダの事件と同じ弁護人たちが同じことやってます。
すなわち「自分は障害者として裁かれたくない」という思いを抱いている被告人のところに大挙して押しかけていって
「い~や君は障害者なんだからそれなりの処遇を勝ち取るべきだ!」と弁護の押し売りをしているのです。
主任弁護人の交代、って、要するに押し売りを拒まれたのか。

これはギョーカイの方々で起きていることです。
「社会全体の利益など度外視して、障害者を真綿にくるみ、自分たちの利権=固定資産として障害者を障害者に固定したい支援者」と
「社会の中の一員として責任を果たしたい当事者」という縮図が
そのまんま法廷に持ち込まれた感じです。

この本を読み終わったとき、某自閉っ子ママとお食事をする機会があったのですが
そこで「人権派弁護士は押し売りをするらしい」という話をしたら
「なんのために? 儲かるのでしょうか?」ときかれました。

さあ、それは知らないけど
お金の問題じゃなく、自分たちの思想を拡散するいい機会だととらえているのかもしれませんね。
さあ障害者が事件起こしたぞ! アピールのチャンス! みたいな。

なんて社会をバカにした人たちでしょうね。
迷惑な話です。
加害者にとっても被害者にとっても社会にとっても。

でも検察も、「責任能力がある」と判断するのなら
親を責めるのはおかしいよね。
もちろん親として、もっと別の育てられ方がないとは言えないんでしょうけど
被害者家族にも、すごーく時間が経ってからしか謝らなかったようなので
社会的に勇気が欠けているタイプの方なのかもしれないけど
責任能力のある成人が罪を犯したら、
罪に関して問われるべきは本人。社会的常識はともかく。
謝罪が遅れたことを、遺族が責めるのは当たり前だと思いますけど。

そしてこのご本人(現受刑囚)。
とてもきっぱりしているのです。
一番きっぱりしているかもしれない。
証言を引用させていただきます(P217より)。


=====

遺族の皆様へ。ほんとうにごめんなさい。いますごく、後悔しています。ほんとうにもう、ただただ、心からあやまりたいと思います。私事で、この裁判を行うことが遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。でもあやまりたいきもちはあります。ほんとうに申し訳ありませんでした、ただただごめんなさい。ですが、どうかわたしの母のことは、怒らないでください。お願いします。悪いのは全部、私です。ですから母を怒らないでください」


=====


なんで裁判が遅れて被害者遺族が神経を逆なでされたかというと
砂糖に群がるアリのように駆けつけた弁護団迷走のせいです。
それも全部、本人が遺族に謝っている。
そして犯行は母親のせいではなく自分のせいだときっぱり言っている。

よくある構図ですが
右往左往する支援者なる人々より、本人が一番正しいのですよ。

もう二度と、障害のある人がこういう重大な事件を起こさないといいな、と思います。
被害者が救われません。そして加害者も憐れ。
そして「チャンス!」とばかりわらわらわいてくる人権派弁護団が本当にキライです私。
ただ救いなのは、人権派がめったに勝訴しないことですね。

他にもこの本は
・トラウマの問題
・訴訟能力(責任能力とは別)の問題
など重要な問題について触れていますし

何よりも知的障害者の方たちの抱える根本的な空虚感みたいなのに関しては
著者は卓見を示されていると思いますので

またこのブログでも触れたいと思います。